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【シナジー社長に聞いてみた!】警備事業の立ち上げ秘話について

このシリーズでは、株式会社シナジーの社員や役員にインタビューを行い、

「シナジーってどんな人がいるの?」

「ぶっちゃけどんな仕事してるの?」

「シナジーに決めた理由は?」

などなど、赤裸々に話してもらいます!

シナジーの雰囲気や歩み、社風などを知っていただければ幸いです!


今回は、警備事業の立ち上げ秘話について樽本社長にお話をしていただきました!

──警備事業部の立ち上げ経緯について教えてください!

樽本:結論から言うと成り行きだったんですよね。 私がシナジーの前身であるビルテックサービスに参画したのがちょうど20年前 の2月ぐらいだったんですけど、その前に警備会社で管理職をやっていたんですよ。

警備会社を辞めてからもその時の取引先の方から、警備員が取れないから助けてくださいという電話が来ていて。お世話になった方なんで、知っている警備会社に取り次いでずっとやり取りをしていました。

そして2005年の7月ぐらいに大武会長から新しい事業をやりたいという相談を受けたんです。新しい事業を個人でやるべきか、会社でやるべきかみたいなことも含めて。

その時に思いついたのが総合的に鑑みて、「警備事業をやりましょう」という提案をして、 「わかった、じゃあそれでいくか」ということで、始めたのが最初のきっかけです。

とにかく当時はリソースがありませんでした。ヒト・モノ・カネ・情報がない中で始めないといけないという、かなり大きな決断でした。自分がずっとやってきて成果を上げてきたことだから、まあなんとか立ち上がるんじゃないかなという楽観的な部分もありました。

てっきり大武会長が社長をやるのかなと思ったら、「任せたい」と言われ、そこで私の社長人生がスタートしたという感じです。

ちょうど今年の8月31日で19年目が終わって、9月1日から20年目を迎えるという感じですね。

おかげさまであの時に決断したことで、岩国まで事務所を出して、挑戦することができるようになったのでよかったなと思います。


──ありがとうございます。立ち上げの際のエピソードをお聞きしたいなと思います。

樽本:人材派遣も言えることなんですけど、リソースがない中で募集にかけられるお金が限られているのもあるし、とにかく大変だった気がします。

しかし天気と一緒で、大雨が降る、もっと厳しいような嵐や台風に近い状況だと思うんですけど、逃げずに受け止めてきたからこそ、今があるのかなと。振り返ってみての話ですけどね。


──ありがとうございます。次はリーマンショックの時のお話を伺おうと思います。リーマンショックの時、派遣切りが多くて派遣で働いていた人たちが警備事業部で働かれていたと聞きました。

関連記事:【社長に聞いてみた!vol.4】苦境が続いた新規事業の立ち上げ 支えになったのは、人と志


樽本:後々リーマンブラザースが倒産したっていう情報が出て、コロナの時もそうだったんですけど、新聞で見たときは100%他人事なわけですよ。

年明けてドーンと震度6~7くらいの地震が一気に来たみたいな感じですよね。経済的に言えば。どんどんどんどん派遣の契約解除が1月頃から進んでいって、おそらく2009年の3月時点で派遣の売上が7分の1まで一気に落ちました。

嫌な記憶は人間の本能が消し去るせいか、細かいところは覚えてないですけどね。

契約解除になったら、当然みんなの生活が立ち行かなくなりますよね?だから警備の仕事をして、なんとかみんなで食いつないでもらう話をしました。

みんなで手分けして、建設会社に営業の電話をして、アポを取って商談して、どんどん仕事を取ってといきました。

でも諦めずに3年間やってきたからこそ、たくさんの人たちの生活を守ることができて、私にとって印象深い出来事の一つですね。


──ありがとうございます。他の企業さんだと当時は派遣切りって当たり前に起こっていて、自分のことばっかり考えてしまって従業員の生活を守るって考える経営者の人たちはあまり少ないのかなと思うんですが、当時の従業員の方の生活を守ろうって思われた何かがあったのでしょうか?

樽本:理由を考えるほどの余裕はなく、本能で動いていました。守らないといけないと思ったんですよね。


──本能で思えるってかっこいいですね。人間ってどうしても自分が可愛いというか自分が一番なところってどうしてもあったりするので…

樽本:当時から責任感はありました。だから自分が経営者をやっているんだっていう感覚もありました。

とにかくみんなで生きていかなければみたいなことはずっと思っていて。本当にそれだけで日々を生きていたなと思います。

起こった出来事は仕方がないけど、這ってでも生きていくっていう生命力みたいなものがありました。とにかく何でもいいから、拾い仕事でも何でもいいからって。

一生懸命真面目に働いているだけなのに、「なんで我々がこんな理不尽な目に合わなきゃいけないんだ、そんなことには負けんぞ」っていう本能的なものが、生命力みたいなものがあったのかもしれません。

だから自分の家族のことすら脇において、とにかくまずは働く人を守るっていうためにどんな仕事でもいいから、みんなで手分けしていろんな仕事を取ってきました。

草刈りや管理会社がやっているアパートの退去後の小さな修繕など、片っ端から探して取りに行くみたいなことをやっていました。今となったらいい思い出で、生きているなって感じがしました。

経営は赤字だから潰れるわけじゃなくてお金がなくなったら潰れます。潰れるのは仕方ないにしても、給料を払えないって最悪じゃないですか?

だから今まで自分の会社にいてくれた人のために、給料を払い続けるっていうのは念頭に置いていました。ただ私はすごく恵まれている、運がいいなと思う出来事があったんですよ。リーマンショックの時に社員は誰一人辞めなかったので。

私はみんなに、「本当にこの先どうなるかわからないから、シナジーよりもいい条件の仕事先が見つかるんだったら、そっちに行って構わないですよ」っていう話もしていました。

私は諦めずに仕事を続けて、お金を引っ張り続けるっていうことだけは伝えていたので、みんなも安心してくれたのか、その時誰もやめなかったと思います。

奥さんもいて、まだ子ども小さかったんですけど、会社を守らないと社員守れないからと言う気持ちが大きくありました。自分のためだったら頑張れなかったんじゃないかなと思うんですよね。

みんなを守るためだから、理不尽さに負けずにいられた、一人だったら何もできなかったと思います。

結局お金がないもの尽くしになったとしても、人さえいればなんとかなるんだなって。 むしろ人がいてくれることで、現実を動かせるっていうところが私の考えているバックボーンに強く残っていて、現体験には間違いなくなりました。

だから「人と志を、未来へ。」という採用スローガンが誕生したのは”この”原体験がきっかけで!!

関連記事:【社長に聞いてみた!vol.3】シナジーの採用スローガンとは?理想の会社のあり方から考える

人がいなくなったら、ノウハウやテクノロジーがあっても、終わってしまうので、すごく素晴らしい現体験をさせてもらいました。


──ありがとうございます。次に、警備事業の強みをお願いします。

樽本:シナジーもそうなんですけど、結構アナログとデジタルのハイブリッドな感じが強みかなと思っていて、デジタルによりすぎてもないしアナログによりすぎてもないかなというところなんですよね。

アナログのいいところはいろいろ取り入れていて結構徹底してやってるんですよ。例えばお客さんへのお礼をメールで終わらさずに筆書きしてお客さんに葉書きを送るとかやっているんですよ。

そういうのはデジタルのいいところとアナログのいいところを融合しながらやっていて。社名に 込められているんですけどなんとかセキュリティとかなんとか警備保障ってつけてないのも理由の一つで、そこは意識しています。

新しいところで言うとAIの警備システムっていうのを広島で 一番早く取り入れたりもしていますし、そこに関しては強みかもしれないですね。


──ありがとうございます。最後になりますが、警備事業部の今後の展望と事業展開として考えられていることがあれば教えてください。

樽本:岩国に2拠点目を立ち上げましたが、いきなり拡大するつもりはないので、少しずつみんなが成長していって、中国5県にはいずれ出したいと思っています。

あとはAI警備を世の中に浸透させることに注力していきたいと思っていて。新しい時代にふさわしいサービスのあり方で、必要だと思うことはどんどん提案していきたいなと。


──吉本部長のインタビューにも岩国を今回立ち上げて次は三次、岡山の順番で立ち上げたいと書かれていましたね。

関連記事:【インタビュー企画】第13回 常に前進、常に成長を意識している警備事業部のマネージャーが仕事で大切にしている3つのこと ←当時マネージャー、現在部長


──警備事業の立ち上げ秘話についてお聞きしました。ありがとうございました!

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