「仕事って本当に楽しいと心から思いながら働けているので、その前向きな気持ちを共有したい」そう語るのは、ニューロリワーク 横浜センターでマネージャーを務める梅島嶺さん。
今回は梅島さんに、これまでのご経歴やご入社のきっかけ、仕事への価値観などを伺いました。
梅島 嶺 / ニューロリワーク 横浜センター マネージャー
高校卒業後、進学はしたものの明確な目標がなく、次第に登校しなくなり、友人との遊びに明け暮れる。2年ほどで中途退学をし、その後しばらくはふらふらとしていたが、いい加減働こうと思い、何をしたいかを考える。
発達・知的障害を持つ兄がいること、その兄が就労移行支援を利用していたことから、福祉は身近な存在であった。そこで自分自身も人の役に立つ仕事がしたいと考え、高齢者介護施設にて勤務を開始。約7年間勤めた後、福祉業界を志すきっかけとなった障害福祉や就労支援に関わりたいという想いが強まり、転職を決意。
福祉分野だけに留まるよりも、異業種の経験や知識を得ることで、将来的に支援の幅が広がると考え、営業会社に入社。実績を積み重ねた後、インクルード株式会社へ入社。当初は横浜関内センターにて支援員として業務に従事していたが、半年ほど経過した頃からマネージャー職を志すようになり、サブマネージャーへの立候補を決意。同センターにてサブマネージャーに就任した後、横浜センターへ異動し、その後マネージャー職を任される。
── 高校卒業から進学、そして就職を決めるまでのエピソードを教えてください。
高校を卒業してからは、とりあえず専門学校に進学したんですけど、正直その時は「これがやりたい!」っていう明確な目標がなくて…。なんとなく進学した感じだったので、ほとんど学校に行かないまま退学してしまいました。
でも、いざ辞めて「無職」という立場になったときに、すごく焦りというか、苦しさを感じたんですよね。人と会うのもちょっとしんどくなったり、毎日時間だけが余っていく感じで…。
そんな生活を続ける中で、「そろそろ働かなきゃダメだな」って本気で思うようになって。それが、就職を意識し始めたきっかけでした。
──その中で 福祉の道を志したきっかけを教えてください。
私には発達・知的障害を持つ兄がいるので、福祉は昔から割と身近な存在でした。兄は高校卒業後、就職も進学もできない状況が続いていて…両親も不安そうでしたし、兄自身もどうしたらいいか分からず、家族全体が不安定な時期があったんです 。
でも、そんな中で、兄が就労移行支援事業所に通うようになって、「相談できる場所」ができたことと「次のステップ」が見えてきたことで、家族全体に安心感が広がっていきました。
そういった経験から就労移行支援事業所の必要性は体感していたので、なんとなく「いつかは自分もそういった仕事に就きたい」という想いは持っていました。
そのため就職活動を始めたときは障害者施設での就職を考えていたのですが、当時20歳の私はそういう施設を探す術を知らなくて(笑)。幅広く福祉系の求人を探している中で、なんとなく登録した人材紹介会社から、高齢者施設の仕事を紹介してもらいました。
選考時に「資格を取ってから、障害福祉の仕事に転職する人もいるよ」という話を聞いて、「じゃあ経験として良いのかな」と、そんなに深く考えずにその施設で働き始めました。
──そこから 7年間、高齢者施設で勤められたのですね。
そうですね、働き始めてみたらすごく楽しくて。「人の役に立てること」や「自分の行動が誰かの変化につながること」に、大きな喜びを感じるようになったんです。
施設には、寝たきりの方が多く入所されており、ご本人と直接会話することが難しいケースが多かったため、ご家族との対話を重ねながら「どのような最期を迎えたいか」を一緒に考え、それに沿った介護を実践していました。
そうした中で、ご家族から感謝の言葉をいただいたときは、とてつもなく嬉しかったですね。自分の支援が人の心に届いたことを実感できた瞬間でした。
また、当時の職場は残業が多くて休憩もなかなか取りづらい環境でしたが、私が中心となって業務改善に取り組んだことで、休憩時間がしっかり取れるようになり、残業もかなり減らすことができました。そうした自分の行動が目に見える結果につながったときは、すごく大きなやりがいを感じました。
── 楽しく働かれていた高齢者施設を退職されたのは、どのような理由からでしょうか?
実は最初から「5年働いたら、就労移行支援の仕事に挑戦しよう」と考えていたんです。でも思いのほか仕事が楽しくて、気づけば予定よりも長く勤めていました(笑)。
そんな中、仲の良かった友人が退職するタイミングで、「私も次に進まないと、ずっとこのままだな」と思い転職を決意しました。
そのまま就労移行支援の仕事に転職することも考えましたが、「就労の支援をするにあたり、福祉業界だけでなく異なる業界や職種の経験があれば、より深い支援ができるのではないか」と思い一般企業の営業職への転職を決意しました。
実際に利用者さんの多くは一般企業に就職されるので、私自身が一般企業での経験を持っていた方が、より現実的かつ実践的なサポートができると考えたからです。そこで一時的にソーラーパネルの営業職に就きました。
──ソーラーパネルの営業とは、また異色のキャリアですね!
はい、少し異色に感じられるかもしれません。飛び込み営業で、ガッツのいる仕事でしたね(笑)。
最初から「何かしら結果を出してから次のキャリアに進もう」と決めており、当時在籍していた約150名の営業スタッフの中で「年間ランキング上位20位以内に入る」という明確な目標を掲げて取り組んでいました。
結果、1年目に目標を達成することができ、自分の中でもしっかりと手応えを感じられたので、次のステージへと進む決断をしました。
──1年目から上位20位に入るとはすごいですね。営業経験は、今の仕事に活きていますか?
はい、すごく活きていると感じています。
利用者さんに仕事のことを説明する際に、自分の実体験をもとにお話しできるのはもちろんですが、それ以外にも、たとえば見学に来られた方への説明の仕方や話の組み立て方などは、営業時代に身につけた「伝える力」がしっかり活きていると感じますね。
また、営業時代に大切にしていた「相手が本当に求めていることを丁寧に聞き取る力」も、今の仕事に活きていると感じています。利用者さんの状態や希望をしっかり把握する「アセスメント」って、まさにヒアリング力が試される場面なんです。ちょっとした表情の変化や言葉の裏にある気持ちを汲み取ることがとても大切で、それによって支援の方向性も大きく変わってきます。
マネージャーになってからは、「数字を意識しながら日々の動きを考える力」も、営業を経験してきて本当に良かったなと思う場面ですね。
── 数ある就労移行支援事業所の中で、インクルードを選ばれた決め手は何だったのでしょうか?
もともと私は、「仕事は楽しむもの」という考えを大切にしていて、新しいことにどんどんチャレンジしたいという気持ちが強かったんです。そのため楽しく、前向きに活躍できるような環境で働きたいと思いながら求人を探していました。
そんなときに出会ったのが、インクルードのミッションに掲げられていた「すべての人が活躍する」という言葉でした。この言葉を見たときに「あ、自分もこの“すべての人”に含まれてるんだな」って、なんかすごく安心したんですよね。「ここだったら、自分の考えやチャレンジしたい気持ちも受け止めてもらえそうだ」と感じました。
他の企業だと、「お客様のために」とか「利用者さん第一」という表現が多くて、どうしても“外に向けた価値”を重視している印象が強かったんです。でもインクルードは「すべての人が」と掲げており、その中には利用者さんだけじゃなく、働くスタッフ一人ひとりも含まれているんだろうなって、自然にそう感じられました。
そういう“人を大切にする考え方”に惹かれて、「ここで働きたい」と思ったのが、インクルードを選んだ一番の理由です。
── 実際に入社されてみて、その直感は当たっていましたか?
「大正解」でした!
まだ経験が浅い中でマネージャーを任せてもらっているし、さまざまな業務にもチャレンジさせてもらえる環境に、とても感謝しています。自分の成長の機会をしっかりといただけていて、毎日がとても充実しています。
「仕事って本当に楽しい」と、心から実感しながら働いています。そしてマネージャーになった今は、仕事に対するこの前向きな気持ちを、利用者さんやスタッフ、すべての人と分かち合いたいと強く思っています。
私は「仕事を楽しむことが、活躍につながる」と考えています。だからこそ、利用者さんやスタッフにも、日々の仕事の中で“楽しさ”を感じてもらえるような関わり方を心がけています。一人ひとりの強みにしっかり目を向け、それを活かしながら「仕事の楽しさ」を見つけてもらえるような支援やマネジメントを、大切にしていきたいですね。
ありがとうございました。
後半は、梅島さんが実践されている、「仕事の楽しさを見つけるためのマネジメントスタイル」や、梅島さんが目指す「スタッフ全員が活躍できるセンターづくり」についてお話を伺います。ぜひご覧ください。
インクルード株式会社では、「ソーシャルインクルージョンを実現し、全ての人が活躍する社会を創る」というミッションの実現に向けて、ともに歩んでくれる仲間を募集しています。
今回の記事を通じて、インクルードの事業や働き方について、少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。
※本インタビューの内容は、2025年7月時点のものです。