谷内田 千春(Yachida Chiharu)
Contents Director/ 宮津team
2000年生まれ。東京都目黒区出身。幼少期は香川県高松市とアメリカ メリーランド州で過ごす。デザイナーを目指して、武蔵野美術大学造形構想学部クリエイティブイノベーション学科に進学。在学中は地域デザイン、共創デザインなどを中心にデザイン全般を学ぶ。地域に入り込んでまち・人のつながりを創りたいと思い、2023年にFoundingBaseに新卒として入社。
帰国子女を隠した日本人として
父の仕事の都合で「アメリカに引っ越すよ」と親に伝えられた小学1年生の私は「これからどこか遠いところにいくんだー」としか考えていませんでした。英語は一言も話せない、聞き取れないという状態で私は現地校に入りました。日本人もいないので頼れる人もいないという環境で、私はとりあえず周りの人の行動をひたすら真似しました。そしたらアメリカ人の友達ができ、その子に助けてもらいながら何とか学校生活を送っていました。
その後、小学4年生の冬ごろに香川県高松市に引っ越しました。転入してすぐに全校生徒約700人の前で「アメリカから来ました、谷内田千春です。」と自己紹介をしたことをよく覚えています。「アメリカ」という単語から体育館がざわつき、自分が珍しい存在であることに気が付きました。クラスに戻るとすぐに、「英語話してよ」「金髪じゃないじゃん」と多くの同級生から話しかけられましたが、数日経つと皆離れてしまいました。自分が「外国人」という目で見られており、周りと違うため仲間に入れてもらえないのだと気づいた私は今後「帰国子女を隠した日本人」として生きようとこのときに決心しました。
「本当の自分」が出せるようになった高校3年
中学からは東京の中高一貫の女子高に通いました。帰国した時のように学校で浮きたくないと思った私は、高2まで周りに何もかも合わせまくり「本当の自分」を見せられずにいました。
高3のはじめ、前髪が邪魔だなと思った私は思いつきでオン眉に自分で切ります。これにより視界も自分の心も自然とひらいていきました。そこから自分の着眼点に興味を持ってくれた友人が「谷内田って意外と面白いんだね」と言葉をかけてくれました。その言葉がとても心に響き、自分の表現や考え方をオープンにしてもいい場所が存在することに気が付きます。そこから服装(フリフリスカート→古着)など見た目から行動まで様々変化していきました。
帰国した時の経験、中高での経験から私はお互いの価値観や表現を自然と認め合える場所、また誰もが「本当の自分」を出せる場所を作りたいと考えるようになりました。
深いつながりを感じた島のボランティア
高校1年生の頃にデザイナーを夢見た私は、憧れの武蔵野美術大学に英語推薦で入学します。しかし、周りの美大生の凄さに圧倒され、将来何がしたいのか、本当にデザイナーになりたいのかを見失います。何かしら行動したいと思った私は教授が熱く語っていた地域の魅力や課題は実際に存在するのか確かめたくなりました。
そこで本州からジェット船で3時間(夜行大型客船だと10時間)かかる神津島という東京の島に10日間ボランティアをしにいきました。そこでは漁師や農家、島の移住者などと話していくうちに島の温かさや島の「お祭り感」を体感しました。また島で暮らす人、旅する人のためのイベントを行うプロジェクト拠点で作業をしていくうちに、私もこのような深いつながりを作る場所、気軽にまちの人が寄れる場所をつくりたいと考えました。
「展示してみたい」妻と可能性を潰す夫
大学3年の頃に市ヶ谷の勿体無い部分を見つけるという課題がありました。まちを歩いている時に、私は入賞されている小学生の絵が展示されているのを見つけ、それにモヤモヤを感じました。そのモヤモヤは入賞のものしか展示されていなかったこと、入賞しなければ展示の機会を失うことでした。そこから私は誰もが応募でき、人が繋がるアートギャラリーを制作しました。
会期中私がそのギャラリーのそばに立っていると、ある夫婦が近寄ってきました。妻が「私も展示してみたい」と声をかけてくれました。しかしそれに対して夫が「お前には出来ねえよ」と強く言い放ったのがとても衝撃的でした。その会話から、周りの目や言葉、評価で自分の思うように表現出来ていない人がいること、そのような人が多いことに気が付きました。
振りかえってみると、私も小学校高学年の時に、幼い頃から大好きだった絵を描くことが嫌いになっていました。学校の枠組みの中で評価されず劣等感を覚え、自分が「絵が下手だ」ということに気がついたからです。良い評価を得るためにと周りの目を考えてしまい、自由に描くことができなくなりました。そして絵を描くことが嫌いだ、周りの人に自分の作品を見られたくないと思うようになりました。
私の過去のようにアートをやりたい気持ちがあるが踏み込めない人に誰にでもアートに触れる権利があるのだということを伝える必要があるのだと気づきました。そのため卒業制作としてアート表現によってつながるワークショップを何度も行いました。
アートは自己理解・他己理解を深めます。地域でアートを通してお互いの価値観や表現を認め合うことで、より深くつながる環境が作れるのだと考えています。
Founding Base の出会いとこれから
これまで私は神津島、市ヶ谷、他にも千葉県市原市、東京都文京区にある根津でまちづくりに関わってきました。しかし、どれもその場に住んでそのまちに集中してまちづくりに取り組んだわけでもなく、長期的に行ったわけでもありません。まちと関わった期間として早くて10日、長くて1年です。就活をする中で、もっと長期間まちに入り込んで集中的に地域の魅力や課題をみたいという考えがありました。そこでまちづくり会社のFounding Base に出会いました。メンバーが各地域に移住して、その地域にあった取り組みを行っていくというのを知り、自分もまちの人としてまちづくりに真剣に向き合いたいと考え、入社しました。
また、Founding Base ではコミュニティスペースやコワーキングスペースで地域に関わる人を増やすために様々なイベントを行っています。まち・人の深いつながりを作る場所、気軽にまちの人が寄れる場所を作りたいと考える私にぴったりな会社だと思いました。
現在私は、クロスワークセンターMIYAZUの運営と移住定住コンシェルジュとして活動しております。自分のまちを好きになってもらうため、まちに関わる人を増やすため、そして移住してもらうために、自分が「面白い!」「モヤモヤする」とまちの人として直接感じた部分を大事に今後も事業に取り組んでいきます。
そしてこれらを積み重ねてお互いの価値観や表現を自然と認め合える地域社会をつくっていきたいと考えています。