当社の存在意義である経営哲学”フィロソフィー”に関連して、代表取締役 千歳紘史(ちとせ こうし)が日々の思考をシェアします。
世の中のあらゆる出来事は、白黒はっきりとしたものはなく、グラデーションです。
”手段”と”目的”もまた、はっきり明確に切り分けられるものではなく、ときに入れ替わるものです。そして、手段が目的化したときにこそ、人生は楽しくなります。
「手段とは、目的達成のためにある」という幻想
「手段とは、目的達成のためにある」というのは幻想かもしれません。
「目的」のための「手段」と切り分けられるものではなく、グラデーションのようにどちらも混ざり合っているので、切り分けて考える方が実は難しいものです。
「人間ってなんのために生きているんだろう? たとえばお父さんを見ているとね、毎日毎日、仕事ばっかりしているけど、仕事ってお金をかせぐためにするんでしょ? お金をかせぐのは、お金がないと生きていけないからだよね? お金がないと、食べるものや着るものも買えないし、いろんな娯楽もできないし……。でも、お父さんを見ていると、そういう、生きていくために必要だからやっているはずのことが、生きていくことそのものになっちゃっているような、なんだかへんな感じがするんだけど……。」
- 子どものための哲学対話(講談社文庫) 永井 均・著 より引用 -
本書で子どもが疑問を抱いていることは、多くの社会人も共感するのではないでしょうか。これに対し、本書では以下のように答えています。
「(仕事という)生きていくための手段であったはずのことに、生きていく時間の大半を使っちゃっているってことだね?でも、人生はね、目的と手段をはっきり分けることができないんだよ。手段であったはずのことが、いつのまにか目的そのものになっちゃうってことこそが、人生のおもしろみなのさ。
仕事をしてお金をかせぐのも遊ぶためなんだけど、その仕事が生きていくことそのものになっちゃうのは、その仕事そのものが遊びになっちゃったってことなんだよ。それはちっともへんなことじゃなくて、とてもいいことなんだよ。」
ここで話す「遊ぶ」とは、「楽しむこと」なのですが、自分のしたいことをして「楽しむ」こと。そのときやっていることの中だけで完全に満ちたりている状態になることと説いています。
さらに、そのときやっていることの外に、どんな目的も意味も求める必要がないような状態のこと。とも説明しており、このようにただそれが楽しいから、それによってなにが実現されることを目的としない、目的と手段が混ざり合った状態であることが、人生に面白味や奥深さを出していると思うのです。