【会長インタビュー】仕組みで事業は加速する──田中恭貴が語る、フランチャイズ成長の本質
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40歳で東証一部上場企業の社長に就任し、20以上のブランドをフランチャイズ化・多店舗展開に導いた田中恭貴。
数々の成長を見届けてきたその眼には、常に「仕組みづくり」と「現場力」が映っていた。
今なお複数の上場企業・成長企業を支援する田中が、これまでのキャリアと、これからのFCビジネスについて語る。
🎙会長 田中 恭貴
大学卒業後、日本エル・シー・エーに入社。
経営コンサルティング業界の最前線で経験を積み、1986年にはグループ会社の立ち上げメンバーとして「ベンチャー・リンク」設立に参画。
世界初のBtoBマッチングサービスという当時革新的なビジネスモデルの立ち上げに、営業平社員として現場から関わりました。
その後、取締役・常務取締役を経て、2001年には東証一部上場企業の代表取締役社長に就任。
フランチャイズ支援事業を軸に、サンマルク・ガリバー・牛角・温野菜・まいどおおきに食堂・タリーズコーヒー・カーブスなど、20社以上のブランドを多店舗展開・上場へと導きました。
特に、営業支援・出資・仕組み化を組み合わせた「成長支援型FCモデル」により、投資先15社を短期間で上場へ導くなど、当時の日本で類を見ないスピードで実績を重ねました。
ベンチャー・リンク退任後も、ほっかほっか亭、カラダファクトリー、ロペライオなど、各業界のフランチャイズ本部にて経営参画・海外展開支援などを歴任。
2025年現在は、複数の上場企業や成長企業にて経営・コンサルティング支援を行うほか、海外事業や先進技術を活用した新たな業態支援にも力を注いでいます。
「すべては、現場から始まった」
──田中さんは“起業家”というよりも、“大企業の中で現場から経営に上がっていった方”という印象があります。
はい。新卒で日本エル・シー・エーという経営コンサルティング会社に入りました。
そこから、当時グループ会社だったベンチャー・リンクの立ち上げに参加したんです。創業メンバーではありましたが、最初は営業の一社員。いわゆるスタートアップ的なかっこよさは、正直なかったですよ(笑)。
──その後、取締役、常務取締役、そして代表取締役社長とキャリアを歩まれていきます。
ありがたいことに、30歳で経営陣に入りました。
でも、肩書きがついても大事にしていたのは「誰よりも現場を知っていること」。
会員数10万社、全国180行以上の金融機関と提携した当時の事業は、BtoBマッチングという世界初のモデルでしたが、現場が理解できなければ形にならなかったと思います。
「“再現性がある”こと、それが事業成長の鍵」
──FCモデルでの成長支援を多数手がけられてきた印象があります。
はい。1997年ごろから、会員企業への出資と営業支援を一体化した「成長支援型のFCモデル」を始めたんです。
サンマルク、ガリバー、牛角、温野菜、カーブス、まいどおおきに食堂、かつや、など、20以上のブランドに関わりました。
──短期間で株式上場に導かれた企業も多いと聞きました。
投資先のIPO成功率は70%を超えていました。
これは、すごいことをしていたというよりも、「誰がやっても成功する仕組み」を徹底的に作っていたからだと思っています。
どれだけいい商材やコンセプトがあっても、それが「仕組み化」されていなければ、多店舗展開は難しい。
それを営業・教育・管理・財務まで含めてつくるのが、私の役割でした。
「“0→1”よりも、“1→100”を」
──いわゆる「0→1」の起業よりも、「1→100」の支援に強みがあるように感じます。
そうですね。どちらも大切ですが、私は「伸ばすこと」「仕組みにして拡げること」にやりがいを感じてきました。
再現性がある状態まで整えたうえで、それを多くの人に届ける。
これはフランチャイズというモデルの本質だと思いますし、私自身が向いていたんだと思います。
「仕組みが人を活かす。だからこそ今も、支援を続ける」
──現在も複数の企業の役員やアドバイザーとして支援をされていますね。
今も上場企業や急成長企業を含む複数のFC本部、デジタル・広告・人材・飲食・介護など様々な業界の支援を行っています。
どの業界も、やはり本質は同じ。「再現性」「数値化」「人を活かす設計」が必要なんです。
──今後、どのような人と一緒に働きたいと思いますか?
「地に足がついた成長」を志す人ですね。
派手さやスピード感も大事ですが、それ以上に、ちゃんと人と向き合い、ビジネスと向き合う人とご一緒したい。
仕組みを理解し、現場を大切にできる人なら、どんな業種でも成長できると確信しています。