明治大学卒業後、HR領域を中心に、人事・採用、事業開発、新規事業の立ち上げなどに携わってきたZoth Consulting 株式会社 代表取締役の井上。
大学時代から様々なことに挑戦し、「人が生き生きする場所」にすることを考え始めた一方、学生起業では仲間が次々と離れていく組織崩壊も経験した。その後、人材教育会社に入り、人事・採用から事業開発、新規事業の立ち上げまで幅広く従事。会社を成長させる中で、事業をつくる面白さと同時に、「自分の会社なのに、自分の会社ではない」という感覚も抱くようになったといいます。
なぜ、長年在籍した会社を離れ、自ら会社をつくる道を選んだのか。
今回はZoth Consulting代表取締役・井上侑弥に、これまでのキャリアと創業を決意するまでの道のりについて話を聞きました。
Profile|井上侑弥
Zoth Consulting株式会社 代表取締役
2017年明治大学卒業後、HR領域を中心に、人事・採用、事業開発、新規事業の立ち上げなどに携わる。前職では訪問営業を起点に、採用・人事領域からBPO・人材派遣などの事業開発を経験。新規事業の立ち上げや事業のピボットにも携わり、組織づくりと事業成長の両面から会社の成長を支えてきた。2025年、Zoth Consulting株式会社を創業。現在は代表取締役として、事業戦略から営業、組織づくりまで幅広く担っている。
異端の原体験と背水の決断:エリートコースを捨て、親に縁を切られた日
―学生時代から組織づくりや「人がイキイキする場」に関心があったのでしょうか?
井上:この思いの原体験は、大学時代に遡ります。
小・中・高校時代を振り返ると、自分は学級委員長や部活のキャプテンのような矢面に立つタイプではなく、どちらかと言えば参謀的な立ち位置でした。そんな自分が何かのトップに立ったのは大学でゼミ長を務めた時です。当時、学部内でも倍率が2〜3倍ある難関のゼミを受験したのですが、合格順位は後ろから2番目。ゼミ長に選ばれたものの、直後に「ゼミ長として機能していない。お前はクビだ」と冷酷に言い渡されました。
立場が欲しくて見栄を張って名乗り上げただけだった私にとって、その一言は強烈なカウンターでした。そこから必死で反省し、最終的には3年間ゼミ長を務め上げることになります。20人ほどの組織で「誰一人としてゼミに来なくなる不参加者を出さない」「どうすれば個々の役割を発揮させて全員のエンゲージメントを高め、ゼミが大好きと言える場をつくれるか」を死ぬほど考えるようになりました。この泥臭い現場での気づきこそが、現在の私の組織づくりの真のルーツです。
―大学4年時には学生起業を経験されていますが、周囲の猛反対や内定辞退など、壮絶なドラマがあったそうですね。
井上:大学4年の8月、サークルと大学の一期上の先輩に誘われ、学生主体の人材紹介事業を立ち上げました。当時の私はすでに大手証券会社である野村證券への就職が内定しており、6月までに訪問営業で鍛えた営業力で内定を勝ち取り、証券外務員資格も取得して順風満帆な「エリートコース」を歩む予定だったんです。
最初は「卒業までの暇つぶし」のつもりでしたが、事業に没頭するうち、「このまま敷かれたレールに乗るだけでいいのか? 俺はもっとでかいことを成し遂げたいんじゃないのか?」という激しい衝動が抑えられなくなりました。
卒業直前の2月、ついに野村證券の内定辞退を決意しました。「人事部長や役員にコーヒーをぶっかけられるんじゃないか」と生きた心地がしないまま面談に臨み、「社会の厳しさ」について1時間ほどコンコンと諭されながらも頭を下げ続けました。当然、親には内緒で辞退したため、後報告した瞬間に激怒され「今すぐ出ていけ!」と一瞬で縁を切られました。ゼミの教授からは呆れられ、周りの友人からも「あいつは変わっちまったな」と冷ややかな目で見られましたね。(笑)
それでも迷いは一切ありませんでした。「俺はお前たちとは違う道に行き、絶対にでかいことを成し遂げてやる」という熱気と覚悟だけで、家を追い出され、背水の陣を敷いて社会へ飛び出していったんです。
挫折の連続とCHROの孤独:組織崩壊、絶望の数年間、そして逆転のBPO立ち上げ
―覚悟を持って踏み出した学生起業でしたが、困難も多かったのでは?
井上:現実は甘くありませんでした。マーチ層の学生が集まった組織で、優秀なメンバーが月に3人ほど成約を決める中、私の成果は月に0〜1件と後ろから数えた方が早いレベルのボロボロな成績でした。
さらに野村證券を辞退したわずか2ヶ月後、事業の方向性の違いや人間関係の揉め事から組織が崩壊。先輩と私以外のメンバー全員が辞めてしまい、完全に空中分解しました。内定を蹴り、親と縁を切り、残ったのは成果の出ない自分と先輩だけ。「いなくなったら俺しかいない、じゃあ俺がやるしかないじゃん」と強がりつつも、事業継続は不可能となり、出資元であった人材教育サービス会社に拾ってもらう形で合流したんです。
―人材教育会社に参画後、CHRO(最高人事責任者)に就任されてからの道のりは?
井上:人材教育会社では人事として採用に没頭しましたが、参画から8ヶ月後、私をこの世界に引き込んだ憧れの先輩が突然転職してしまい、強烈な孤独に襲われました。「俺の人生を変えておいて、あんたも辞めるんかい」と。(笑)
さらに、プレイヤーとしてはトップの実績を出せるのに、事業責任者・中間管理職としては全く機能しませんでした。採用戦略や組織開発の0→1を仕組化できず、会社からは言葉にはしないものの、静かに外部から優秀な上司を次々と上に付けられる。「俺一人じゃ任せてもらえないんだな」という強烈な不甲斐なさと悔しさを味わう日々でした。
転機が訪れたのは、コロナ禍などで主力の営業組織のパワーバランスが崩れた時です。私は「人事というコストセンターの採用力をマネタイズする」という大勝負に出ました。自ら部長として、BPO・人材派遣事業をゼロから立ち上げたのです。
1年半ほど泥臭く事業を拡大し、会社のPLにダイレクトにインパクトを与える利益を生み出すことに成功しました。自分の手で事業を作り、会社を救ったこの成功体験こそが、私の事業家としての決定的な自信になりました。
コンフォートゾーンを捨て、リスクを全額背負う生き方へ
―6年間実績を積み上げた会社を離れ、HR Tech Managementの創業へ向かった理由は何だったのですか?
井上:6年が経過した頃、社内に新しく入ってきた”異質” なバックグラウンドを持つ2人のメンバーの思考に触れ、大きな刺激を受けました。彼らは仕事と人生のバランスをクールかつ合理的に捉えていたのですが、ふと自分を俯瞰して見た時に、「この環境の常識や価値観に染まりきり、世間の客観的な視点を失っているのではないか」と思ったんです。と同時に、今生きてきた世界が全てではなく、世の中には自分が知らない世界や価値観がもっとあると気づいた、ある意味衝撃的な体験でした。
「20代のうちに自分を激変させなければ手遅れになる」そう直感し、退職を決意しました。当時の代表からは引き留められましたし、別の選択肢もあるのではないかと提案いただきましたが、リスクを背負ってでも自分の足で立ち、自立した一人の事業家として挑戦したいと伝え、次のステップへ進みました。
そしてそのきっかけをくれた2人に合流し、HR Tech Management を共に創業することになったんです。
―HR Tech Managementではどんなことを?
井上:HR Tech Managementでは、人材派遣業をスタート。その後、利益率40〜50%を誇るRPO(採用代行)事業を立ち上げて軌道に乗せ、プロパー50名規模まで組織を急成長させました。
ー順調に行っているようにも見えるのですが、そこからZoth Consultingの立ち上げに至った経緯は?
井上:仕事自体はとても楽しかったですし、やり甲斐もなかったわけじゃありません。ただ、「100%自分が現場を回しているのに、結局は社長の看板と顔に守られているだけじゃないか」という不甲斐なさ、コンフォートゾーンに逃げている自分に耐えられなくなったんです。
これまでやってきたことにそれなりの自信もあったんです。経営が傾いていたところから新規事業を立ち上げ軌道に乗せたこと、そして創業メンバーとしてゼロから立ち上げ、事業を作ったこと。
そして30歳という節目、「他人の船ではなく、100%自分のリスクで勝負したい」と独立を決意しました。自分と領域もアピアランスも思考も真逆の信頼できる右腕・榎本を口説き落とし、完全にリスクを全背負いして立ち上げたのが現在の「Zoth Consulting」です。
ービジネスパートナー選びってすごく大事だと思いますが、榎本さんを選んだ理由はなんだったんでしょう。
井上:もともとは共通の知人を通して知り合って、歳も近いこともあり、普通に仲が良かったんです。
ご覧の通り、見た目も違えば、もちろん性格も、得意とする領域もまったく違う。価値観も、生きてきた世界も違います。でも、ビジネスをするときって、同じ性格や価値観を持っていることよりも、お互いに足りないものを補える関係性のほうが強いと思うんです。
私はどちらかというと猪突猛進するタイプですが、彼はしっかり考えて、合理的に判断するタイプ。だからこそ、すごく強いタッグになれると思いました。
あとは、単純に彼の誠実さですね。誠実で、とても優秀で、何よりいい奴なんです。創業すると決めたとき、パートナーは彼以外に考えられませんでした。
後編につづく!