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【後編】ドコドア代表本間の人生を振り返る。ー波乱万丈の社会人生活とドコドア経営ー

前回から2回にわたって、弊社代表本間の人生をインタビューを通してエッセイ風に振り返ります。後編である今回は主に社会人時代についてです。

▼まだ前編を読んでない方はこちらから!

【前編】ドコドア代表本間の人生を振り返る。ー弊社代表はやんちゃ坊主でしたー | 社員インタビュー
ドコドアの代表として社員を引っ張り続ける本間さん。オフの時に少しずつ明らかになるその半生。社員も全容を知らない本間が歩んできた人生とは、一体どんなものなのでしょうか?今回から2回にわたって、弊社...
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では早速後編スタートです!

ー底辺生活を送っていた20代前半。妻との出会いが唯一の救い。

大学を中退して、スポーツ新聞の求人欄で職を探していました。ここから職を転々とする人生の始まりです。。。きちんとお話しすると引かれてしまうため大部分を割愛します(笑)

ただし、私のような出自がしっかりしていて盗みも働かず真面目?な性格の者は珍しく、とても重宝されました。20歳そこそこの若造がすぐに店長やマネージャーを任されて、年上部下のおじさん方と仕事をしました。月収も100万円オーバーだったため、同世代では相当稼いでいたと思います。ただし、365日休みがなく、基本的には12時間勤務の後に、オーナーから有難いお話を12時間聞くという得難い経験もしました。
36時間連勤は当たり前、60時間連勤などもあった時代です。成人式にも出れませんでした(涙)

この環境で頑張ったおかげで、23歳の時に新潟県三条市にある本寺小路という繁華街でレストランバーを開業しました。ただし、開業がゴールのような側面もあり、修行経験のない素人がそれなりに頑張りましたが、1年ほどで事業譲渡となりました。

貯蓄が0になって、数十万円程度の譲渡金を手に再び東京へ戻ります。この頃に第一次ITブームが起こっていたことを考えれば、私のような大学中退者でも時勢に乗れていた可能性が高かった、と後悔することがあります。なぜスポーツ新聞の求人欄でアンダーグランドの世界を探していたのか、なぜIT系でなく飲食業を選んだのか。そもそも、なぜ地方の大学に進学したのか。周りに影響されて行き当たりばったりで深く考えることをせず、目先の楽しいことを優先していた結果だと思います。

やっぱり環境は大切ですよね。

この時の唯一の救いは妻と出会ったことです。これだけはこの頃の唯一の希望だったと信じています。

ー20代後半にして初めてのまともな就職。家族も増えました。

東京に戻ってからも知人を頼ってろくでもない職を転々とする中、27歳の時に結婚、この頃に前職の広告代理店に就職しました。大手ではありませんでしたが、初めてのまともな就職だったと思います。翌年には長男が誕生し、その2年後には長女が生まれました。

仕事は大手流通企業の新業態であるSC(ショッピングセンター)の広告ディレクションを行なっていました。2007年に群馬県、翌月には新潟県でもオープンして、私は長岡市のSCに常駐するディレクター(人質)となりました。主にディレクターとしてクライアントと机を並べて、本業の広告ディレクション以外に、契約内容とは関係のないクライアントワークのサポートなども行いました。同業他社に対してはクライアントの立ち位置から上手にコントロールすることも重要な役回りです。この時のクライアントワークのサポートを無難にこなしたことや、それを標準化して誰でも短時間でこなせるようにしたことなどから、実質的にディレクターのリーダーとなりました。その後にオープンする山梨、埼玉、岐阜、愛知などのオープンでは泊まり込みでディレクターの業務や、人質としての心得を教えるという、後輩からしたら迷惑でしかないレクチャーも行なっていました。その内、現場も後任に譲り、モール全体の広告ディレクションや新店舗のプレゼンなどにも関わるようになります。

ー30代前半で2度目の起業。ついにドコドア設立。

前職では仕事を無難にこなしつつ、新事業や新潟オフィスの立ち上げなどを企むも、社内政治に負けて再び起業に傾きます。前回の失敗もあるため、家族を路頭に迷わせないためにも、副業で1年ほど感触を確かめてから2011年2月に広告代理店事業をメインとするドコドアを設立しました。銀行借入850万円、最初のオフィスはトラックの振動で「地震か?」と思うほど揺れる脆弱なオフィスでした…

そして、設立からわずか1ヶ月後に本物の地震が起こります。あの東日本大震災です。この時に痛感したのは、コネクションが何もなく、相談できる相手がいないことでした。そこで、2011年6月に燕三条青年会議所(JC)に入会します。

これが経営者としての成長に繋がるのですが、当時の体重は73kg。それでも学生時代からは10kg以上増量していたのですが、8年後の卒業時には90kgと更に肥大化するのでした...(苦笑)

初年度は仕事もないのにリクナビによる新卒採用を開始しました。地方でIT系のスタートアップは珍しかったこともあり、会場に人が溢れ、瞬間ではありますが応募数では県内でトップになったこともありました。実績もないのにイメージって重要...と思った瞬間です。

仕事は少しづつ増えてきたけど、名刺やロゴ作成などの小さな仕事しかなく、手形取引も多く常にお金が足りない状況でした。月額4,900円の料金を車で30分掛けて受け取りに行ったこともありました。泣きっ面に蜂で売上の多くを占めるコンサル契約が終了となり、設立半年で倒産の危機となってしまいます。銀行に追加融資を依頼するも冷たい対応。結局親戚から借入したり、自己資金でわずかながら増資したり、家を担保に入れて追加借入を行うなどしました。この時に入社してくれた五十嵐さんを始めとする初期メンバーには感謝しかありません。当時みんなは経営状況などよくわかっていなかったと思うけど、よくこんな時期に来てくれて、これまでずっと支えてくれたと感謝しています。本当にありがとう!

勤続10年越え!ぶっちゃけドコドアってどう・・?長く働きたくなる魅力ってどんなところ?ベテランWebデザイナー五十嵐さんにドコドアのいい点、悪い点をインタビュー! | 社員インタビュー
今回は、2011年にドコドアご入社の五十嵐陽子さんにインタビュー!ドコドアでWebデザイナーとして長く第一線を走り続ける五十嵐さんに、ドコドアの10年間やチームリーダーとしての心構えなどを聞いて...
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広告代理事業はジリ貧でしたが、幸い時間だけはあったのでひたすら経営について学びました。孫子からコトラー、ランチェスターなどの戦略的な書籍から、マーケティング、心理学、営業などのあらゆる書籍をこの時に読み漁りました。

ここで、なんでもできる広告代理事業から選択と集中によるピボットが必要との考えに至り、その頃、流行の兆しを見せていた「セカンドライフ」と「WordPress」のどちらかに注力することに決めます。実際に両方とも自分で試してみて、セカンドライフはユーザーの導入ハードルが異常に高く、WordPressはユーザーの導入ハードルはそこそこ、運営ハードルは低いという点から、WordPressを選択しました。ここからWordPressに特化したWeb事業で成長していくことになります。

さらに、業務効率化の一環としてGsuiteに加えてSkypeなども取り入れることとなります。

ー30代後半はメンバーに恵まれて会社が成長。コロナに負けない会社に。

新潟オフィスや東京オフィスを開設したものもこの頃です。さらに人が増えてきたので本社の移転を決断。土地900坪、建坪200坪の本社を購入。リノベーションで広いワークスペース、多彩なMTGルーム、キッチンも増築して待望のランチを開始しました。本社移転から取材が殺到し、TVCMや広告出稿も増えてので、改めて広告代理店の関連会社を設立。社員教育にも力を入れて会社の方向性を共有するCompass Conference(CC)を開始。当初は四半期ごとに方向性を確認、MVVの共有などを行っていました。

そして、次男と次女が誕生。昔と違って体力的に厳しく、長男長女の助けなしには子育てができませんでした。当時は営業も制作も経営企画も全て管轄していたので、権限委譲を進める良いきっかけになりました。

ただし、権限移譲が進むと、本社移転と同時期に導入したChatツールやCRMなどで問題が起こります。コミュニケーションの齟齬やTODOの管理漏れなどが発生し、人は増えるが売上は伸びず赤字幅だけが大きくなっていた時期でした。さらに問題なのが現場が問題を把握できておらず、解決策が示されなかったこと。私のマネジメントにも問題があったと思いますが、そもそも売上の把握さえできていない状態でした。さすがにまずいと思い、不満の出る中、強権によるマイクロマネジメントを開始しましたが、こんな時に入社してくれたのがリクルート出身の春日さんでした。当時の営業フローから逸脱するもロジックがしっかりとしており、営業リーダーとして抜擢。これが1つのターニングポイントとなりました。
Salesforceの導入で営業の見える化が進み、Web事業では売上・利益ともにV字回復から成長曲線を描くようになり、組織改革も大きく進みました。

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こんな時にコロナが発生。
世界中がパニックになるも、GsuiteやZoom、Chatworkなどの活用が進んでいたことによって、社内的には大きな騒動にはなりませんでしたが、資金繰りは非常に厳しいままでした。

追い討ちをかけるように、コロナ禍で母親が亡くなりました。コロナ禍での慣れない葬儀。東京で医療従事者だった兄と妹は帰宅しづらい状態でした。さらに、社内でコロナのクラスターが発生し、大きく混乱する場面もありました。ただ、そんな中でも売上は伸長して、2020年には3年ぶりに黒字化することもできました。

新たに始めたアプリ事業では、途中で自社開発を決意。そして、満を持して2020年夏にアプリ開発プラットフォームのapplimoをリリース。

SaaSの販売に苦戦している最中に、またひとりビジネスの大先輩と巡り合うことができました。壁打ちを行っていただく中で何度も事業のブラッシュアップを行い、権威あるピッチコンテストでは審査員特別賞を受賞することができました。

ここから増資が進むなど、状況が一変しました。このタイミングで、ハイスペックな安達さんとの面接。まだ売上増を優先すべき状況であったため、本来であれば営業を優先すべきですが、清水の舞台から飛び降りる覚悟でCFOとして採用。結果、増資や融資が進むなど、兵糧の心配がなくなり、非常に経営が楽になりました。社内体制の見直しなどによって、先々の見通しも立つようになりました。私より一回り以上若いのですが、経営者として余裕のなかった私への苦言も含め、いろいろな助言をしてもらいました。

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ハイスペックには一任した方が楽で、結果も出ることが理解できたこのタイミングで、春日さんをCOOとして業務全般を任せることに、安達さんはCFOとして財務以外にも経営企画室長のような役回りもお願いすることになりました。

その他、続々とハイスペックな方々の入社も決まって、ようやく経営に専念できるようになりました。さらに安達さんの時と同じように人事担当でも、大勝負に出る覚悟で有井さんを採用。同時に人事関連の権限委譲が一気に進み、業務の効率化だけでなく課題の抽出が進み、退職率を大幅に改善することができました。この記事を書いているのもその成果の1つです。

JCでは理事長職を終えて、2019年に卒業しました。卒業してからは夜の会食が大幅に減って早めに帰宅するのですが、家庭では「いつも居ない人がいる...」という気まずい雰囲気に。定年後に煙たがられるお父さんのアレです。ちょうどそのとき、資金調達で東京出張が多く、オリンピックでホテルの予約が難しくなっていたこともあり、東京でプチ単身赴任を検討します。当然、家族は大賛成(笑)金帰月来で政治家みたいな生活を送っていました。

これらのストレスもあって、5年ぶりの健康診断では「γ-GTRが150超え...」、「脇腹骨折」、「右足の肉離れ」で松葉杖生活。最後は「脳溢血」で死ぬ直前まで逝きました。

ただし、Salesforceやfreeeの活用によってPL(損益計算書)やBS(貸借対照表)が正しく共有され、営業や開発の月報がフォーマット化されることによって、経営者として新規事業開発や資本業務提携などの経営に集中することができるようになりました。

ー今後のお話。

Web事業では、更なる効率化を進めます。Webの開発でマーケティングやサーバーなどを抜いた、いわゆるインタラクティブ市場は2,000億円程度ですが、すでにシュリンクが始まっています。ローコストサービスも増え続けており、中間価格帯のサービスは消滅して、今後は高品質高価格サービスと低品質低価格サービスの二極化が更に進むと思われます。そこで我々は、Design Storage(DS)で培ったノウハウを、WordPressのテーマなどにも移植して、10万円以内の高品質低価格なサービスの開発を進めます。
また、DSという資産を社外の方々とも共有して、ディレクションを必要としないサービスの販売も行なっていきます!

App事業では、顕在的ニーズが爆発する2〜3年後を見据えてapplimoのスケールに合わせた体制を整え、直近ではすでに顕在化されたニーズであるアプリの受託開発を強力に推進しながら、高品質中価格であるapplimo FULLの開発を進めます。特にCRMのSaaS企業様との協業を前に進めるべく、専門家チームを構築していきます。当初は特定領域をメインとした開発を行いつつ、CRMやMAツールでもプロフェッショナルを揃えます!

その他では、WebやAppに関わるアップセル、クロスセルを強化します。すでにMEOなどのサービスを導入していますが、今後はCRMやMAツールだけでなく、そのコンサルティングなどを含めて、様々な集客に貢献できる事業を構築していきます!

▼人生の波グラフも書いてみてもらいました!(20代がかなりどん底ですね・・・)

ー最後までお読みいただき、ありがとうございました!ドコドア代表・本間の人生インタビューでした!

様々な苦難を乗り越えてきた代表と素敵な仲間たちがいるドコドアです!ご興味を持っていただけた方は、是非お気軽に「話を聞きに行きたい」を!!

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