こんにちは。株式会社シンシア・ハートで代表取締役をしている堀内猛志(takenoko1220)です。
このnoteでは、起業を志してベンチャー企業に新卒入社したのに、結局17年も所属してしまった結果、38歳6か月にしてやっと起業した人間のヒューマンストーリーという名のポエムブログを書いています。
今日は、悲しい報告をしなければいけません。2025年6月23日午後1時55分、かねてより闘病中だった妻が息を引き取りました。
正直、未だに信じられませんし、もう何もやってられないぐらい、力が入りません。でも、妻を、そして、僕自身の気持ちを弔うために、記録を書き残したいと思います。
目次
最期の1ヶ月
脳梗塞とリハビリ
友人たちとの再会
衰弱していく体
静かな最期
妻との別れ
最期まで頑張った妻
別れの準備
家に帰ろう
みんなに愛されていた妻
心に妻の笑顔を
妻を気にかけてくれた皆さんへ
愛するともちゃんへ
メンバーを募集しています
最期の1ヶ月
脳梗塞とリハビリ
5月末に、妻はがんから起きる血栓によって脳梗塞を起こし、緊急入院しました。すぐに手術を行いましたが、その後3日間はどんどん喋れなくなり、僕は不安で仕方がありませんでした。一方で、1週間が経つ頃には、簡単な言葉を発したり、僕の手を握る力が強くなったりと、回復の兆しが見えてきました。
そして、2週間後には理学療法士や作業療法士によるリハビリも開始。妻は自力で起き上がれないので、まずは体を起こしてもらって座るところから始まりました。2週間ずっと横になっていたので、初回は目がぐるぐると回るような感じになり非常に心配しましたが、2日に1回同じことを続けるうちに、病院の皆さんからも褒められるほどの成果が見えてきたんです。
「長く座れるようになりましたね」
「蹴る力も強くなってます」
「ご主人の方を見てますよ」
リハビリ担当の方からこんなことを言われると、これから良くなっていくんだと思えて、すごく嬉しかったです。この時、僕はまだまだ希望を持っていました。
友人たちとの再会
とはいえ、希望を持つことと、最悪の状態のために準備をしないことは違います。妻は自分ががんであることをあまり話していなかったので、妻の友人や職場への連絡を始めました。
正直、妻の許可を得ずに僕から連絡することは憚られました。でも、妻に残された時間が長くないことは少なからず感じていましたし、全てが終わってからの事後報告になるよりは、生きているうちに会ってほしいと思ったんです。
妻は、2人きりで会えた大学時代の友人には事実を伝えていたようだったので、まずはその方々に連絡しました。すると、他の友人にも知らせてもらえることになり、皆さん関西にお住まいにもかかわらず、妻の元へ駆けつけてくれることになりました。
妻に会ってもらうにあたって、僕からはひとつお願いをしました。それは、事前に心の整理をしてきてほしい、ということです。「奥さんは、反応はなくても耳は聞こえている。頭ではわかっている」とお医者さんが言っていました。だからこそ、友達が泣き崩れている様子は見たくないはずだと思ったんです。
あんなに元気だった妻が、ベッドで寝たきりになっている姿を見て、友人の皆さんは間違いなくショックだったと思います。それでも、お見舞いに来た際には笑顔で妻のベッドを囲み、大学時代の思い出や近況のシェアなど、たくさんの話をしてくれました。
普段は起きているのがつらくすぐに眠ってしまう妻も、友達が来てくれた日には2時間くらいずっと目を開けていてくれました。やっぱり聞こえてるんだな、楽しいんだろうなと、僕まで嬉しかったです。
衰弱していく体
がんの影響で、妻はずっと高熱が続いていました。手足は本当に熱いし、常に汗をかいている状態です。僕が病室にいるうちは、保冷剤を体中にあてたり、顔をふいてあげたりしていました。
また、気づくのが遅れてしまったのですが、妻は何も飲み込めないままでいたため、口の中で唾液が固まってしまっていたんです。これはしんどいだろうと、それからは毎日、オーラルケアを始めました。
そんな状況でも、妻は綺麗でいたいだろうと思い、化粧水を何度も塗ってあげたりもしました。
僕は、本気で回復の見込みがあると信じていましたが、妻は徐々に弱っていきました。会話も、手を握ることもできなくなり、最初の頃は目で追っていた息子を見ているかどうかもわからない。
大丈夫だろうかとものすごく心配しましたが、やはり現実を受け入れたくなかったのか、「なんとかなるだろう」と考える楽観的な自分もいました。
静かな最期
その日、僕は妻のことや息子の保育園の申請などで行かなければいけない場所がいろいろあり、朝から区役所などを回っていました。
諸々の手続きを済ませ、午後から病院へ。妻の手を握ると、熱はあるのに、いつもは熱い手がすごく冷たかったんです。呼吸も「ハア、ハア」と浅くなっていました。
あれ?と思いましたが、いつもと同じように妻のケアをして、病室で仕事を始めました。
僕は、この生活になってからというもの、オンラインでの打ち合わせの最中はずっと妻の手を握るようにしていて、それはこの日も同じでした。
そして、その時は突然やってきました。
打ち合わせ中に妻の顔を見ていると、こちらを見る目の輝きが急に失われたんです。
え?と思った瞬間、すぐに打ち合わせを終わらせ、近くにいた看護師さんを呼びました。
「なんか様子が変なんです。今すぐ診てください!」
妻の息は、もう止まっていました。
妻は、生前に延命措置を希望しないことを病院に伝えていたため、病院側にできることは既にありませんでした。ただ、元看護師である妻の母は、息を吹き返すことを願って懸命に心臓マッサージを行いました。
それでも、妻が目を覚ますことはありませんでした。
妻との別れ
最期まで頑張った妻
妻が息を引き取った瞬間、僕が抱いたのは「本当に?」という疑問でした。
僕は、妻の最期をもっとドラマチックなものだと思っていました。妻が目を覚まして、二人で話したり、最後のメッセージを残してくれたりするのかもしれないと。
実際は、脳梗塞で倒れてから、一度もまともな会話はできず、あっけなく、あまりにもあっけなく終わってしまいました。
義理の母が号泣している横で、僕は妻の死を信じられず、ただただ呆然とするしかありませんでした。
でも、永遠の眠りについた妻の手を握ると「すごい頑張ってくれたんだろうな」と感じました。
妻は、午前中からしんどかったはずです。手が冷たかったり息が短かかったりしたのは、きっと、脳に血液や酸素を送るのに精一杯で、体に回す余力が残っていなかったから。
それでも、僕が前日に「明日は来るの午後になるよ」って言ったから、妻は最後の力を振り絞って、僕に会うまで待っていてくれたんだと思います。
別れの準備
妻が亡くなったという現実を信じられなくても、どれだけやる気が起きなくても、何をどうしたらいいかわからなくても、やらなければいけないことは山ほどあります。
まずは、病室の中で体を拭いてあげたり、死化粧をしてあげたりして、妻の身だしなみを整えました。
そして、葬儀屋さんと話して、日程を決めたり、必要なオペレーションを組んだり、知り合いに知らせたり。妻が亡くなったのは月曜日でしたが、妻の友人は関西から来るだろうからと、金曜日を通夜に、土曜日を葬儀にしました。
本当に、浸っている暇がないほどにやるべきことが多く、どんどん、どんどん時間が過ぎていきました。
家に帰ろう
最近では、通夜までの間、病院内の霊安室に遺体を安置するケースがほとんどだそうです。だけど、妻は、本当は大好きな家で最期を迎えたかったはずだと、一緒に家に帰ることにしました。
もちろん、いろんな手間もかかりましたが、妻と一緒に帰ってこれて、月曜日の夜から金曜日にかけてずっと側にいることができて、やっぱり嬉しかったです。
特に、両親や親戚が来て慌ただしく過ごす昼間を終え、妻と二人きりで過ごす夜は込み上げてくるものがありました。
もう、妻との最期は終わっているのですが、僕の中では終わりきれなかった。だから、一人で妻に喋りかけて、いっぱい、いっぱい話して……
そうしているうちにようやく、妻は亡くなったのかな、と思えるようになってきました。この時は、感情を表に出さないとやってられなかったので、夜中に散歩して喚いたり、友人に泣きながら電話をして話を聞いてもらったりもしました。
みんなに愛されていた妻
そして迎えたお葬式の日には、遠くに住んでいたり、小さなお子さんがいたりする友人や、会社の方、さらには取引先の方まで、生前妻と関わりがあった方々が大勢来てくださり、たくさんのお花も届きました。
妻は、本当に愛されていたんだなと実感した瞬間でした。
そんな皆さんに対して、僕は伝えなければならないことがありました。
妻は、ずっと自分の病気のことを隠していたので、高校の友人や仕事関係の方々は、何の事前情報もなく、急に亡くなったという知らせを受け取ったことになります。
そのため、喪主挨拶という形で、双子の一人が亡くなり病気が発覚するまでのこと、子育てをしながら闘病生活を送っていたこと、そして、今に至るまで、妻がどんな人で、どう過ごしていたのかも含めて、皆さんにお伝えしました。
ただ、この話ができたのは葬儀の時だけだったので、通夜に来てくれた方々に直接お伝えできなかったことについては、とても申し訳なく思っています。
心に妻の笑顔を
喪主挨拶では「妻がいたことを覚えていてほしい」というお願いもさせてもらいました。
人間は、忘れることで生きていけるとか、時間が解決してくれるとかよく言います。でも、いろんな人の記憶の中から妻がいなくなっていくのは、本当に寂しいことだと思ったんです。
妻は、ひまわりのような、黄色い花がすごく似合う人でした。だから、そんな花を見たときには、妻の笑顔を思い浮かべてくれたらと思います。また、妻はお酒の場も好きだったので、妻の笑顔を思い出しながら乾杯してあげてほしいです。
僕自身も、花を見るたびに、大好きだった妻の笑顔を花に重ねて思い出します。そして、毎年の命日には、妻と一緒にいるつもりで、ひまわりを飾ってお酒を飲みたいと思います。
妻を気にかけてくれた皆さんへ
繰り返しになりますが、妻が亡くなったという事実は、未だに信じられません。
僕のiPhoneでは、1ヶ月前、2ヶ月前と、自動で写真が表示されます。それを見ると、元気な笑顔の写真しかないんです。
だから、息子の将来のこととか、自分が亡くなった後どうしてほしいかとか、何の会話もしていませんでした。家も、病院に運ばれた当時の状態で残っています。
そして、僕はぐるぐると考えています。最後に手を繋いだのは、ハグしたのはいつだっただろう。また来ようって言った店、行けなかったな。旅行の予約もキャンセルしないと……。
振り返ってみると、僕は終わりを迎える準備ができなかったし、彼女にそれをしてあげることもできなかったんですよね。
本当に、ドラマみたいなことは起きず、すごく静かに、あっという間に終わってしまいました。後悔しかありません。
でも、こうやって感情を表に出していると、一つひとつの言葉から、いろんな思いが成仏していっているような気がします。
そして、今まで僕たち家族を見守ってくれていた皆さんにも、これまでに何が起きて、何を思ったのかを伝えなければいけないと思い、この文章を書きました。
この場を借りて、今まで妻を心配し、応援し、回復を祈ってくれた皆さんに、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
愛するともちゃんへ
あなたと出会ったのは2017年5月5日。
初めて出会った時に僕はあなたの笑顔に恋に落ちました。
色んなことや感情を一緒に共有したね。
よだれを垂らしている寝顔も含めて丸ごと愛せると確信したあなたの30歳の誕生日の朝に、僕はあなたにプロポーズすることを決めました。
それでも、結婚生活の最初は苦痛なこともありました。
別々の価値観やライフスタイルを持つ二人が一緒に生活するのは大変なことなんだと、結婚して初めて気づきました。
正直な話、別れた方が楽なんじゃないかと何度も思いました。
でも、僕が独立してからあなたの存在が本当に大切なんだと気づきました。
前職では、いつもメンバーに囲まれて仕事をしていた僕ですが、独立した当初は誰とも話すことなく一日が終わることがあり、帰り道で「自分は社会に対して価値を残しているのか?」と自分の存在価値を疑ってしまうときがありました。
それでも家に帰るといつも笑顔で迎えてくれて、ぎゅっとあなたがハグをしてくれるから、僕は僕の存在価値を感じることができました。
あなたを失った今、思い出すのは特別なイベントではなく、普段の何気ないひと時です。
朝起きた瞬間に横にいてくれること
おはよう、いってきます、ただいま、おやすみ、が言えること
一緒に食事ができること
手をつないでお散歩すること
陽翔の成長をシェアし喜び合えること
そんな日々や瞬間が、僕を支えてくれていたのだなと、失って気づきました。
大切な人が横にいてくれる、それだけでスマホをいじっている時間すらも温かいときになっていたことに、なぜ、一緒にいるときに気づけなかったんだろう。
正直、後悔の気持ちでいっぱいです。
もっと話し合っていれば、
もっと早く気づくことができていれば、
もっと早く行動していれば、
あなたを救うことができたかもしれないと毎日考えてうずくまっています。
立ち直れるのがいつになるのかはわかりません。
それだけ、あなたの存在が大きかったから。
それでも時は流れ、気づけば四十九日も近づいています。
陽翔はこの1週間だけでもすごく成長をしています。
時間は常に動いていて、止まっていてはだめなんだと背中を押してくれます。
あなたのことは忘れない。
でも、早くあなたの記憶を思い出フォルダに入れて、思い出すときには泣き顔ではなく笑顔でいられるように、自分の気持ちを成仏させることを祈って最後のメッセージ。
ともちゃん
出会ってくれてありがとう。
愛してくれてありがとう。
陽翔を産んでくれてありがとう。
大好きだよ。
安らかに眠ってね。
メンバーを募集しています
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