1
/
5

【社員インタビュー】日本の離島で学んだことを活かして 〜看護学部から日本語の先生になった話〜

・プロフィール

インドネシア出身。親の仕事の関係で幼少期の5年間を日本の離島で育つ。
その後インドネシアに帰国し、アイルランガ大学看護学部を卒業。新卒でASEAN HOUSEへ入社する。
入社後はキャリアアドバイザー(CA)として業務に従事。現在はインドネシア・バンドンにて講師としてLPK (日本語学校)の運営に携わる。

・ASEAN HOUSEにJOINした理由は?

「自分の強みを活かせる」と思ったことが大きな理由です。

正直なところ、看護学部に入ったものの将来は医療関係では働きたくないなと思っていた時に近所で日本語を教えている先生から「日本で介護士として働きたいと思っているインドネシア人に日本語を教えてみたら?」と言われたのがきっかけです。元々教えることが好きだったので「大好きな日本語と看護学部で学んだ事を最大限に活かせる!」と思い、ASEAN HOUSEに応募しました。

その中でも特にASEAN HOUSEに惹かれた理由としては、
①レベルの高いスタッフと仕事ができる(日本人スタッフ、N1・N2所有者の外国人スタッフがいる)
② ゼロからLPKを立ち上げることができる
という点が挙げられます。

・そこまでに至る経緯を、、

① はじめての日本!

父が日本でインドネシア人研修生のための通訳の仕事をしており、そこへ家族も一緒に行くことになったことが日本へ渡るきっかけとなりました。母に日本へ引っ越すことを説明されましたが、当時私はまだ6歳だったため「日本って何?どこ?」というほどの記憶しか残っていません。その後、母と一緒に転校をはじめとした日本へ行くための様々な手続きをした記憶が微かに残っています。

日本へ行くためにインドネシアから飛行機に乗り、バスや船に乗り換え、ようやく辿り着いたのは周囲4kmほどの小さな島でした。昔は炭鉱で栄えており最大8000人も住んでいた島でしたが、炭鉱が閉山となり、島の人口は300人ほどに減少していました。私が来日した時の幼稚園は子供が少ないために閉鎖され、さらに小学校と中学校は合併、そのうえ全校生徒14人中6人がインドネシア人という日本人でもなかなか経験することが無いであろう場所でした。

↑ 多い時には8000人も住んでいたので、8階建てのアパートが並んでいました。もちろん今は誰も住んでいません。(撮影:父)

↑ 通っていた 小・中学校。広い校舎も2024年現在は 3人ほどしか生徒がいません。(撮影:父)


② 小学校での思い出

来日した時、同じインドネシア人通訳のご家族が温かく迎えてくれました。そのご家族のお子さん二人が私を遊びに誘ってくれましたが、その時はここに辿り着くまでの道のりで疲れていたのと自分が今どんな状況にいるのかついていけておらず、また同じインドネシア人とはいえところどころ二人が何を話しているのか理解できずにいました。
数日後、新学期が始まってからようやく「私はインドネシアじゃない所にいるんだ」という実感が沸いてきました。当時は先生もインドネシア語ができず、私も日本語ができなかったのでコミュニケーションがうまく取れずよく泣いていました。そんな中、先生は個別で私とマンツーマンになって日本語を教えてくださいました。まだ幼かったことと全てが日本語に囲まれた環境ということもあり、3ヶ月ほどで先生や他の生徒と会話ができるようになりました。インドネシアに帰国した今、よく生徒や他の人からは「どうやって日本語を勉強したんですか?」と聞かれますが、なんと答えればいいのか今でもよくわかりません (笑)。

私は小・中学校の生徒を全員合わせても14人しかいない学校で育ったので、担任の先生は「第二の親」のような存在でした。時には厳しく、時には優しく、教え育ててくださいました。今の私がいるのは当時の先生方のおかげです。今でも本当に感謝しています。

↑ 新学期が始まって、1・2年生 & 担任の先生 & 教頭先生と集合写真。
5人中3人がインドネシア人。生徒の数が少なかったのでクラスも合同でした。(1年生が前の黒板、2年生が後ろの黒板を使いながら先生が交代で授業をしていました。)
この時の担任の先生と教頭先生は本当に第二の親のように私たちを可愛がってくださいました。私の恩師です。


↑ 授業参観の様子。
当時の5・6年生は3人中3人がインドネシア人で、1人は既にインドネシアへ帰国、もう1人は風邪で休んでいたので、授業参観は私だけでした。(もはや private school)


小学1年生から小学5年生まで日本の学校に通えたことは、私の人生の中でとても思い出深く、忘れることのできない出来事です。その上、日本人、インドネシア人、ベトナム人などが集まってみんなお互いのことを理解し合おうとしている姿はとても印象的でした。
私の家族はイスラム教なので運動会の練習の時に断食 (ラマダン) をしていると、他の先生方が断食のことについて興味を持ってくださったり、お昼ご飯が食べれない私と一緒に教室に居てくださったりもしました。とても嬉しかったことを憶えています。ラマダンが終わると先生を招待してお祝いしたり、とても平和なひとときを一緒に過ごすことができました。

父の会社の契約は5年間だったので、その5年が経った2010年にはインドネシアに帰るか、日本(島)に残るか、家族それぞれが決めなければなりませんでした。今思い返すとまだ小学生だった私 (たち) はタイムリミットを感じながらも、悲しい気持ちはあえて他人に見せないよう毎日明るく楽しく過ごそうとしていたような気がします。そんな私たちのことをより詳しく知りたいと思ってくれたのか、NHKの「にっぽん紀行」という番組がドキュメンタリー番組としての取材に来てくださったり、卒業式の日もたくさんのメディアや当時の長崎市長が来てくださいました。

2010年の卒業式の日、私たち家族は島を離れました。島を離れた日のことを今でも鮮明に覚えています。私の中では忘れることができない日です。
島中の人たちが私たち家族を見送るために港に来てくれたことがとても嬉しかったです。人口は少ないけれど、この島の人たちはとても温かく本当の家族のような存在でした。こんなに泣いたのは初めてではないかというほど泣いたことを憶えています。

↑島を離れることになった私たち家族のために、島中の人たちが見送ってくれました。


③ 看護学部に進学

インドネシアに戻った後、学生時代の私はこれといった欲も無く、流されるだけの人生を送っていました。数学が好きで高校は理系のクラスに入ったのですが物理はもちろん化学も嫌い、生物学も苦手、好きだった数学も楽しくなくなり成績はどんどん落ちていっていました。そのため高校卒業時に次の進路を決める時は本当に地獄のような気持ちでした。

結果的にいろいろな大学の入試を受けて「日本語学」と「看護学部」の大学に3校ほど合格しましたが、気付いた時には私は 「看護学部」を選んでいました。本来ならずっと夢だった「日本に留学する」夢を叶えるために「日本語学」を選ぶべきだったと思いますが、その時の私は「看護学部」の方に心が傾いていました。看護師という職業への憧れや看護師さんとの特別なエピソードというものもなければ、病院が苦手で「どうして看護師になりたかったのか」と聞かれたらなんと答えれば良いのか今でも分かりません。そんな中だったので最初の頃は「日本語学を選んでいたら〜」のような「たられば」ばかり考えていました。でも後悔はしていません。むしろ入ってよかったと今では胸を張って言えます。

私は3年制の看護学部の短大に通っていました。朝7時半から授業が始まり、毎日制服を着て、夜遅くまで勉強する、、という感じで本当に 「高校4年生」のような大学生活を送っていました。命と向き合う職業だったので教授は厳しい方が多く、他の大学よりもスケジュールもパンパンに詰まっていたため先輩方からは「ライオンの檻へようこそ!」(一度入ったら卒業するまで逃げられないという意味) と言われるほどでした (笑)。

思い返せば大学生活は様々なテストや実習があり、とても忙しく大変な日々でした。しかし自分の事を考えることで精一杯な状況の中でも「みんな、一緒に頑張ろう!」や「このテスト週間を乗り越えたらみんなでどこか遊びに行こうよ!」などとお互いを励まし合ながら乗り越えていきました。ここで出会えた仲間たちには本当に感謝しています。この仲間たちに出会えていなければ私は看護学を辞めていたかもしれません。私にとってはひとつの人生のターニングポイントになりました。

↑ 老年看護で実際にインドネシアにある老人ホームで実習していた時の写真


↑ 一泊二日で別荘を借りてクラス全員で旅行に行った時の写真。またみんなで遊びに行きたい!


④ 「日本語」と「看護学部」

看護学部に入ったとはいえ、正直なところ医療現場では働きたくなかった私。将来どんなキャリアを築いていこうかと考えていた時に、近所で日本語を教えている先生に出会いました。先生とお話ししていくうちに 「インドネシアには日本で介護士として働きたい人がいる」ということに気付かされました。「日本語も教えられるし、看護学部で学んだ知識も無駄にならない!その仕事がしたい!」とその時私は強く思いました。

私は日本からインドネシアに帰国した後も、日本のドラマや映画を見たりニュースを読んだりして日本語を忘れないようにしていました。また友達に簡単な日本語を教えたりもしていました。そのうちに自分は「誰かに何かを教える」ということが好きであることを実感していきました。それに加えて「大学で学んだ看護の知識も教えることができる」こんな夢のような仕事はなかなか無いなと思うようになっていました。

・ASEAN HOUSEでの仕事の内容・やりがい

新卒でASEAN HOUSEにjoinしてからは今まで流されるように生きてきた私にとって毎日が新鮮でした。入社後3ヶ月ほどはキャリアアドバイザー (CA) としてSNSを通じて日本で働きたいインドネシア人のために求人を紹介したり、企業面接に向けて候補者の方の面接練習をする仕事をしていました。人見知りで話を広げることが苦手だった私でしたが、毎日いろいろな人と出会って面接をしていくうちに「世界はこんなに広いんだ!」と感じるようになりました。自分が推薦した候補者の方が企業様から内定を貰えた時はCAの業務の中でも一番やりがいを感じる瞬間でした。

CAとの一次面接 → その候補者の方に合う求人があるか、企業様に相応しいかどうかを判断 → 企業様に推薦 → 面接練習 → 企業面接 という流れで業務を行ってきましたが、候補者の方とやり取りをしていくうちに 「この人を全力で応援したい!」と思うようになっていきました。初めて内定が出た時のことは今でも鮮明に覚えています。なにより誰かの将来の夢を自分がサポートできるという点にやりがいを感じていました。

現在はインドネシアのバンドン市にあるLPK (日本語学校)で、日本語を教えたり日本で介護職 (特定技能)として働きたい生徒のために介護の技能などを教えています。
日本語を教えている時は「まだまだ知らないことがたくさんあるな」と自分の力不足を感じることもありますが、生徒と一緒に問題を解決していくことはとても楽しいです。介護のクラスでは今月全員が特定技能 (SSW) 介護のSkillsの試験に合格することができ、とても嬉しかったです!

「Annisa先生のおかげで試験に合格しました!!先生、ありがとうございます!!」

文字にするとシンプルではありますが、私にとってはこの言葉は魔法のように思えます。この言葉をもっと多くの生徒から聞きたいと思っているので自分にできる事をこれからも全力でやっていきたいと思っています。

今年の4月中旬からは本格的に自分のクラスを持つようになりました。しかし、今まで先生という立場を経験したことは無く、それに加えて日本語をセオリーで学んだこともありませんでした。私自身も語学系が特に苦手で、時々生徒から出てくる 「先生、"に" と "で" の違いはなんですか?」 や「"多い"、"たくさん"、"いっぱい"は何が違うのですか?」のような質問には毎回悩まされています。それでも新しい発見が常にあるのでとても楽しく仕事をできています!

今の私のクラスでは日本語をゼロから学ぶ生徒が多いので大変な面もありますが、生徒の事を信じ、生徒一人一人に愛情を込めて接し、私自身も生徒と共にどんどん成長していきたいと思っています!


↑ 2期生の入学式の様子。生徒の将来がとても楽しみです!

これから先どんなことが待っているか自分でも想像がつかないですが、生徒が自分の夢に向かい、その夢を叶えるために頑張っている瞬間に私も立ち会い、彼らと共に歩んでいけるという点に嬉しさとやりがいを感じています。

・ASEAN HOUSEで成し遂げたいこと

ASEAN HOUSEで成し遂げたいことは、生徒の夢を叶えるために自分が全力でサポートし、彼らの将来の選択やチャンスを広げてあげることです。そして日本で働いた後、インドネシアに帰国してからもきちんと自分のやりたいことを見つけ、取り組み続けることでより良い国づくりに貢献できるような人材を育てていきたいと考えています。

・未来のメンバーへ一言

「外国人も暮らしやすい社会を創る」を会社の理念として、ASEAN HOUSEでは日本人の他にインドネシア人、ベトナム人、ミャンマー人のメンバーが働いています。国籍や文化は違ってもお互いにもっと改善するためにはどうしたら良いのかを真剣に指摘し合え、自分も成長していける、とてもポジティブな環境があると感じています。

「日本企業の人手不足をなんとかしたい!、「日本で働きたい外国人のために何かしたい!」、「日本で頑張っている外国人がもっと暮らしやすくなるために何かしてあげたい!」、「とにかく誰かのために何かしてあげたい!」という素敵な心をお持ちの方や、東南アジアに興味のある方などにとってとても良い経験が積める場所だと思います!共に働ける日を楽しみにしております!

Invitation from 株式会社LivCo(旧ASEAN HOUSE)
If this story triggered your interest, have a chat with the team?
株式会社LivCo(旧ASEAN HOUSE)'s job postings
12 Likes
12 Likes

Weekly ranking

Show other rankings
Like Annisa Nur's Story
Let Annisa Nur's company know you're interested in their content