株式会社マイベスト、代表の吉川と申します。
mybestアドベントカレンダーのラストバッターを任されました。
普段あまり情報発信をしていないので、何を書いていいかわからないですが、自分のキャリアや起業した経緯などについてこれまであまり話してこなかったので、これまで僕が何を考え、どういう体験をして今に至っているか、誰かの参考になればと思い、書いていきたいと思います。
僕は新卒で投資銀行に入社し、IPOの引受業務に6年間従事していました。その後カカクコムに転職。新規事業準備室で事業責任者を2年間経験した後に、起業しました。
元々投資銀行のような管理サイドにいた人間が、事業サイドへ移って、更に起業するというのは珍しいケースなのかなと思います。ぶっちゃけ紆余曲折ありますが、これまでの思考の変遷を本音ベースで書いていこうと思うので、同じようなキャリアを考えている人の参考になれば嬉しいです。
(文字が多くて読みにくくてすみません。)
<第1章 CFOに、俺はなる!!!>
東証の鐘を鳴らせてもらった時の写真。投資銀行の人でこれを鳴らしたことがある人はあんまりいないと思う。超貴重な経験。
投資銀行に就職した経緯
僕は2008年に新卒で大和証券SMBCという国内の投資銀行に入社しました。
なぜ投資銀行に入ったかというと「成功したい、お金持ちになりたい」と思ったからです。
ただちょっとした成功やちょっとしたお金持ちになるのは嫌でした。自分の場合、小金を手に入れると卑屈になるのがわかりきっていたからです。
僕はどちらかというと自分に甘く、貯金なども計画的にできないタイプ。小金を手に入れたら、それに執着し、楽しい人生を送れないのではないか。そう思った僕は、「大きな成功&めちゃくちゃお金持ちになる」ことを目指すことにしました。
僕は「大きく成功したい、めちゃくちゃお金持ちになりたい」を実現するために、どうすればいいか考えました。その時に参考にしたのは世界の「長者番付」です。
当時、世界長者番付の1位はビル・ゲイツ、2位はウォーレン・バフェットでした。つまり「事業家」もしくは「投資家」が最もお金持ちな職業ということです。ただ、僕は「投資家」という職業にはあまり興味が沸かず、また「事業家」になるようなビジネスアイデアもありませんでした。
僕はその時に、「事業家のパートナーとして成功する、つまりCFOとして事業家と一緒に成功することができれば、事業家ほどではないにしろ、大きな成功を収めることができるのではないか」と考えました。そしてCFOって、なんかお金のニオイもプンプンしそうです。
「CFOに、俺はなる!!!」
そう考えた僕は、当時ミクシィのCFOとしてベンチャー界隈でブイブイ言わせていた小泉文明さんに着目しました。小泉さんは、投資銀行でIPOの引受業務をしていて、その後ミクシィに転職していました。
「投資銀行のIPO部門に行くのが最もCFOになる最短距離だ!!!」
そう思った僕は小泉さんのいた投資銀行のIPO部門で働くことを決意し、就職活動を行い、めでたく就職することができました。
IPO部門での仕事
そんなこんなでIPO部門で働くことになりました。IPO部門の主な業務は2つで、IPOを目指す会社のコンサル業務と、実際にIPOする時の株式の引受業務です。コンサル業務は担当会社の資本政策や内部管理体制整備をお手伝いするといった内容で、IPO時の引受業務は手続きやバリュエーションなどIPO時の資金調達に関わる一切を行っていました。
IPO部門での仕事はとても楽しかったです。
IPOは数年間かかる長いプロジェクトで、IPOという明確なゴールに向かってお客さんと二人三脚で取り組む仕事です。何の問題もなくスーッと上場できることはほぼなくて、長いプロジェクトの中では必ず人間臭いドラマが存在します。時にはお客さんと仲が悪くなることもありますが、IPOをすれば肩を抱き合い、その成功を一緒に喜ぶことができる素晴らしい仕事で、とてもやりがいを感じていました。
仕事をしているうちに考えが変わってきた
ただ元々CFOになりたいと思っていた気持ちは、入社したときから徐々に薄くなっていきました。というのも、業務の中で、担当している企業の社長や事業部門の人の話を聞いているうちに、「事業やるって楽しそうだな」、「事業側へ行ってみたい!」という気持ちが強くなってきたからです。
その後、事業側へ行きたいという気持ちは日に日に強くなっていきます。ただ実際に事業経験もなく、今いきなりベンチャーへ転職しても、戦力にすらなれなそうだなと感じました。
ベンチャーへ行って事業をする前に、事業を勉強するステップを踏もう。そう考えた僕はカカクコムの新規事業準備室へ転職しました。
ぶっちゃけ年収は半分近くになりました。右脳は転職したくない気持ちでしたが、左脳が転職したほうがいいと言っていました。なので、めちゃくちゃお金持ちになることを考えて、全く気にならないふりをしました。
<第2章 まじめな顔したクレイジー企業、カカクコム>
アプリの中でシュール系の動画を紹介する「シュール・ザ・スカイウォーカー」の撮影風景
カカクコムに転職も知識なさすぎてヤバい
そんなこんなでカカクコムの新規事業準備室に転職しました。新規事業準備室とはその名の通り、新規事業を立案し、実際に事業化する部門です。
カカクコムは、価格.com・食べログという2大サービスがありますが、3本目の柱はマーケットから見ても待たれているところ。そんな会社の新規事業準備室にいけば、新規事業の企画が組織的に活発に行われていて、当時流行りのリーンスタートなんかしている事業がたくさんあって、とてもいい経験ができるのではないか?と考えて入社しました。
しかし新規事業準備室で働き始めて2日目くらいに気づきました。僕は完全放置されていました。
入社当日に、役員から「売上が最低100億くらいいく事業を作って」という指示のみ受け、後は本当に完全放置でした。もちろん手取り足取り教えてくれる人はいません。その時の僕は、Webサイトはエンジニアが全て作ってくれると思っていて、デザイナーという職種があることを知らないレベルで、本当に右も左もわからないレベルでした。
「これはやばい。」
新規事業を立案できないと事業経験も積めないので、まじで転職した意味ないレベルです。
事業に関して猛勉強。そして事業化!
そう思った僕は、猛烈に勉強しだします。ディレクションの知識はもちろん、国内・海外のスタートアップ事情や、業界分析、他企業のビジネスのKPIを把握するなど、新規事業を立案するために、今思えば結構頑張ったと思います。残業も毎月100時間超とかでしてたと思います。
毎回いくつかビジネスアイデアを考えて上司や役員とMTGをするのが僕の日課でした。その中で入社して1ヶ月経たずして、動画キュレーションアプリ(gunosyの動画版みたいなやつ。topbuzzvideoが近いです)のビジネスアイデアが採用されます。
「事業化していいよ」という役員の一言で事業化することになったのですが、先ほども言ったとおり、「デザイナー」という職種すら知らないレベルの僕です。どう立ち上げればいいのか右も左もわからないのに、僕の裁量はヒクくらいありました。
当時のカカクコムは社内の人を使って事業化するのではなく、基本的には外部から採用するなどして、全て自分で事業体制を構築していく必要がありました。その中で予算確保・採用・サービス作り・事業運営など、ほとんど全ての権限が僕にはありました。
チーフエンジニアのみ社内の人でしたが、そこからエンジニアや運営周りの人を採用し、サービスを作っていきました。最初の1ヶ月くらいは、「ルビー」とか「デプロイ」とか、皆が話している用語がわからなすぎて泣きたくなる毎日でした。
ただ先ほども言ったとおり裁量だけはハンパじゃなくある。正直、そのときデザイナーという職種すら知らない僕に、数千万円というレベルの予算を自由に使わせるカカクコムはまじでクレイジーな企業だと思いました。
ただこれは後になって思いますが、自由な環境でお金だけだして、あまり口出しをしないカカクコムの姿勢は、大企業が大きな新規事業を作るために必要な体制なのかもしれません。むしろそういった意味では、カカクコムの新規事業準備室は本当に大きなチャンスをもらえる部門なので、新規事業がやりたい人は転職をおすすめします(笑)。
事業撤退。めちゃくちゃ勉強になりました。
話は戻りますが、僕はなんとか1ヶ月半でサービスをリリースするところまで漕ぎ着けます。その後は以下にPDCAを早く回せるかの勝負。ただ、色々と試行錯誤をしましたが、半年ほどで事業撤退の判断をしました。
先ほどカカクコムには手取り足取り教えてくれる人がいなかったと言いました。確かにそんなやわな教え方はしてくれませんが、事業立ち上げ経験のある役員や新規事業準備室長は、事業立案・運営のプロフェッショナルで、的確なアドバイスはもちろん、考え方やノウハウなど、今思えばめちゃくちゃいい勉強をさせてもらいました。事業作れるようになりたい人は、本当に転職をおすすめします(笑)
そして起業へ。また考えが変わっていました。
その後、いいビジネスアイデアを思いついた僕は、カカクコムを退社し、起業を決意します。
正直このときには、事業を考えたり立ち上げたりするのが楽しくて、お金持ちになりたいという考えは既に無くなっていました。というより、お金のためであれば、確率的にも起業は割にあわないと思います。役員とかのポジションでイケてるスタートアップを何社か渡り歩いて勝ち馬に乗るのが、期待値的には一番高いような気がします。ただ一度事業をやる喜びや楽しみを感じてしまった僕は、お金よりも「やりたいことをやるんだ」という思考になっていました。
<第3章 起業。100円コーヒーはもう見たくもない>
悪夢の100円コーヒー。今思えばめちゃくちゃ良心的なお店。豊洲のR.O.STAR。
起業後、1人で10ヶ月くらいやってました。
IT業界にきてまだ2年も経っていない僕には、一緒に起業するような人もおらず、当初は1人で友人のエンジニアに副業で手伝ってもらいながら事業をスタートしました。
コーヒーが100円で飲める、長居する人を阻むかのような椅子の固い喫茶店に朝8時に行って、毎日12時間くらい過ごす生活をしていました。このお店で100円コーヒーを毎日飲みすぎたせいか、今ではあのコーヒーを見たくもありません。
その後、会社を設立。今に至る。
10ヶ月間、1人で仮説検証をしたのですが、100%いけると確信した僕は、2016年10月に会社を作り、会社へジョインしてくれる仲間を探し出します。
そして2017年1月に代官山に初めてオフィスを借ります。その後オフィス移転を2回経て、今の築地のオフィスに2018年10月から入居しています。
<第4章 今が一番面白いフェーズかも・・・>
この前のハロウィンの様子。出落ちのメイド服姿で登場するも、サプライズで誕生日のお祝いをしてもらうという地獄絵図
お金のことよりユーザー体験
「お金」を入り口に社会人になった僕ですが、今ではお金のことはほとんど考えておらず、頭の中の90%以上は「ユーザー体験を上げるためにどうしたらいいか」考えています。なんででしょうね…(笑)。たぶんそれくらい事業をやるのが面白い、ユーザーのことを考えるのが自分にとっては面白いんだと思います。
もちろんお金の厳しさは知っていますから、会社運営におけるお金の管理はしっかりやっています。ただ元金融家が経営しているにもかかわらず、マイベストはまだ資金調達もしていません。資金調達しないことが必ずしもいいことではないと思いますが、そのぶん事業に集中できているという実感があります。
少人数ならではのメリハリと連帯感でプロダクトを磨く毎日が楽しいです
今何をしているかというと、現在のプロダクトは最高形ではないと考えていて、プロダクトマーケットフィットを達成すべく、日々PDCAを回しています。事業としてはここが勝負所です。プロダクトマーケットフィットを早期に達成できないかぎり、事業として、組織として、会社として、更なる急拡大はできません。
まだ人数は50人もいないくらいで、学校で言ったら1クラスとちょっといった人数感です。少人数ならではのアドバンテージを活かして、フラットな組織の中でメリハリと連帯感を大切にしながら事業運営をしています。
もしかしたら事業としては、これくらいの人数で試行錯誤している今のフェーズが一番面白いフェーズなのかもしれません。信頼できるメンバーたちとこれまで育ててきて少し出てきた事業の芽が、これからの事業運営如何によって、花となって成功するのか、はたまた失敗して枯れてしまうのかが決まります。とてもエキサイティングな毎日です。
<最終章 最後にPRを少し…>
以上が僕の学生の時からの考え方やキャリアの変遷でした。文字多くて読みづらくてすみません。。。
そんないま超面白いフェーズにいると思うマイベストですが、一緒に事業の芽を育てて開花させてくれるメンバーを絶賛大募集しています。事業の育て方は正直な話、まだ決まっていませんが、だからこそ大きな裁量とやりがいと責任があると思います。
僕の経歴を見ても分かる通り、経験不問・ポジション不問で、サービスを大きくしていく熱い気持ちを持ったメンバーにぜひジョインしてほしいと思っています。
「未来にあるべきまだ無いサービス」を一緒に作っていきましょう!