採用成功のために求人媒体の営業をやっているのに、本質的な支援ができている実感を得られにくい。
今回インタビューした久門さんもマイナビで売上実績3位という成果を残しながらも、自身の仕事内容に悩んでいた人の1人です。
そんな久門さんが今目指しているのは、より良い組織づくりを実現できる企業人事。その過程の中で自身の成長を考え、OTOGIで働くことを選択しました。なぜ人事を目指す中でOTOGIで働くことを決めたのか。
今回はそんな久門さんのこれまでのキャリアを紐解く中で、OTOGIで得られるスキルに焦点を当てていきます。
久門茉莉子/プロデューサー
2022年甲南大学を卒業後、株式会社マイナビへ新卒入社。媒体営業から、求人広告の運用までを一気通貫で経験し、同期50名中3位の売上実績を残す。その後1年でマイナビを退職し、現在はOTOGIで代理店営業と Wantedlyの運用に従事する。
新卒で売上第3位。実績の裏で感じていた媒体営業へのモヤモヤ。
ーー新卒でマイナビに入社されていますが、就活生だった時代の話をお伺いしたいです。
学生だった頃、部活動にとにかく力を入れていたんです。それが大学4年生の秋口まで続いていたので、本当に忙しなく進んでいく部活動の合間に就活を行う、という形でした。また、そもそも自分の中に「今をしっかりと楽しく生きる」という考えも根付いていたので、部活動に割く時間が1番大切で、正直就活は二の次という位置づけにもなっていたかなと考えています。
そういった考えが根付いたのは実家で家業を営んでおり、自分の中でその選択肢は浮かんでませんでしたが「本当にやばくなったら実家の会社に入れば良い、だからそこまでは好きなことをして、楽しく生きる」という考えがあったんじゃないかなと。結果として、就活でエントリーシートを出したのは5社ほど。乳製品が好きだったから乳業系の数社と、昔から面倒見が良いと言われ続けてきてキャリア相談に乗る人材系がいいんじゃないかと勧められ、その時に使っていた「マイナビ」を運営するマイナビにだけ応募しました。
ーー最終的にマイナビに入社を決めた理由はなんだったのでしょうか。
マイナビだけが「これまでの自分」に対してフォーカスを当ててくれていた印象が強かったからです。大半の面接はその会社への志望理由であったり、これからの展望だったりを質問されるじゃないですか。それはおそらくその人のキャリアにとっての最適解を見ているのではなく、あくまでも会社都合での目線で「合ってるか否か」を判断しているものだと思っていて。
ただ、マイナビだけは「過去の自分」についてひたすら質問をされ、「自分を見てくれているんだ」ということが伝わってきたんです。「自分自身」を選んでくれていることに好感を持ち、新卒でマイナビに入社することを決意しました。あと、乳業系の会社は転勤の多さが明示されていて、マイナビは99.9%大阪勤務であることも決定要因の1つに入っています(笑)
ーー勤務地は大切ですよね(笑)マイナビでの業務内容について教えてください。
テレアポでの新規開拓、実際の商談、ご契約いただいた企業の求人掲載、定期的に行われるレポーティング、掲載している求人の見直し、という形で営業から掲載終了後までを一気通貫で行っていました。入社後すぐは上長に商談同席してもらっていましたが、3ヶ月ほどで単独で行動するようになり、同期が50名いる中で年間売上で3位にランキングすることができました。
営業をやり始めた当初は、これまでの人生での勝ちパターンでは通用しないことに挫折していたんです。大学の授業も正直「愛嬌」で先生と仲良くなったり、授業中に適度に発言して好印象をもらったりと、それっぽく行動するだけでどうにかなることが多くて。でもいざ仕事をし始めると、当たり前ですけど、それだけでは売れない。商談をするお客様の情報を念入りに調べ、商談の流れを前日までに作り込み、上長にもその内容を確認、ロープレしてもらい、当日の商談に臨む。そういった事前準備を徹底することの重要性をマイナビでは学びましたね。
ーー50人中3位はすごいですね...マイナビでは実績も作り、学びも多かったと思うのですが、退職を決意したのは何がきっかけだったのでしょうか。
ゴリゴリと営業をやっている中で、どこか自分の中でモヤモヤしたものを抱えていたんです。きっとそれは自分の中で「没頭しきれていない感覚」だったんじゃないかと。マイナビというプロダクトは歴史もあり、利用者数も非常に多いサービスです。しかし、掲載媒体という特性がある以上、応募のその先に関与することはできませんし、掲載できる求人数や修正回数にも限りがあることから、本当の意味でお客様を採用成功に導けていないように感じに葛藤していました。
また、私は営業担当であり、課せられている目標は売上の最大化ですが、それで本当に自分は誰かに対して価値を提供できているのか。そんな心苦しさが、成果をあげて表彰されることや、採用というソリューションでの学びを得ることを上回ってしまったことが、マイナビを退職するきっかけですね。
幸福感は没頭から生まれる。没頭の鍵を握るのは自己の存在価値。
ーーマイナビ時代に感じていた「没頭できていない」「存在価値を感じられない」という感覚への違和感は、どの時代に醸成されたものだったのでしょうか。
冒頭でお伝えした部活動での体験が非常に大きいと考えています。高校1年生から大学4年生まで、アメフト部のマネージャーをしていて、その当時は綺麗に言語化できていませんでしたが「自分の存在意義が明確になっている」状態ほど、「目の前の物事に没頭できている」状態となり、結果として「その時の自分にとって幸福度が大きい」と感じられていたんだなと。
そこで感覚的に「価値発揮できている=没頭できる」となっていたことから、マイナビで価値発揮ができていない状態に対して、没頭していない感覚が違和感として残り、心の中でずっとモヤモヤとした感情を抱えていたのではないでしょうか。
ーーマネージャーとしての活動はどういったものだったのかお伺いしたいです。
高校1年生、入部したばかりの最初の1年間は、おそらくみなさんがイメージしている部活動のマネージャーとして活動していました。ドリンクを用意したり、洗濯したり、もうとにかくガムシャラに動き回っていました。転換点になったのは、2年生になったすぐ後のこと。その当時のキャプテンがマネージャー陣に対して「お前らの役割ってなんやねん、誰にもできるようなことをするな」と言ったんです。その言葉が自分の中にぐさっと刺さって。
メンバーが多くないチームだったので、1人1人の動きがすごく重要で、特に試合の時はマネージャー以外全員がグラウンドに出ているような状況。自分もそのチームの一員なんだと考えが改まり、自分にできることはなんなのかをひたすら突き詰めて考えていきました。
高校生のアメフトの試合では前例がないほどベンチから指示出しの声を出したり、練習中のタックルの姿勢を見て「良いタックル」を勉強したり、コーチがいたのでその人から練習方法を盗んで選手たちのトレーニングのサポートに入ったりと、試合に出ていなかったり、グラウンドにいなかったりするからこそ出来ることをひたすら探して、実践していました。
ーーマネージャーというよりかは、トレーナーやコーチに近い働きですね。
そういう表現の方が近かったのかもしれません。キャプテンに言われた「誰にでも出来ることではなく、自分にしかできないこと」を私自身が意識して探すようになり、結果それがチームの勝ち星を増やすことに繋がっていって。やっぱり試合に勝てるようになると嬉しいですし、もっと貢献できるようになりたいと思うようになって、という好ループに入っていたように感じますね。そこで得た価値発揮ができている感覚や存在意義がある感覚と、何かに没頭できている感覚とが紐づくようになり、結果として4年生の秋まで部活動を続けてしまいました(笑)
採用狭報を学んだ先に見据える、人事としてのキャリア。
ーーマイナビでの葛藤とその感情の源泉についてお伺いできました。久門さんはマイナビ退職後、現在はOTOGI社で働かれていますが、どういった経緯があったのでしょうか。
マイナビを退職する直前、家業を継いでいる兄から「行き先が決まっていないのであれば、久門製作所(実家の会社)の人事をやるのはどうか?」と意見をもらったんです。もともと実家の会社に入るつもりはなかったのですが、マイナビを辞めてからのアテもなかったので、ちょうど良いと考えて入社を検討していました。
しかし、久門製作所の求人を以前マイナビに掲載したことがあり、しかもそこで1名も採用に辿り着かなかったことも思い出したんです。「このまま久門製作所の人事として活動しても、何も成果を残せないかもしれない」。マイナビに所属していたときに感じた「これ以上価値発揮できない」という葛藤を同時に思い出しました。人事として活動するにしても、もっと採用スキルを身につけないと意味がないと考え、1年という短期間でスキルを得られる環境を求めて転職活動をはじめました。
ーー営業スキルは身についていたが、より広い意味での採用スキルを持っていないと判断したということですね。
おっしゃる通りです。マイナビの知見は当然ありますが、より上流にある採用戦略の設計や、リクルーターとしての面接力も身につける必要がある。しかし、社会人歴1年ほどの私を採用コンサルなどを提供している会社が受け入れてくれるはずもなく、どうしようかと悩んでいた中、紹介で出会ったのがOTOGIでした。
ーーすごい縁でOTOGIと繋がったんですね。他の会社と比較しての印象はどうでしたか。
OTOGI代表の山本とは2回面談をしたんです。山本は1回目の面談の際、私が「インターンでもいいからOTOGIで働かせてください」と伝えたことに驚いていて、少し時間をくださいと言われて。でも、改めて時間をとっていただいた際には、私がOTOGIでどんな成長を描けるのか、そのためにはどんなことをしないといけなくて、その際の給与はどれくらいなのかを事細かに考えて持ってきてくれ、そこまで私のためにしてくれるのかという衝撃を覚えました。
「とにかくスキルを!」という想いで会社を探していたので、OTOGIが1社に深く入り込み、上流の採用戦略を設計するところから、実際に求人やストーリー記事を作成するところまで携われるのも非常に魅力に感じましたね。
ーー現在はOTOGIでどのような仕事を行っているのでしょうか。
大きく分けて2つ役割を持っていて、1つが代理店開拓、もう1つがWantedlyの運用です。前者の代理店開拓は、OTOGIがサービスとして提供している「採用狭報支援サービス」を販売してくださる代理店さんを探し出し、代理店契約を締結するところまでを担っています。1つの採用媒体に依存せず、採用担当からすれば痒いところに手が届くサービスを提供していることもあり、心の底から代理店さんたちにOTOGIをお勧めできています。
Wantedlyの運用の方では、ご契約をいただいた企業の求人記事の作成と見直しを行っています。他社で応募数を獲得している求人を分析し、カスタマイズして求人を作成、PV数や応募数をもとにまた分析し、次の求人を作成するという業務内容です。Wantedlyは、1社が出せる求人数や求人の修正回数に制限がない点が魅力で、ターゲットに向けたタイトルの打ち出し方などもABテストをしながら積極的に挑戦していけます。
ーーOTOGIに入社してから感じる、OTOGIで働く魅力についてお伺いしたいです。
マイナビを辞めた際の理由にもある「自分の存在価値」を感じられるのは最初にお伝えしたい魅力です。そもそも「採用狭報」という考え方自体が非常にニッチでありつつ、どの企業も必ずと言って良いほど取り入れた方が良い採用施策だと感じていて。一方で世の中にはまだ浸透していないからこそ、「そんなベネフィットがあるのか!」「それはやらない手はない!」という反応をもらうたびに、自分が今の仕事をやっていることの意義を感じられます。今OTOGIで働く中で、まさに没頭できているなと感じられるのも、OTOGIが提供する事業のポジショニングの良さなのではないでしょうか。
もちろん、働く中で採用関連のスキルが培われていくのも魅力だと捉えています。これまでは、求人を作成するタイミングで3C分析をしたこともなかったですし、実際に運用していく中での求人の細かなPDCAもほとんど回せていない状態でした。それがOTOGIに入社し、実際にWantedlyの運用を進めていく中で競合もペルソナもその企業自体も深く分析していくことを経験し、マーケティング的な思考までも身についている感覚すら持てています。
また、OTOGIが掲げている理念に「OTOGIを通して人生と人間性を豊かにする」というものがあり、社内で取られるコミュニケーションも、展開している事業にもその理念が深く浸透していることを実感しています。私自身も「関わった人を笑顔にする」という個人的なミッションを持っていて、でもそのミッションを実現するためには自分自身にもっとスキルがないといけないことも気づかせてもらって。これはOTOGIで働くメンバーが当たり前のように「関わる人たちを豊かにしよう」と考え、深く向き合おうとしてくれているからこそのことだと感じています。そういった本当の意味で「人を大切にする」という文化があることもOTOGIで働く魅力ですね。
ーー最後に、久門さんの今後についてお伺いしてもよろしいでしょうか。
自分が関わりを持っているクライアントの数が増えたとしても、提供できるサービスの質を絶対に落とさないよう、自分自身のスキルに磨きをかけていきたいと考えています。採用狭報という考え方自体、ピンポイントで深くしっかりと刺さるようなコンテンツを発信していくことが本質にあると思っていて、OTOGIで働く中でもその本質を体現できるようになりたいですね。
また、OTOGIという会社をとても魅力的に感じているからこそ、いざ久門製作所に人事として戻ったときにはモデルに設定して、会社自体をより良いものにしていける人材になりたいとも考えています。元々は人事としての採用スキルを、という考えでOTOGIには入社していますが、メンバーと関わりを持つ中で、自分が仕事をする中で、「こんなにイキイキと働ける会社があるのか」ということを強く実感したからこそ、OTOGIで実践されている組織作りを全て学びとれるようなスタンスで日々を過ごしていきたいなと考えています。