このシリーズでは、株式会社シナジーの社員や役員にインタビューを行い、
「シナジーってどんな人がいるの?」「ぶっちゃけどんな仕事してるの?」「シナジーに決めた理由は?」などなど、赤裸々に話してもらいます!
シナジーの雰囲気や歩み、社風などを知っていただければ幸いです!
今回は、2004年に始まった、人材派遣事業の立ち上げ時のエピソードを樽本社長にお話をしていただきました!
ーまずは約20年前、新しく人材派遣の事業を立ち上げた時の経緯をお聞きしたいです。
樽本:人材派遣は、自分が考えるビジネスモデルを展開していくための第一弾として立ち上げた事業なんです。
自分の脳内の理想を実現していくには、ベースになっていく売上と収益が必要だと考えたんですね。
当時は小泉さんが総理大臣を務めていた時期で、法律の改正があり、新たに製造業の派遣が解禁されるタイミングでした。
当時すでに大手の派遣会社は存在していましたので、弊社のような小さい会社が新規事業をスタートするには「こういった新しいことがはじまるタイミングでないと土俵に上がれない」と考えて参入しました。
ー法改正を好機と捉えて、チャレンジなさったのですね。
樽本:そうです。人材派遣は人件費の立替え業でもあり、キャッシュフローの点で難しい部分もあります。
実際に参入障壁も高く、不動産の売買と同じくらい難易度が高いと感じています。
当時は派遣の許可を取る際の財務要件として資本金が1,000万円以上必要でした。当時の弊社の資本金が700万円だったところを現会長にお願いをして増資をして、スタートしました。
ー実際の事業立ち上げの際の苦労について、お話しいただけますか?
樽本:当時はまだ資本のない会社で、求人広告への投資があまりできなかったんです。だからと言って他の方法があるわけでもなく、地道に取り組むしかないという状況でした。
ーそういった状況の中で、最も厳しかったことは何でしたか?
樽本:立ち上がりが想定以上に厳しいものでしたね。弊社のネームバリューが低かったこともネックでした。
求職者から見た場合、まったく知らない会社ですから、その点での採用が非常に難しかった。覚悟して参入したものの、現実は思っていた以上に厳しかったです。
ーそれは大変でしたね。厳しい時期はどれくらい続いたのでしょうか。
樽本:実は、初めの1年間はほとんどが暗闇のような状況でした。
私一人で全てを行うと決めていたので、相談もできなければ言い訳もできない。業務管理の仕組みも整っていなかったため、全てを一から作り上げなければなりませんでした。
ー誰も頼る人がいない状況というのは、かなりハードですよね。それでも1年頑張り続けられたのはなぜでしょうか?
樽本:僕は自分が思い描いていたビジネスモデルを実現したい、という強い思いでシナジーに来たので、「形になるまでやる、這ってでもやる」という意識で進んでいました。
今もまだ全然ですが、試行錯誤して諦めずにやり続けるしかないと思っているんです。
ー続いて、リーマンショック時(2008年頃)のご経験についてお伺いします。当時の状況や感じたことをお話しいただけますか?
樽本:リーマンショックは、非常に厳しい時期でした。順調に伸びていたはずの売上が半年で7分の1に縮小するなど、ジェットコースターのようで……
正直、なすすべがなく、抜本的な解決策も見当たらない状況でした。人間は1人では非常に無力だと感じましたね。
ーそのような厳しい状況の中で、何が一番の支えだったと感じますか?
樽本:身近にいる人の支えが非常に大きかったですね。社員には「こんなどっち向くかわからない会社、心配だったらいつやめても良いよ」と言ったんですが、誰も辞めずに「みんなで頑張って仕事を探しましょう!」って言ってくれて。
手分けをして、できる仕事を片っ端から取ってきてくれました。
それから、ある金融機関の担当者が励ましてくれて、実際に融資を実現してくれたのは本当にありがたかったです。
当時私はまだ常務だったのですが、リーマンショック前にローンを組んで家も建てようとしてたんです。その家のローンも会社への融資も取り次いでくれた彼が、家を建てるように言ってくれた言葉が印象的で。
「常務にこんなことで負けてもらったら困るんです。もっともっと社会のなかで羽ばたいてほしい。苦しいかもしれない。
会社がどちらを向くかわからない状況の中で、もう1個、厳しいこと言うのは申し訳ないけど、常務はこれを乗り越えられる人だから、僕と一緒に挑戦してくれませんか」と。
こんなことを言ってくれたんです。不景気の中で融資を通すことは、彼自身も上の人から反対もされることでしょう。
それでも彼は「うちの会社にとって明るい存在になる」と力説してくれて。かなり救われましたね。
ー10人いたら10人が「やめておけ」と言いそうなものですが、その担当さんも樽本社長もすごいですね。
樽本:命までとられるわけじゃないし、何かあった時にもそこに立ち返ることができるし、よいかな、と思って、家も建てることにしましたね。
難しい状況にも関わらず、家も会社も融資を通してもらえました。人に恵まれていたんだと思います。ラッキーな人間だったと。
ー魅力的な人に人は集まるのだと思うので、ラッキーだけでもないのかな、とは思うのですけれども。
樽本:客観的に「ラッキー」ってすごく大事にしてるんですよ。科学的にも、運って証明されつつあるので。
「いかに運を味方につけるか」、というのも経営者の資質として大事なんだな、とその時の経験でも感じました。
15年前の出来事ですけれども、大きな糧になりましたね。あれほどのどん底の経験はもう、そうそうないだろうなと思うので。コロナになっても全く全然でしたよね。
ー過去のしんどさと比べると全然ましだと。
樽本:そうですね。創業して大して時間も経ってない時に、結構厳しいことはいっぱい経験してるんで、何が起きてもあまり驚かないだろうなと。淡々と、感情を出さずに冷静でいることを大事にしています。
ーリーマンショックの時の困難を乗り越えて、どういった気付きや学びがあったのでしょうか。
樽本:ないものに目を向けるのではなくて「あるものを大切にすること」、そしてそれを活かして前に進むことの大切さを学びました。
今もそれは大事にしていますね。仕組みを作ってでも、意識してやっていかないといけないと。
それから、やはり「価値観ってすごく重要だな」とも感じました。自社の価値観にあう人、優秀な人が増えないと、仕組みを活かしていこうとも思ってもらえません。
結局のところ「採用」が経営のど真ん中に来る必要があると感じましたね。
傷ついた会社を立て直していくためには、投資をして回収していかなければならない。どうしても中小企業は日々の業務に目が行きがちですけれども。
ー「あるもの探し」と「採用力の重要性」を認識なさったということですね。
樽本:「採用力」の重要性に関しては、リーマンショック以前から感じていました。最近「時代がようやく追いついてきたな」と思うことはありますね。
自分が信じてきた方向性、ビジョンに関して大枠はあっているな、と感じています。
次の大きなビジョンとしては、採用に関わる知見を貯めて、一つ一つの会社の課題解決にチューニングできる、オーダーメイドなサービスがしたいな、と考えています。
ー次のステップのお話についてもお伺いしたいのですが、こちらはなんだかボリューミーになりそう…!ということで、またの機会により深掘りできたらと思います!
新規事業立ち上げの経緯や、厳しい時期を乗り越えた経緯について、貴重なお話をありがとうございました!