年長からプロの世界まで、人生のほとんどをサッカーに捧げてきた男がいる。阿渡真也。Jリーグのピッチを駆け抜けた彼は、引退後、ビジネスの世界という全く新しいフィールドに飛び込んだ。
サッカー選手からビジネスマンへ。その異色のキャリアチェンジの裏には、彼ならではのユニークな哲学があった。
「どんな経験も、いつか笑い話になる。だから僕の人生は『ネタ作り』の連続なんですよ」
そう語る彼の言葉には、幾多の困難を乗り越えてきた者だけが持つ、しなやかな強さが宿っていた。今回は、阿渡さんのこれまでの軌跡と、彼のキャリアを支える価値観の源泉に迫る。
◆サッカーが僕のすべてだった。反骨心と「やめない」力で掴んだプロへの道
ー本日はよろしくお願いします!まずは阿渡さんのルーツについてお聞かせください。これまではどんな人生を歩んでこられたのでしょうか?
もう、とにかくずっとサッカーですね。年長の頃に地域のチームの試合を見に行って、「やりたい!」と思ったのがきっかけです。そこから小学校、中学校、高校、大学、そしてプロになるまで、サッカー以外のことはやってきていない、と言えるくらい一筋でした。
(写真はヴェロスクロノス都農に在籍時の様子。※明治大学→ツエーゲン金沢→藤枝MYFC→ラインメール青森→ヴェロスクロノス都農で活躍していた。)
ーまさにサッカー人生ですね。プロの世界は相当厳しいと思いますが、何が阿渡さんをそこまで突き動かしたのでしょうか?
反骨心、ですかね。昔から「あいつには負けたくない」とか、「試合に出たい」という気持ちが強くて。ポジションを争う選手を見ては「俺の方が上だ」って自分を奮い立たせていました。
もちろん、楽しいことばかりではありません。むしろ苦しいことの方が多かった。特に、怪我や実力不足で試合に出られない時期は本当に辛かったです。周りには、そこで心が折れて辞めてしまう選手もいました。
でも、僕は「やめたら終わりだ」って、それだけは分かっていたんです。だから、とにかくやり続ける。どうやったら試合に出られる確率が上がるか、常に考え、行動し続ける。止まらないことだけは意識していましたね。
ーその「継続する力」がプロへの扉を開いたのですね。サッカー人生を通じて、最も得られたものは何だと感じますか?
一番は目標達成意欲ですね。プロの世界では、短期的な目標を設定し、それに対してどれだけコミットできるかが全てです。
あとは、コミュニケーション能力と柔軟な対応力。毎年チームもメンバーも監督も変わる環境だったので、新しい人間関係の中でいかに自分を適応させ、パフォーマンスを発揮するか。その繰り返しで自然と身につきました。
◆引退、そしてBeFreeへ。決め手は「信頼できる人」と「多様な経験」
ー輝かしいサッカー人生ですが、引退を決意されたのはなぜだったのでしょうか?
宮崎のチームにいた時、自分の中で「ここが潮時かな」と感じるものがあって。他の選手に比べたら、僕は結構きっぱりと辞めた方だと思います。でも、不思議なもので、辞めてからの方がサッカーの素晴らしさや、どれだけ周りの人に支えられていたかを強く感じるようになりましたね。
ーセカンドキャリアへの不安もあったかと思います。その中で、なぜBeFreeを選ばれたのですか?
正直に言うと、ビジネスのことは右も左も分からなかったんです(笑)。自分なりに就職活動はしたものの、限られた時間の中でBeFreeに出会いました。
決め手は二つあります。一つは、皆川代表の人柄です。「この人は信頼できる」と直感的に思いました。彼もサッカー経験者だったこともあり、通じ合うものがあったのかもしれません。
もう一つは、多様な経験が積めること。BeFreeは営業代行の会社なので、様々なクライアントの商材を扱うことができます。まずは色々なことをやってみたい、という自分にはぴったりの環境だと思いました。
◆「人生ネタ作り」という最強のマインドセット。失敗も困難も、未来の自分への贈り物
ー未経験からビジネスの世界に飛び込んで、いかがでしたか?
本当にBeFreeで良かったと心から思っています。社会人としての基礎から、KPI/KGIといった目標設定の重要性まで、ここで全てを学びました。これまでのサッカー人生で感覚的にやっていたことを、ビジネスの世界で言語化し、体系的に理解できたのは大きな収穫でしたね。
委託先のプロジェクトは3社経験し、扱った商材は8つくらいになります。色々な経験ができたことには本当に感謝しています。
ー慣れない環境で、失敗もあったかと思います。どう乗り越えてきたのですか?
僕、昔からの癖というか、どんな出来事もポジティブに捉えるようにしているんです。たとえ失敗しても、「この経験は絶対に将来に活きるな」って。
僕の人生のテーマは**「人生ネタ作り」**なんです。 大学の先輩の会社に入って1ヶ月で辞めてしまったことがあるんですけど、今となっては最高のネタじゃないですか(笑)。「東京でビジネスマンになる!」って格好つけて上京したのに、1ヶ月で無職ですから。当時は奥さんにもめちゃくちゃ心配かけましたし、本当に大変でしたけど、それもいつか笑い話になると思っていました。
辛いことや嫌なことが起きても、「これもネタになるな」って思うようにする。そうやって乗り越えてきました。結局、時間が経てばどんな経験も「あんなことあったな」って、昔の仲間と酒を飲む時の肴になるんですよ。
ー素晴らしいマインドセットですね!BeFreeでの経験で、心に残っていることはありますか?
やっぱり仲間とのコミュニケーションですね。普段はそれぞれの委託先で働いているメンバーと、オフィスで顔を合わせたり、飲み会で話したりする時間がすごく大切でしたし、楽しかったです。特に、僕より若いメンバーが真面目に頑張っている姿には、いつも刺激をもらっていました。
◆未来の仲間へ。信頼できる仲間と、急成長できる環境がここにある
ー最後に、これからBeFreeに入ってくる未来の仲間に向けてメッセージをお願いします。
BeFreeの社員の方々は、本当に信頼できて面倒見がいい人たちばかりです。だから、成長できる環境は間違いなく提供してもらえます。
今のBeFreeは、会社としてものすごいスピードで成長しています。そんな急成長中の環境に身を置けば、自分自身も急成長できる可能性を秘めている。それは僕が保証します。
僕自身、BeFreeで様々な経験をさせてもらったからこそ、次のステージに進むことができました。何も分からなかった僕を温かく受け入れ、成長させてくれたこの会社と仲間たちを、これからも心から応援しています。そして、僕も負けないように頑張ります。
ー阿渡さんらしさが詰まった、熱いメッセージをありがとうございました!
【編集後記】
「気持ちはずっと小学生。いつまでも青春していたい」
インタビュー中、彼が照れくさそうに、しかし真っ直ぐな目で語ったこの言葉が、今も耳に残っています。
未経験のビジネス界に「素直さ」という武器一つで飛び込み、プロの営業として成長した阿渡さん。彼が次に見つけたのは、BeFreeで培った力を、最も愛するサッカー界へ「恩返し」するという、あまりにも彼らしい道でした。
この記事を読み終えたあなたは、今、何を思っているでしょうか。 「自分も、心の底から情熱を注げる場所で働きたい」 「キャリアチェンジは不安だけど、何かを変えたい」 彼の清々しいほどの決断は、私たち一人ひとりに、自身のキャリアを問い直すきっかけをくれます。
素晴らしい仲間が、新しい夢を見つけて旅立つ。それは寂しくもありますが、最高の刺激と誇りを与えてくれます。
阿渡さん、いってらっしゃい。 私たちも、最高の「青春」を続けます。