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こんにちは!ミギナナメウエの井上です。
現在は採用支援事業部の責任者として、コンサルタント業務・チームマネジメント・営業業務・マーケティング業務を担当しながら、採用担当などもしています。
11月15日生まれ。蠍座の女です。
鹿児島の中高一貫校で学生時代を過ごし、大学で青山学院大学に進学。
大学3年次にミギナナメウエにインターン入社しました。
さて、ミギナナメウエへ入社してから早5年目。
当時から環境も生き方も大きく変わりました。
今回は、私の今までのお話を交えつつ、ミギナナメウエについてお話しできたらと思います。
少〜しでも興味持ってくださった方がいればぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。
中・高校生時代
私は鹿児島県内の中高一貫進学校で学生時代を過ごしました。
部活は中学一年生から6年間バスケ部。
女子部活の中ではおそらく最もハードな部活で、毎朝5時半に起きて自主練に向かい、部活後も体育館の施錠まで残ってシューティング、週に5日以上体育館で走り続けていました。
学生時代イベントが大好きで、
体育祭では応援団、文化祭では実行委員。
女子初の中等部団長してみたり、高校では副団長してみたり、文化祭の部門長してみたり。
大きいものから小さいものまで、イベントは事あるごとに積極参加してました。
基本的に一般的にしんどいと言われるようなことも何かしら楽しみを見出しながらやるタイプで、
受験勉強などでも朝早く起きて公園行って暗記物したり、保健室でストレッチポールしながら数学解いたり、学校中を歩き回りながら復習したり、いろんな工夫をして楽しみながら取り組んでいました。
そんなこんなで学校生活はかなり充実していた方だと思いますが、全部に共通していた自分のモチベーションは「とにかく楽しみたい」「何かに熱中したい」。
自分が何かに熱中している瞬間が好きで、ずっと何かに夢中になっていた学生でした。
「思ってたのと違った」大学生
そんな輝かしい(であっただろう)高校時代とは裏腹に、大学入学後は大迷走。
都会怖い。人混み怖い。青学生キラキラしすぎ。
高校時代は生き生きと前に出ていた自分が、都会に行って人の波に飲まれ、急速に勢いを失っていく感覚がありました。
高校生時代常に「何者か」だった自分が、社会に出てみたらまったくもって「何者でもない」ことを痛感してかなり落ち込みました。笑
そのまま4年を過ごしたくない一心で、何か熱中できるものを見つけようとサークルに入ってみたり、バイトを8個掛け持ちしてみたりしましたがあまりピンとくるものはなく。
「自分何してんだろ???」と思いながら大学2年までを過ごしました。
ミギナナメウエとの出会い
そんな中出会ったのがミギナナメウエでした。
ミギナナメウエとの出会いは、創業者の古鍜冶と大学で同期だったこと。
古鍜冶は大学・学部・学科・初期設定のクラスまでがたまたま一緒で、
大迷走していた大学1、2年生の頃の数少ないおしゃべり仲間でした。
大学2年の夏、何かの拍子に古鍜冶が個人事業主として仕事をしているという話を聞き、起業に興味を持っていた私が「話聞かせて〜」と軽い感じでご飯に行ったのがミギナナメウエに入るきっかけとなりました。
その後は数回ご飯に行き、翌年7月に連絡をいただき、メンバーとの食事の席を設けてもらい、
とんとん拍子に「じゃあこれからよろしくね!」とミギナナメウエ社員としての人生がいつのまにかはじまってました。笑
当時は「なんか面白そうなこと始まったな〜〜」くらいの始まりだったような気がします。
ミギナナメウエか、就活か。
勤務して約半年。
大学4年になって就活の時期になるわけですが、ここで人生の大きな決断をすることになります。
「新卒」という希少なポテンシャル採用の機会を使って名のある企業の組織体制や教育体制に触れてみるか、このままベンチャーという実力主義社会で生きていくか。
家族のことを考えると「安定した企業に進んで安心させてあげたいな」とか、「ポテンシャル採用の希少な機会を無駄にするのはもったいないな」とか、でも、「自分はいつか経営者になりたいから、修行するならここだよな」とか。
毎日悩んで悩んで悩んで、就活という決断をしかけたりもしましたが、結局選んだのはミギナナメウエでした。
ミギを選んだ理由はいくつかりますが、その中でも決め手だったのはやっぱり「代表 古鍜冶」。
“ほぼ就活”に決めた状態で「ミギナナメウエを卒業しようと思っています」という話をしに古鍜冶とご飯に行ったのに、自分のやりたいこととかなりたいものを話していたら「じゃあウチでいいじゃん、ウチでやんなよ」と一言。
「え?今日卒業の話しに来てんだけど!!」と思いながらも話を聞き進めると、「ミギナナメウエ熱!ここでやっていきたい!!」といつの間にか思っていました。
当時受けていた会社を全てお断りしてミギナナメウエでやっていくことを決めました。
今振り返ると、当時決して黒字人材ではなかった自分のポテンシャルを信じてくれる人たちが社内にいて、一緒にやっていきたいと言ってくれること自体がすごく嬉しかったのが決め手な気もしますし、
何よりも古鍜冶が描く未来が面白すぎた。PRが上手すぎた。
ミギナナメウエで本気でやっていこうと決意した瞬間でした。
その後はとりあえず家族にベンチャー就職を納得してもらうために大学院で一番説得力のありそうな東大(院)を受験。
なんとか受かったので納得していただき、今は大学院に一応籍を置きつつ、フルフルコミットでミギナナメウエにいます。
ミギナナメウエで本気で這い上がろうと思ったら超イバラだった話
そんなこんなで入社して早数年目。
一学生が一社会人、そして事業責任者になるまでに本当に山あり谷ありの毎日で、特に「本気で頑張ろう」と決めてからはずっと茨の道を歩いてきたように思います。
毎日泣きそうになりながら仕事してた時もありましたし、スランプで全くうまくいかない時もありました。
できることなんて何もないし、みっちり教えてくれる人はいない。
その一方で、目の前の課題はどんどんどんどん増えていく。
「無理じゃん!!」
って思いながら、自分のためを想って言ってくれているアドバイスにひたすら反抗もしました。
それでも根気よく向き合ってくれた代表・副代表には本当感謝ですね。
そんな期間を過ごして私が気付いたことは2つ。
ひとつ目は、どんなことでも意外となんとかなるもんだな、と思えるようになったということ。
最初は絶対に無理だと思ったことも、とにかくやり続けていたらいつの間にかできるようになっていることがほとんどでした。
今ではそもそも絶対に無理と思うことがなくなったような気がしてます。
ふたつ目は私は仕事が好きなんだということ。
きつい時もしんどい時も普通に全然沢山ありますが、結局仕事は好きなんだなと思うことが多いです。
冒頭でもお話しした通り、何かに熱中していたいタイプなので、「ずっと熱中できそうなもの見つけた!」って感じでいます。
それもこれも含めて、仕事が楽しいと思えるのは全部環境のおかげだなと思っていまして、
スキルのないことにでも積極的に挑戦させてくれる環境があって、
自分に対して裏なく真っ向から向き合ってくれるメンバーがいて、
自分と一緒にお仕事をしたいと言ってくださるお客様がいて、
そもそも箱として面白い会社で働けて。
自分が伸び伸びと働いているからシンプルに楽しいんだろうなと、この記事を書きながら改めて思っています。
一方で、まだまだ足りない部分もたくさんあります。
指摘されてから気付くことも多く、自分の甘さを痛感する場面ばかりで、
スキルの部分、人間の部分、仕事に対する向き合い方、事業責任者としてのあり方。
自分の中の何一つ満足できているものがありません。
事業責任者というポジションをいただいている以上、ここからは自分の判断の一つ一つが会社に対してダイレクトに影響を与えていくことになりますし、今まで以上にパワーアップしていくことが必須要件です。
レベルアップしていく上で理想の環境は整っているので、
ここからは自分以外の周りの人から吸収できるものは素直に全部吸収して、誰よりも結果を出せる人材でいれるように精進するのみですね。
ミギナナメウエのこれから
ミギナナメウエはここ数年急成長を遂げています。
事業の基盤も整い始め、これから第二創業期として会社も各事業も成長していくタイミングです。
そんな弊社の特徴は「打席だけはいくらでもある」ということかなと。
挑戦したいけど挑戦できない。
上に上がりたいけど上がれない。
ということは絶対にない、と断言できます。
バットを振る機会はいくらでもこちらが用意するので、ホームランの打ち方は自分で学んでこい!
というのが弊社のスタイルです。
その分茨の道であることも多く、だからこそ成長できる機会もたくさんあります。
それを楽しめる方と一緒に働きたいなと思っています。
そして、周りを圧倒するくらい最強の組織を作っていきたいです。
最後までご覧くださりありがとうございました!
今後ともミギナナメウエをよろしくお願いいたします!