こんにちは。株式会社シンシア・ハートで代表取締役をしている堀内猛志(takenoko1220)です。
このnoteでは、起業を志してベンチャー企業に新卒入社したのに、結局17年も所属してしまった結果、38歳6か月にしてやっと起業した人間のヒューマンストーリーという名のポエムブログを書いています。
ここでも何度かお伝えしているとおり、僕の妻はステージⅣのがんと闘っています。
【創業note】まさに本厄だった1年の話~2024年の振り返り~
2月の末に病院から呼び出され、今の妻の病状を聞いてきました。今回の記事では、その記録と一緒に、僕の心情を書いていきたいと思います。
目次
ステージⅣでも持ち続けていた希望
受け入れ難い「最期」の話
「いつか」は急にやってくる
物語の主人公だった妻
物語を外から眺めていた僕
これからは家族に全集中
やりたいことは「今」やろう
仕事にも全力投球
誰もが「明日が楽しみ」と思える社会へ
これからもシェアし続けます!
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ステージⅣでも持ち続けていた希望
妻のがんが発覚したのは昨年の4月。最初に「10年はもたない」という診断を聞いたときはズドーンと落ちましたが、妻は、退院してからは見た目も元気で、健康な人とほとんど変わらない生活を送っています。息子もどんどん成長していますし、がんのことは頭のどこかにあっても、普段はあまり考えなくなっていました。
それに、こういった事実をオープンにしていることで、自分や家族、友人が「同じ病気だったけど復活しました」とか「がんの最終ステージと診断されてずいぶん経ったけど、今もピンピンしてます」とか、ポジティブな話をたくさん聞かせてもらうことができました。
妻のがんは転移が激しいので、完全に治すのは無理だと言われています。それでも、症状が全く出ていないという状況さえ続いてくれれば、体の中にがん細胞があっても大丈夫なんじゃないか、長生きするんじゃないかと思っていました。
実際に、8〜9月あたりには腫瘍のマーカー値も下がってきていると聞いていたので、どこか楽観視していたように思います。
でも、2月末に主治医から呼び出されて、こう言われました。
「腫瘍、ちょっと大きくなっていますね。」
受け入れ難い「最期」の話
今使っているのは一番強い抗がん剤なので、体への負荷が強く、今後も同じ薬を投与し続けることはできません。元々それはわかっていたので、まずは半年間使ってみて、結果に合わせて変えていくという計画にしていました。
腫瘍が大きくなっていることを告げられるまで、僕は、今の薬を使えば良くなると楽観的に捉えていました。ところが、もう薬を変えなければいけないタイミングなのに、数値は悪くなっています。
今の病状説明と同時に、お医者さんからは、人生の最期に向けての話もたくさんされました。「今のうちから、どういった治療方針にするのか、どこに住むのか、家族とどんな時間を過ごしたいか考えておいてください」と。
医者として、最悪のケースを伝えなければならないことは理解できます。でも、症状も全く出ておらず、寝たきりでもない妻を見ているのにそんなことを言われても、全く受け入れられませんでした。
ちょうど先月は、息子が来年から通う保育園のことを考え、人気の園に申し込む準備を整えていたのですが、現状では1年後にどうなっているかもわかりません。これまでの計画がガラガラと崩れていくのを感じました。
「いつか」は急にやってくる
妻の見た目がどれだけ元気でも、到底受け入れ難くとも、データやエビデンスに基づいて専門家が診断している以上、その日が近づいていることは確かです。
正直、これからのことを考え直さないといけないということは、前からわかっていました。だけど、最期に向けての話なんかしたら、治らないことを受け入れたみたいになってしまう。それが嫌で、未来がずっと続く前提でしか話してきませんでした。
明るく振る舞った方が絶対にいい、ポジティブに捉えた方がいいと言いつつ、実際には、現実に目を向けることなく逃げていただけだったのかもしれません。
でも、今回の診断を聞いたことで、大丈夫だろうという気持ちで日々を過ごしてるうちに、急に移動することさえままならなくなるときが来るのだと再認識しました。
物語の主人公だった妻
この出来事を機に、妻としっかり話す時間を取ることができたので、先生から病状の説明を聞いたときにどう思ったのかを問いかけてみました。僕が落ち込んでいる一方、妻はすごく冷静に見えたからです。
以前のnoteにも書きましたが、妻はCROとして、新薬が認定されるまでの試験やデータ分析、モニタリングを行う仕事をしています。数ある薬の中でも、がんの新薬を担当し、相当数のがん患者さんと向き合ってきた彼女は「今までデータ見てきてるから、こういう感じになっていくだろうなっていうのはある程度想定してるんだよね」と答えました。
仕事柄はもちろんですが、それ以上に妻は、物語の主人公として、自らに起こった事実をしっかりと受け止めていました。毎日毎日、いろいろな思いを握りしめ、覚悟して生きてきたからこそ、最期の話をされても冷静だったのだと思います。改めて、僕は彼女のことを「強い人だな」と感じました。
物語を外から眺めていた僕
一方で、僕はというと、こんな風にシェアすることで事実を客観視して、真正面から受け止めないようにしていました。結局、僕は、ハッピーエンドになることを信じて物語を読んでいる立場にいたんです。そんな状態だったから、妻の今の病状を聞いて「これってリアルなんだ」と衝撃を受けたのだと思います。
そんな僕と、今まさに物語の起承転結の「転」の中にいて、ポジティブなのかネガティブなのかわからない「結」に向かっている中で生きている妻の差は相当なものだと実感し、めちゃくちゃ反省しました。
それに、今までの僕は、自分の生活リズムやスタイルを変えてアジャストしていただけで、妻に寄り添っている気になっていました。そうではなく、ちゃんと気持ちの部分も一緒に受け止めないといけないなと感じています。
これからは家族に全集中
自分の至らなさを実感して、改めて僕の中のスイッチが入りました。まずは、プライベートの部分です。
僕は、子どもが生まれるまでは、平日は仕事の後に夜遅くまで飲み、週末はゴルフやバーベキューなどを楽しむという、シングル時代と変わらない過ごし方をしていました。この1年間は、妻のことも子どものこともあったので控えていましたが、100%自分の希望かというとそうではなく、3〜4割は我慢が入っていたと思います。できることなら、前みたいに自分のタイミングで飲んだり遊んだりしたいなと。
でも、今回のことを経て、自分がどう過ごしたいかと問いかけてみると、絶対に家族と一緒にいたいと思いました。妻がそうしてほしいと望んでいるわけではないので、僕自身の希望であり、意志です。もちろん、これは行くべきだなという大事なタイミングは外しませんが、今は家族集中がいいと心から思っています。
やりたいことは「今」やろう
これからのことを考えたとき、やっぱり「いつかやろう」はダメだなと改めて思いました。これまでは、普段生活していて、やりたいことを思いついたらやる、というスタイルでしたが、何も計画を立てていないと、いつもと同じ1日になっちゃうんですよね。
もし、急に体が動かなくなったらと想像すると、何もしていなかったことを後悔するんだろうなと第一に思いました。だからこそ、もっと行きたい場所ややりたいこと、過ごしたい時間を積極的に考えて、どんどん実現していくべきなんじゃないかなと。
早速、妻と2人で「行きたい場所リスト」を作ったので、前よりも積極的に、ポジティブに、プライベートの時間を味わい尽くしたいと思います。
ちなみに、住む場所も検討中です。僕は奈良県、妻は兵庫県出身で、両親は関西地方にいます。特に、大学から東京に出てきた僕と違い、妻は関西に友人が多いので、以前から「いつかは関西で暮らしたい」という思いを持っていたようです。
東京か、関西か、はたまた別のところかは、もう少し話し合ってから決めることになりますが、この2〜3ヶ月の間には決めて動き出そうと思っています。
仕事にも全力投球
今回の出来事を経て、仕事にもしっかりとスイッチが入っています。メンバーには「仕事のペースを緩めたりしないんですか?」と聞かれたのですが、しないなと思いました。
妻が望むならそうしますが、そういうわけではないのに仕事を緩めるのは、僕らしくないなって思うんです。もちろん家族は大事ですが、平日の夜や土日に向き合う時間を大事にするのがいいなと。
この先、何かに後悔したとき「あの時に家族に時間を割いてたから」と思うのは嫌ですし、僕が僕であるためには、自分らしい時間を取ることも大事だと思います。家族との時間は大切にしつつ、仕事にも全力投球するために、よりウィークデイのデイタイムを濃い時間にしていくつもりです。
誰もが「明日が楽しみ」と思える社会へ
当然、今までもサボっていたわけではないですが、薄い時間になっていたことは多々あるなと感じます。僕は「must(やらなければいけない)」よりも「want to(やりたい)」を軸にしていますが、時に、その軸を「やりたいことじゃないからやらない」と、言い訳のように使う、ぬるい自分もいました。
僕のビジョンは、全世代がときめく社会を作ることです。最期の日がいつ来るかわからない一番身近な人にも、明日が楽しみだと思ってほしい。それを踏まえてのビジョンでもあるので、その達成のために邁進することに矛盾はないと改めて思いました。1日でも早いビジョンの実現のために、ぬるい考えは捨て、もっとピッチを早めていく所存です。
起業や子どもの誕生と重なるタイミングで妻の病気が発覚しているので、周囲からは「大変だね」「頑張ってるね」とよく言われますが、僕はそんな状況でもベストを尽くせます。むしろ、こういう状況だからこそスイッチが入って、越えられなかった壁も越えられるんじゃないかと、ポジティブに捉えています。
これからもシェアし続けます!
僕がこういう話をシェアしたいと思うのは、シェアすることで助けてくれる人や気づいてくれる人がいるから。そして、同じような思いで苦しんでいる人と助け合えたらいいなと思うからです。
実際に、昨年noteを公開したときには、久しぶりの友人や、家族のことで悲痛な思いをお持ちの方から連絡をもらい、そこからいろいろな繋がりができたり、サポートのし合いが始まったりしました。
辛い状況の中でも、シェアすることは僕にとって本当に大事なことだと気づくことができたので、今後も続けていきたいと思います。そして、このnoteが誰かの希望に繋がれば幸いです。
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