「いつか自分が、この会社を継ぐんだろうな」
子どもの頃から、なんとなくそう思っていました。
父は経営者。
現場土木業の会社を営んでいて、兄弟の中で男は自分一人。
周りから強く言われたわけではなくても、家族の中に流れる空気として、どこかで「自分が継ぐんだろう」と感じていたといいます。
でも、龍聖さんが選んだのは、父の会社を継ぐ道ではありませんでした。
敷かれたレールをそのまま歩くのではなく、自分でレールを敷く側になること。
今回は、経営者の家庭に生まれ育ち、父の会社を継がず、地元の仲間とともに会社を創業した龍聖さんに、当時の葛藤、創業して気づいたこと、そして今考える「自由」について聞きました。
子どもの頃から、いつか自分が会社を継ぐと思っていた
龍聖さんにとって、「経営者」は遠い存在ではありませんでした。
父親が会社を経営していたからです。
「兄弟はいるんですけど、下は妹で、男は僕でした。父の会社は現場土木業だったので、自分が継ぐんだろうなというのは、子どもながらに考えていました」
家業がある。
父が経営者として働いている。
自分は長男として、その会社を引き継ぐのかもしれない。
幼い頃から、そんな感覚は自然とありました。
ただ、成長するにつれて、その道に対する違和感も生まれていきます。
父の会社を継がなかった理由
父の会社を継ぐという選択肢は、ずっと目の前にありました。
それでも、龍聖さんはその道を選びませんでした。
理由は、大きく二つありました。
一つは、今の自分では継げないという自信のなさ。
「正直、今の自分じゃ継いでもな、という感覚がありました」
もう一つは、周りが自分の力で独立していく中で、自分だけが“社長待ち”をしているように感じたことでした。
「周りが独立していく中で、自分が社長待ちしているのが嫌だったんです」
父の会社を継げば、経営者にはなれるかもしれない。
でも、それは本当に自分の力で掴んだものなのか。
与えられた場所に座るだけではないのか。
そんな問いがありました。
「継いでくれると思っていた」父に伝えた時
父の会社を継がない。
その決断を伝えた時、父親は驚いたといいます。
「正直、そうなると思わなかったと言われました」
大きく揉めたわけではありません。
父親は、龍聖さんの意思を尊重してくれました。
ただ、そこには寂しさもありました。
「お前のやりたいことをやってくれてもいい。でも、悲しい。継いでくれるものだと思っていた、とは言われました」
その言葉には、父親としての期待も、経営者として築いてきたものへの想いもあったはずです。
それでも流星さんは、自分で選ぶ道に進むことを決めました。
父の敷いたレールを否定したかったわけではありません。
ただ、自分の人生を、自分の意思で作りたかったのです。
地元の仲間だった代表との出会い
現在の代表とは、もともと地元が一緒でした。
10代の頃からよく遊ぶ仲だったといいます。
「本当に地元が一緒で、10代の頃からよく遊ぶ仲でした」
その代表が先に東京へ出て、いくつもの事業を展開し、会社を立ち上げていく姿を、龍聖さんは地元から見ていました。
地元に帰ってくるたびに、代表は東京での話をしてくれました。
新しい事業の話。
会社を立ち上げている話。
挑戦している話。
それを聞くたびに、龍聖さんの中には「いいな」という気持ちがありました。
「代表が地元に帰ってきた時に、いろいろ今度こういうことをやるんだよね、という話を聞いていました。正直、いいなと思っていました」
当時の自分を振り返ると、流星さんはこう話します。
「今思えば、その時の自分はずっと作業者だったなと思います。与えられた仕事をこなしていただけでした」
自分では、できると思っていた。
どこか変な自信もあった。
でも実際には、自分で何かを作っていたわけではなく、
与えられた仕事をこなしているだけだった。
そのことに、代表との会話を通じて気づいていきました。
「俺も東京に行く」自分で挑戦する道を選んだ瞬間
代表が新しい挑戦の話をしてくれた時、流星さんの中に強い感情が湧きました。
自分も挑戦してみたい。
このまま作業者でいたくない。
自分の力で何かを作る側に回りたい。
そう思い、龍聖さんは決断します。
「俺も東京に行く、と言いました」
父の会社を継ぐ道ではなく、地元の仲間と一緒に東京で挑戦する道。
それは、安定した道ではありませんでした。
でも、自分で選んだ道でした。
そして、その選択が、龍聖さんにとって本当の意味で「経営」を知るきっかけになっていきます。
創業して気づいた、父のすごさ
会社を創業し、自分たちで事業を作るようになってから、龍聖さんは改めて気づいたことがありました。
それは、これまで自分がしていたのは「仕事」ではなく「作業」だったということです。
「本当に、仕事というより作業をしていたなという実感はめちゃくちゃあります」
与えられたことをこなす。
目の前の作業を進める。
決められた役割を果たす。
それももちろん大切なことです。
でも、経営や事業づくりは、それだけではありません。
自分で売上を作る。
自分で仕事を生み出す。
自分で責任を持つ。
その難しさに直面した時、父親が経営者としてやってきたことの重みが見えてきました。
「自分で売上を作るということが、全くできていなかったなと実感しました。全部与えられていたんだなと思いました」
父の会社を継がなかったからこそ、父のすごさがわかった。
自分で会社を作る側に回ったからこそ、経営者としての責任の重さを知った。
それは、龍聖さんにとって大きな学びでした。
自由とは、何でも好きにできることではない
父の会社を継がない自由。
自分で会社を作る自由。
その両方を経験した今、龍聖さんは「自由」についてこう考えています。
「自由とは、規制や制限の中にあるものだと思っています」
一見、矛盾しているように聞こえるかもしれません。
でも、龍聖さんにとって、自由とは何でも好き勝手にできることではありません。
「なんでもいいよ、というのは自由じゃないんです。規制や制限がないから、逆に何もないんです」
たとえば、野球。
龍聖さんには野球をやっていた経験があり、
野球にはルールがあります。
打ったら一塁に走る。
一人が無限に打席に立てるわけではない。
アウトやストライクという制限がある。
だからこそ、その中で戦略が生まれ、面白さが生まれます。
「もし打って三塁側に走ってもいいとか、一人が何打席も立てるとかだったら、面白くないじゃないですか。しっかりとしたルールがあるからこそ、その中で自由にやれるんです」
以前の自分が思っていた自由と、今考える自由はまったく違う。
自由とは、制限がないことではない。
自分でルールを理解し、その中で仕掛ける側に回ること。
その感覚に変わっていきました。
自由になりたければ、ルールを創る側であれ
龍聖さんが、今自分の道を探している人に伝えたいこと。
それは、自由になりたいなら、ルールを作る側に回ることです。
「自由になりたければ、そのルールを作る側であれ、ということですね」
ただ守る側にいるのではなく、仕掛ける側に回る。
与えられる側ではなく、作る側に回る。
誰かが敷いたレールを歩くだけではなく、自分でレールを敷いていく。
それが、龍聖さんの考える自由です。
最初の理由は、何でもいいといいます。
稼ぎたい。
自由が欲しい。
時間が欲しい。
今の環境を変えたい。
きっかけは、自分本位でもいい。
でも、一人で挑戦するのではなく、仲間と一緒に進んでいく中で、少しずつ主語が大きくなっていくと話します。
「最初は稼ぎたいとか、自由が欲しいとか、理由は何でもいいと思います。でも、仲間とやっていくことで、徐々に自分から仲間、会社、日本、地球、宇宙みたいに、主語が大きくなっていくんです」
自分のために始めた挑戦が、仲間のためになり、会社のためになり、もっと大きな未来のためになっていく。
それが、今の環境の面白さでもあります。
自由は、誰かから与えられるものではなく、自分で掴み取るもの
父の会社を継ぐ道もありました。
その道を選べば、ある意味では最初からレールがありました。
でも、龍聖さんはそのレールに乗るのではなく、自分で道を作る選択をしました。
それは、簡単な道ではありません。
与えられた仕事をこなすだけでは通用しない。
自分で売上を作らなければいけない。
自分で責任を背負わなければいけない。
でも、その先にこそ、本当の自由があると考えています。
「自由になるためには、作る側にならないといけない。自分で掴み取れ。それが自由だと思います」
最後に
親の期待。
周囲の目。
安定したレール。
自分に向けられた役割。
それらを背負いながら、自分の道を選ぶことは簡単ではありません。
でも、自分の人生を本当に自由にしたいなら、ただレールを外れるだけでは足りないのかもしれません。
大切なのは、自分でレールを敷く側に回ること。
誰かが作ったルールの中で生きるだけではなく、自分たちでルールを作り、仕掛ける側に立つこと。
私たちは、そんな挑戦を一緒にできる仲間を探しています。
今はまだ、自分のための挑戦でもいい。
稼ぎたい、自由になりたい、環境を変えたい。
その想いを持って飛び込んだ先で、主語は少しずつ大きくなっていくはずです。
自分で自由を掴み取りたい。
敷かれたレールではなく、自分で道を作りたい。
そう思う方は、ぜひ一度カジュアルにお話ししましょう。