①シェルフィーに出会うまで
*上京してから出会った「プログラマー」という仕事
中学・高校時代はバンドを組んだり小説を書いたりして過ごしていたので、将来は「バンドで食べて行こう」「小説家になろう」と考えていました。その頃はまだエンジニアとは無縁でしたし、サラリーマンになるという発想すらありませんでした。自分はバンドマンか小説家で成功すると思っていたのです。そんな思いを抱きながら、高校卒業後すぐに上京しました。しかし現実は厳しく、割に合わない仕事だとは感じながらも、荷物の仕分けや交通整備のアルバイトをしながら生活していました。
そんな中、もっと良い仕事がないかと探していた時に見つけたのがプログラマーという職種でした。「これだ!」と思いましたね。これなら自分のパフォーマンスに見合った報酬がもらえるなと。それと小学生の頃からゲームが好きだったこともあり、ゲーム開発に興味があったのもプログラマーになった動機の一つです。小学生の頃にファミコンが出て以来ファミコンの進化とともに学生時代を過ごしてきたので、ゲームへの思い入れは強いんですよ(笑)
そんなわけで、ソフトウェア開発の道を歩み始めることにしました。
*エンジニアとして試行錯誤する日々
開発の勉強は独学で行いました。PCは使わずに、本を読んで勉強しました。もともと本を読むのが好きなこともあったので、まったく苦にはなりませんでした。読んでも読んでもまだ勉強することは出てくるんですよ。「これはどうやって動いているんだろう」といった好奇心が尽きなかったのもエンジニアの素質の一つだったのかもしれません。エンジニアとしてのキャリアは組み込みJavaOSを開発する会社から始まりました。そこで一流のエンジニア達に色々叩き込まれたことが今に生きていると思います。
それからスタートアップを渡り歩いたりフリーランスになったり結婚を考えて正社員になったりしながら、東京で10年ほど試行錯誤の日々を過ごしました。その後、色々あって一旦は実家のある栃木に戻ってエンジニアと別の仕事をしていました。ゲームのシナリオを書いたり法律系の資格を取ろうとしたり有料道路の料金係をやったりしながら気ままに暮らしていたところ、宇都宮にあるエンタメ系の会社が事務職を募集していたので「プログラミングスキルをめっちゃ活用するスーパー事務員になろう」と応募してみました。その結果、エンジニアとして採用され、図らずもエンジニアに復帰しました。ここでは社内で唯一のエンジニアとしてフロントエンドもバックエンドもインフラも全て自分一人で担当していたので、最近のテクノロジーをキャッチアップできました。
*「1人目のエンジニア」として企業の文化を作るエンジニアに
エンジニアに復帰してしばらくすると「またIT企業で活躍したい」という気持ちが強くなりました。都内にある企業を8社ほど受けたのですが、そのうちの6社は大手企業、1社は研究開発がメインの特許系スタートアップ、そしてあと1社がシェルフィーでした。大手6社には私の長い履歴書はウケが悪かったようで、採用してもらえませんでした。逆に、シェルフィーを含むスタートアップ2社は私の長い経歴を面白いと評価してくれました。
シェルフィーを選んだ決め手は会社の雰囲気でした。IT企業だと「最先端テクノロジーで勝負する!」という尖った雰囲気がありがちですが、シェルフィーは他の企業と比べ、メンバー同士の仲の良さが際立っていました。また選考を受けていた特許系ベンチャーにはすでにエンジニアが沢山いた一方で、シェルフィーで働けば「一人目のエンジニア」として組織文化を作っていく人になれる。そんなところに惹かれてシェルフィーで働くことを決めました。
②シェルフィーに入社してから
*エンジニアにストレスフリーなプロダクトをつくる
シェルフィーに入社して、マッチングプラットフォーム「SHELFY」の刷新を行いました。その後採用を進めてチーム編成をし、「SHELFY」のドキュメントの整備やコードの負債の返済、開発ルールを共に考える会を開いたりしながら、開発チームがうまく回るような工夫をしました。
負債の返済ですが、チームで仕事をするに当たって、他のエンジニアが見てわかりやすいプロダクトの状態を作りたいという思いがありました。「無駄なコードがある=迷路」なんですよ。せっかく読み進めていったのにそれがいらないコードだった場合、「行き止まりだからまたスタート地点に戻らないといけない」といった感じで消耗します。やっぱり、読めば読むほど真っ直ぐ前進できる方が良いじゃないですか。なので、無駄なコードの整理やドキュメントの整備など、これからジョインするエンジニアのためにもプロダクトの「あるべき姿」を作ることを心掛けています。
最近は「SHELFY」のバックエンドの仕様変更のためのリサーチ業務も行っています。主に経営判断に関わる数字を可視化しています。以前は「プロダクトを作る」ことに専念していたので一緒に仕事するメンバーが固定されていましたが、今は様々なプロジェクトチームと関わりながら仕事をしています。色々なミーティングに参加しながらメンバーがどんなことで困っているのかを探し、エンジニアとして力になれることを優先順位をつけて行うよう努めています。「社内で職探し」をしている感覚ですね。
*居心地の良い職場環境
シェルフィーでは裁量が大きいこともあり、こうしたいと提案した時にマネージャーが「いいね!」と言ってくれる環境があります。「ああしてこうして」と言われることもないので、最適だと思うことを自分で考えて進めていける状態にあるのもやりやすいです。それから人間関係においてストレスフリーな点が最高に良いです!というのも、シェルフィーのメンバーは、メンバー間で何か問題があったときでも正攻法で突破できる優秀さを兼ね備えているからです。変にギスギスせず健全に議論する環境が社内にあります。
また納得感を持った決定プロセスを大事にしている点もシェルフィーらしさだと感じます。トップダウンで納得いかない命令に従わされるといったことは、まずありません。「モヤっ」としたことは率直に表明することが推奨されており、そのモヤモヤが解消されるまではメンバー全員でそれに向き合います。一人一人が大切にされている会社だと感じています。
③エンジニアとしての今後について
*エンジニアにとって働きやすい環境を作りたい
シェルフィーには私も含めて4人のエンジニアがいますが、全員が主体性MAXです!そういった主体性MAXのエンジニアがさらにシェルフィーに増えてくれると嬉しいですし、今後ともそのようなメンバーのためにもストレスのないチーム環境を整えて行きたいです。
入社前の面談でメンバーの鈴木から「シェルフィーで一緒に開発ルールを作っていきましょう」と言われたのがとても印象的でした。その言葉にもあるように、まだシェルフィーでは開発ルールが確立していないんですよね。かといって、急ごしらえで納得感の低いルールに従いながら仕事をすると、主体性や創造性が制限されて生産性が下がります。主体性があるエンジニアたちには、できるだけ制限されることなく最大限の責任と裁量を持って自走して欲しい。それを実現するためのルールを皆と一緒に考え、エンジニアにストレスのない環境を作ることが私の目指すところです。
*「スーパー0→1マン」になりたい
プロダクトは、生まれてから成長して終焉を迎えるまでの各フェーズによって重視すべき品質指標が異なります。最初のフェーズでは最低限の機能をいかに早く提供するかという機能性と開発効率が重視されます。開発速度を優先するために他の品質指標を犠牲にするといったトレードオフも行われます。その後のフェーズでは保守性を保つために開発プロセスを定めたり、スケールアップのためにインフラ整備をするといったように、重視すべき指標も仕事の内容も変わっていきます。
私はその中で、プロダクト初期フェーズにおける「スーパー0→1マン」になりたいと思っています。スーパー0→1マンとは、例えば犬猫版のPairsを作りたいと言われたら25分で作れてしまうような人です :-) 頼まれる前からインフラ込みでPairsの基礎部分は用意してあるといったイメージですね。「この言語ができます」や「この言語を何年やっていました」というスキルセットよりも「〇〇版のPairsをサクッと公開できます」「〇〇版のWantedlyを一時間で公開できます」という枠でエンジニアを評価した方が面白いじゃないですか。スキルセットではなくサービスセットで勝負する。そういった「スーパー0→1マン」の世界観を広めていくことも今後していきたいですね。