2022年7月、36期目を迎える会社の2代目社長に就任した新谷隼人。プラザクリエイトには2019年に入社し、既存事業の改革や新規事業の創出をリードしてきました。36歳にして社長に就任した新谷のこれまでのキャリア、そして社長に就任した今、考えることとは。お話を聞きました。
新谷 隼人(しんたに はやと)
パレットプラザ1号店が誕生した1986年、大阪で生まれる。広告代理店を経て、株式会社リクルートに転職し、3年連続でMVPを獲得。リテール新規開発グループやカスタマーサクセス領域にてマネージャーとして活躍する。2019年にプラザクリエイトへ入社し、組織初となる法人営業部の立ち上げをけん引。また、DIYキットブランド「つくるんです®」の出荷数を3年間で約4倍に拡大、コロナ禍で需要が増した個室ブース「One-Bo」をリリースするなど、プラザクリエイトの次世代を担う新規事業創出をリードしてきた。取締役を経て、2022年より36歳にして株式会社プラザクリエイトの2代目社長に就任。趣味はキャンプとサウナ。
新卒で対峙した「売るもの、売り先もない」新規事業立ち上げ
仕事に対する考え方の基礎を作ってくれたのは、新卒で就職した広告代理店でした。1年目の私に与えられたミッションは、Web事業の新規立ち上げ。もちろん私自身も未経験でしたし、会社にノウハウもありませんでした。ちょうど、SEOという言葉が登場してきたくらいのWEBマーケティング黎明期です。売るものも、売り先もイチからつくるという、なかなかエキサイティングな社会人1年目のスタートでした。
Web事業部のメンバーは私と役員の二人だったので、昼間に営業活動、夜にパートナーとの打ち合わせと、スケジュールを詰め込んでいました。寝ることがもったいないと感じるほど、常にアドレナリンが出ている状態だったと思います。仕事が落ち着くことはほとんどないので、夜中に後楽園のスーパー銭湯で少し休憩をするのが至福の時でした。
経費削減のため、地方営業の時は夜行バスを使っての移動は当たり前。仕事に必要なWi-Fiつきのノートパソコンの購入も営業電話の通信費用も自腹でした。今考えると相当ブラックな職場ですが、当時の私は新卒で何も知らなかったので、それが新規事業の起ち上げであり、ベンチャーとしては当然だと思いとにかく必死に仕事をしていました。
提案する商品がない状態からのスタートだったので、当然スタートとしては大赤字。どうにかしなくてはと模索し、ホームページ制作の受託ビジネスにたどり着きました。制作を内製するリソースはなかったので、外注パートナーと一緒にやっていました。異業種だからお互いを理解し合うのが難しいこともありましたが、なんとか味方になってもらい、一緒にビジネスを大きくしてもらおうと必死でしたね。ちなみに、その時期に一緒になって夜な夜な仕事を共にしてくれていたのは、現在プラザクリエイトで新規事業部の部長をしている木村漠さんです。時を経てもなお、今もあの時以上に厳しい中戦っていられることに日々感謝すると同時に、嬉しく思います。
当時はアドレナリンが爆発した状態の中、私なりに必死にもがいていました。そのカオスの中で、新規事業を構築するプロセスやパートナーとの付き合い方、PL(損益計算書)の読み方を独学で学びました。それでも事業は赤字続き。営業とパートナーとの商品開発に必死な日々でしたが、たまに本社にいくと「赤字はいつまで続くのか?本当に大丈夫なのか?」と心配されることがありました。それがすごく嫌で、「会社にいくのが辛いなぁ」と思うこともありました。
そんな矢先で見出した活路は、ホームページ制作サービスと並行して進めていたSEO対策サービスでした。少しづつ、Webの知識や営業手法も自分なりに確立できたことで結果が出るようになったのです。
結果を出したとたんに、周囲の反応はわかりやすく変わり、話を聞いてもらえるようになりました。このとき、数字が伴う実績があって初めて、プロセスや個人の頑張りに周囲が目を向けてもらえることを知りました。人に認められるようになるには、誰にでもわかる結果、つまり数字が重要だと身をもって学びましたね。
勤めて約2年が経過したころ、会社の方針に大きな変更があり、Web事業部が解散することになりました。ちょうどいい機会だと思って、会社を卒業することに。新規事業を立ち上げた経験を活かせたらと、株式会社リクルートへ転職しました。
同じ飲食店に1日7回訪問の末、契約へ。ビジネスに「絶対無理」はなし
リクルートに転職した時は、整えられた労働環境に驚きました。世間では「ハードな会社」と噂されているけれど、夜行バス出張に自腹ケータイが当たり前だった私にしてみると、天国のように思えて。入社したらすぐに携帯もパソコンも支給され、会社が手配してくれた新幹線で研修に行けるんです。嬉しくて泣きそうになりました(笑)。
入社時に自分が取り組む事業を選べるのですが、私は『ポンパレ』というビジネスの起ち上げ期に入社しました。リクルートとしても初めてチャレンジするビジネスモデルだったので、未知の可能性にワクワクしました。全員が結果に責任をもっている個人が集まっている組織だったので、組織風土としても、すぐにフィットできると思いました。
最初は、各地の飲食店に営業へ出向きました。忘れられないのは、大阪の高級繁華街、北新地で飛び込んだ、とあるお店のことです。まずランチ前に訪問すると、「今は準備で忙しい」と門前払い。少し時間を置いてうかがうと「そもそもリクルートは出入り禁止だ」とピシャリ。それでもまだ可能性は残っていると信じ、ランチ後に改めて訪問。今度はオーナーが不在だったので、従業員の方に名刺を渡し、「私が来たことを必ずお伝えください」と言って帰りました。常に痕跡を残すことが大切だと考えていたので、毎回その言葉を必ず残すようにしていました。
日が暮れたその日の夕方、6回目の訪問。やっとオーナーにお会いすることができたのですが、「来るなって言っただろ!」とブチ切れられてしまいます。どうやら、もともとリクルートのサービスを受けたことがある方で、いい印象をお持ちでなかったそうです。お叱りをたっぷり受け止めて店を後にしたあと、渾身の7回目の訪問をしました。するとあんなにお怒りだったのに一変して、「そんなに言うなら」と話を聞いていただけたんです。そして最終的には受注いただくことができました。
仕事をしていると、「これ以上は無理だ、可能性はないんじゃないか」と限界を感じることがあります。でも、ちょっとしたことやタイミングの違いで人の気持ちは変わります。例え話ですけれど、しつこい営業だと思っていた人が、道で転んだおばあさんを助けている姿を見たら、印象は変わりますよね。ビジネスの意思決定をしているのは人間だから、決定を100%変えられないなんてことはないはずというのが、私の信条です。
可能性をあきらめずに活動し続けたことは、結果にも現れました。入社した翌月には事業の月間表彰を受賞。プレーヤーだった3年間では、32回の月間表彰と8回のQ表彰、2回の年間表彰をいただき、これ以上ない結果を出すことができました。
大きいサイズの靴を履け。足のサイズはついてくるから。
のちに、マネージャーとしてチームを引っ張る立場になりました。モチベーションもやり方も私次第だったプレイヤ―時代とは打って変わり、必ずしも私とは同じ考えを持たないメンバーに伴走することになりました。私は120点に到達できたら、もっと高みを目指して次は150点を目指したくなるタイプ。つい同じ温度感をチームメンバーに求めてしまいましたが、全員が同じとは限らないんですね。最初は考えを押しつけて無理をさせてしまい、「人の気持ちが分からないやつ」と揶揄されたこともありました。リーダーとして成果を出すことは、一人で成果を出すことの何倍もむずかしいと感じました。
そんなとき、ある人から「あなたのサイズにあった靴を履くんじゃなくて、大きめの靴を履こう。サイズはあとからついてくる」という言葉をもらいました。人は規定された役割のなかで自分自身を見つめ、やるべきことを見出していきます。たとえばマネージャーという役割をもらったら、マネージャーらしく在ろうとします。でも、最初からうまくはできないから、現在の自己と理想像とのギャップが鮮明になって、靴がぶかぶかであることに気付くんですね。ここでやるべきなのは、差分を埋めていくこと。そしたらそのうち、靴もしっくり馴染んできて軽やかに歩けるようになるという、激励のメッセージでした。
その言葉に刺激を受け、異なる価値観の人とどうすれば一緒に歩んでいけるかを真剣に考えるようになりました。すると次第にマネージャーの仕事も楽しくなってきて、仲間と一緒に成果を出す喜びを知りました。それは一人では味わえない、特別な達成感でした。
気持ちがつながってこそ、いい仕事ができる。プラザクリエイトで芽生えた、新しい価値観
リクルートにいた7年間では、組織の一員として事業開発をやりました。そこで次は経営サイドにまわってみたいと思い、チャレンジの場を探していました。
プラザクリエイトとの出会いは、リクルートの人がどういう考えで仕事と向き合っているのか?を社員向けにお話してほしいと依頼されたことにさかのぼります。その際に大島前社長と話す機会があり、「いま悩んでるプロジェクトがあるんだけど」と、当時行っていた証明写真BOX事業の相談を受けました。私はずっと原価のかからない無形のサービスを作ってきたので、機械を置いて、小銭を回収して、メンテナンスをして……というビジネスモデルをすごく新鮮に感じて。これまでの経歴とは間逆にあるプラザクリエイトという場所で、未知の挑戦をするのも面白いかもしれないと思いました。
何より、大島社長の人柄に惹かれました。無邪気な少年のような顔で、構想中のビジネスをニコニコしながら語ってくれるんです。「この人となら、まだ見ぬ新しいことができそう」と直感的に思いました。2019年、プラザクリエイトに中途入社しました。
これまでとは真逆のプラザクリエイトにきて最初に取り組んだのは、会社の現状を把握することでした。組織や部署の目標、仕事のプロセス、社員の想いや、どんなことに困っているのかなど、とにかく聞いて回りました。「なんで?」「どうして?」と子どものように質問しまくり、プラザクリエイトらしさを自分に落とし込んでいったんです。
社員のみんなと話していると、プラザクリエイトでは成果を出すのと同じくらい、人の想いや気持ちを大切にしていることに気づきました。これまでの私は、とにかく成果を出すことに目を向けがちだったけれど、仕事をしているメンバー同士の気持ちが繋がることで、より意味がある仕事ができるし、その先の結果につながると気付かされたんです。気持ちに寄り添うことは体力を使いますが、そのプロセスを通じて自分自身も学ぶことが多くありました。プラザクリエイトのみんなと働くことで、入社前よりもだいぶ優しく柔らかくなったと自負しています(笑)。
第二創業期が開始。誇れる仲間たちと、次の時代を駆け抜けていく
入社して、約4年の間、既存事業のブラッシュアップや新規事業の創出をしてきました。たとえば、DIYキットブランド『つくるんです』はリブランディングに携わりました。コンセプトを新たに引き直し、コロナ禍のおうち需要にヒットさせることで、3年間で出荷数を約4倍に拡大させることができました。
また、2021年1月には、個室ブース『One-Bo』をリリースしました。コロナ禍でオンライン会議が増え、会議室不足になっていることを受け、オフィス向けのオンライン会議用の個室ブースに着手したのです。オフィス家具は未知の領域でしたが、プラザクリエイトがこれまでやってきた証明写真BOX事業のノウハウや印刷ビジネスの強みを活かすことで、製品化ができました。
そして2022年7月、長らくトップを走り続けた創業者の大島から社長のバトンを受け取り、株式会社プラザクリエイトの代表取締役に就任しました。創業者であり、社内外からも絶大な信頼を寄せられてきたリーダーが私たちに未来を託した今、メンバーそれぞれが主役となって会社を前に進めていく覚悟が必要だと感じています。
そんな気合いを証明するように、この秋には、長年温めてきたグランピング事業、カフェ×アパレル事業をスタートしました。グランピング事業は、コロナ禍で写真を撮る機会が減ってしまったことを受け、ならば思い出をつくる場所からプロデュースしようと始めた事業です。長野県飯島町と協業してつくったグランピング施設「アルプスBASE」を皮切りに、今後も全国で展開予定です。
また、カフェ×アパレル事業では、東京渋谷の神宮前にカフェとアパレル工房が一体化した施設「HATTO CREATIVE PLAZA」をオープンしました。目玉は、仕立て済みの服に刺繍風・立体プリントができる、日本初導入となるイスラエル製のプリンター。私自身、イスラエルまで行って現地視察や交渉をした、思い入れのある新事業です。受注をしてから印刷をする写真のオンデマンドなビジネスモデルを服にも転用させることで、無駄を出しにくいサステナブルなものづくりを進めていきます。
創業以来、さまざまな事業にチャレンジしてきたプラザクリエイトですが、いつだって一貫しているのは、コーポレートビジョンに掲げている、「みんなの広場をつくる。」を実現し、人と人との豊かなつながりをつくっていきたいという思いです。幸せな日を思い起こさせてくれる1枚の写真、落ち込んだ日に受信した1通の優しいメッセージ、家族みんなでつくった1組のパズル、火を囲んで語ったグランピングの夜……。私たちが提供しているのは、けっして派手ではないけれど、心にぽっと明かりが灯るようなプロダクトなんです。価値観やライフスタイルが多様化し、ばらばらになりがちな現代社会だからこそ、アナログでエモーショナルなつながりに価値があると信じています。
私たちが信じる価値をいかに具現化していけるか。それがプラザクリエイトの第二創業期のテーマです。これから厳しいことはたくさんあると思いますが、今はシンプルに、未知なる未来にワクワクしています。これまでもそうだったように、未知への好奇心を頼りに、社長だからこそ見える景色、行ける場所、会える人との出会いをめいっぱい楽しみたいと思っています。
そしてその経験を会社へ還元し、今から数十年後、「プラザクリエイトのプロダクトがあってよかった。なくてはならないものだった」と言っていただける未来を目指します。描く未来を実現するためには仲間の存在が不可欠。今、この瞬間もそれぞれの持ち場で力を発揮してくれている誇れる約800人の仲間たちと、次の時代を軽やかに駆け抜けていきます!