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【ロングインタビュー:創業メンバーが語る②】事業転換を経験したからこそ見えるTOWNの未来とは

「日本を代表するサブスクリプション・テックカンパニーをめざす」をビジョンに掲げるTOWNは、創業より展開してきた受託開発から、サブスクリプションモデルを軸にした自社サービスへと事業を大きく転換させてきた歴史があります。

事業転換のタイミングで社内ではどんなことが起きていたのか、またどのような未来を見据えてこの決断をしたのか、当時を知るメンバーに語っていただきます。

第2弾の語り手は、第1弾と同じく創業メンバーである別府さんと古森さんのお二人にご登場いただきます。

<語り手>
別府 伸彦(写真左):2004年 TOWN株式会社を設立。現Aipo事業責任者
古森 貞(写真右):2004年 TOWN株式会社を設立。現KIMERA事業責任者
インタビュアー:長澤 成啓 2018年入社。現CHRO

創業メンバー同士の出会い

ーちょっと遡りますが、まず創業メンバーとしてTOWNを立ち上げた時のことを聞かせてもらえますか?

古森:創業メンバーである永井(現CEO)と金子(現COO)、それから別府とは大学の同級生どうしだったんです。みんな情報科学を専攻していて同じ研究室でしたし、学生時代からこのメンバーでソフトウェア作りを始めていたということもあって、ほぼ毎日一緒にいるっていう感じでしたね。起業しようという話もその時からしていました。いろいろあって、実際に会社を立ち上げたのは社会人を1年くらい経験してからでしたけど。

別府:スタートアップの立ち上げ方としては、ちょっと特殊だったかもしれないですね。私たちはソフトウェアの開発が得意ではあったのですが、例えば世に出したいプロダクトが具体的にあったから集まったといったことではなくて、先にこのメンバーで起業すること自体を決めたところからスタートしていますから。別のインタビューで永井も語っていますけど、「何をやるかより誰とやるか」を大切にしようというのが共通意識だったんです。

古森:これだけ一緒に過ごしていればお互いの考え方も大体わかりますし、信頼もできるので、このメンバーだったら大丈夫だろうと。起業することを決めてから、何を作ろうか考えていきました。ただ、最初の頃は本当に漠然とした考えしか持っていなかったですけどね。とにかく会社を大きくしたい、くらいのイメージしか持っていなかったので。

別府:まあ、若かったよね。でも、不思議と不安はそんなにありませんでした。このメンバーだったら何か成し遂げられるんじゃないかと思っていたので。

「フルスタック」で立ち回っていた受託開発時代

ーでは、受託開発時代のことも少し聞かせてください。お二人ともどのような業務を担当していたのですか?

別府:受託案件の開発実装を担当するだけではなくて、担当案件の営業からディレクションまで、全部自分でやっていました。現在のTOWNの仕事の仕方とは全然違っていて、それぞれが専任でひとつの役割を担うという感じではなかったですね。

古森:私は受託開発の担当ではなくて、当時から作っていた自社サービスである「Aipo」の開発を主に担当していました。ただ、別府と同じで開発だけやっていたわけではなくて、お客様のところに営業しに行って要望を伺って、自分で開発して、という感じで何でもやっていましたね。特に創業メンバーの4人は、各々が開発以外の仕事も含めてフルスタックで動いていたと思います。

ーそれは違った意味でフルスタックエンジニアですね。

別府:はい。その後は社内の役割分担も変化してきて、私は受託案件からは徐々に離れていき、Aipoも含めた自社サービスの開発に専念するようになりました。自社サービスへの転換自体はもともと構想があって、自分が先行してそのための開発を担当していたんです。

古森:そうそう。Aipoの開発はSaaS化したタイミングで別府に引き継いで、私は営業を中心に担当するようになりました。できるだけ兼任をなくして専任でそれぞれの役割を担えるようにする、という現在のTOWNの考え方に近づいていった頃ですね。

ただ、開発も営業も全部フルスタックでやるという動き方は、新規事業を立ち上げて軌道に乗せるまでのノウハウとして今でもすごく活かされていると思います。去年新しく立ち上げた「KIMERA」もそうですから。

受託開発時代の末期を振り返る

ー事業転換を決断した時期のこともお聞かせいただけますか?前回のインタビューでも、永井さんが受託案件の炎上がきっかけだったというお話をなさっていましたけど。

別府:やっぱり、今とは比べものにならないくらいメンバーには負担をかけてしまっていたな、という反省はあります。それは申し訳なかったなと思っていますね。受託開発はひとつの案件が炎上してしまうと、次のスケジュールにも影響が出るので、それがどんどん悪い方向に転がってしまうんですよね。それから、受託で扱う案件の規模がどんどん巨大化していたことも、炎上した原因としては大きかったと思います。

古森:はい。その頃は複雑なシステム開発を多く手がけるようになっていたので、開発期間も予算も相応に大きくなっていって、案件のコントロールが格段に難しくなっていたというのはありましたね。

ー炎上してしまったのは、そういう要因もあったからなんですね。

別府:そうなんですよ。受託開発と一括りで言っても、時期によってやっていたことは全然違っていたので。

古森:難しい案件を任せてもらえるということは、それだけお客様からは良い評価をいただいていたからこそだと思いますしね。もちろん、炎上させてしまったのは完全に自分たちの力不足ですけど。

でも、この失敗を経験したからこそ、サブスクリプションモデルを軸にした自社サービスを展開するという今の形になることができたと思うんです。当時のお客様にはご迷惑をかけてしまいましたが、結果として事業転換を実現させるために必要な経験だったんじゃないかな。

自社サービスへの転換、その成功の秘訣は

ーなるほど。では、なぜ事業転換はうまくいったのでしょうか?

古森:いろいろ要因はありますが、まずは開発メンバー全員が自社サービスの開発に専念できる環境を作ることができたからだと思います。それまであったものを手放してまで違うところに行こうとしているわけですから、全員が集中して取り組むことが絶対に必要だったんですね。もし受託をやりながら並行して自社サービスの開発をしていたら、力が分散してしまって、きっとうまく行かなかったんじゃないかなと思っています。

別府:私も同じ考えで、まず受託をやめるっていう決断をしたことが自体が大きかったのではと感じています。例えば、受託は継続しつつ徐々に自社サービスへ切り替えようとしていたら、思うように収益が伸びなかった場合にまた受託に戻そうという選択肢を選んでいたかもしれないですよね。ある意味で退路を断ったことが成功の要因だったのではと思います。逆に、もし事業転換がうまくいっていなかったら、このような決断をしたこと自体が一番の失敗要因になっていたでしょうね。

古森:そうそう。それと、自社サービスをつくると言っても、今まで全くやっていなかったことを始めたわけではなかったですからね。受託開発を長くやってきていて、システム開発とサーバーの運用管理は全部わかりますという自負はありましたから。その蓄積を活かせるサービスを作ったということも、うまくいった要因なんじゃないかな。

別府:そうだね。受託開発から自社サービスに完全に切り替えて、かつきちんと軌道に乗せることは、それだけ難易度が高いことだと考えていましたから。自分たちの強みを活かせるものに集中して取り組んだことが、最大の成功要因だと思っています。

創業メンバー同士の関係について

ー創業メンバーとは長く一緒に会社をやってきていますが、お互いの関係性などで変化したことはありますか?

別府:現在は全員が執行役員としてそれぞれの事業を運営しているので、創業した当時と比べると、仕事の中でのコミュニケーションの取り方は変わってきていますよね。それなりの時間の使い方を求められるというか。それは組織が成熟してきているからこその変化ですから、会社にとってはいいことだと思います。

古森:組織の形も事業部制になったことで、各々が一つの小さな会社を持つような形で事業を運営するようになりましたから。お互い経営者同士という感覚ですね。

別府:ただ、最初に会社を立ち上げた時のような、初期衝動的な思いや考えをみんなでぶつけ合っていた頃が懐かしいと思うことはありますね。それこそファミレスで延々と議論するみたいな。

古森:そうだね。それはあるかもしれない。でも、プライベートでの関係はあまり変わっていないんですよ。今から20年前くらいに出会って、TOWNも15年くらいやっていますけど。長い付き合いですよね、本当に。

これからのTOWNでやりたいこと

ー最後に、ご自身の今後の展望、野望をお聞かせいただけますか?

古森:新規事業であるKIMERAを成長させて、既存の3事業に続く4つ目の大きな柱にすることですね。世の中にある身近な痛みや課題をサブスク化することで解決する、というのはTOWNにとって常に達成すべきミッションですから。

別府:「日本を代表するサブスクリプション・テックカンパニー」と呼ばれるためには、将来的にそういう事業をいくつも作り出せないといけないからね。

古森:そうそう。これまでの事業づくりで培ったノウハウをうまく活かしながら、それぞれの事業の特性を組み合わせることで、会社として強いシナジーを生み出していきたいですね。

ー別府さんはどうですか?

別府:個人的には、もっと将来のことを考えた時に、TOWNを永続的に受け継がれていく文化のようなものが残る会社にしたいと考えています。

ーそれはどのような文化なのでしょうか?

仮に、今やっている事業や仲間が全て入れ替わったとしても、TOWNが目指すものや、世の中に価値として提供したものは変わらず残るようにしたいということですね。現在のTOWNも創業当初から比べると大きく変化していますし、これからもどんどん会社の形は変わっていくでしょうが、源泉にあるものを残していければと思っています。それが積み重なることで、TOWNとしても、また世の中にとっても価値のあるものになるんじゃないかと。そういったものを文化として残していきたいですね。

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