【代表インタビュー Vol.1 Sun Growingらしさとは?】 働いて自己成長を実現。逆境から生まれた“本気の仕事観”
こんにちは。ライターの吉田愛です。
今回のストーリーは、株式会社Sun Growing 代表・田川陽一さんのインタビューをお届けします。第1回のインタビューテーマは、ずばり「Sun Growingらしさ」とは?
強豪野球部で培ったストイックな精神、借金2500万円を背負いながらも挑戦をやめなかった20代前半、そして「稼げる自分になりたい」という想いを抱き続け、会社設立に至った経緯――――。どんなときも「自分を成長させたい」という強い想いを積み重ねてきた田川さんのキャリアや人生観から、Sun Growingという会社のカルチャーの根源に迫ります!
フラットな人間関係でいたい。野球が教えてくれた“人との向き合い方”
―田川さんはどんな学生時代を過ごされましたか?
小学校2年から大学まで、ずっと野球をやっていました。甲子園を目指す当時の強豪校って上下関係が本当に厳しくて、入部して2日目で先輩3人に2時間半くらいボコボコにされるくらい暴力が当たり前の環境で。だから、学年が上がれば僕も後輩に同じことをできる流れだったんですけど、僕は全くやらなかった。単純に、そういう権力構造がすごく嫌で。だから後輩からはすごく好かれていたと思います(笑)
野球って、うまい人ほど発言力を持てる世界なんです。僕は実力的にキャプテンと同じくらいのポジションにいたんですが、「強い人間=偉い」という感じがどうしても合わなかった。そういう経験も含めて、今でも仕事関係のコミュニケーションで大事にしている“フラットでいたい”という考え方が根づいたんだと思います。
プロ野球選手を目指して大学に入ったものの、チームはいわゆるお利口さんが好まれる雰囲気で。僕のようにわりとやんちゃというか、監督の言うこと聞かない系のタイプはあまり評価されませんでした。努力はしていたけれど、自分の成長に集中していたので、チーム内では浮いていたかな。大学3年のときに野球を辞めたときは、ほんまにびっくりするくらい「やっと辞められた」というかんじで。呪縛から解放されたなと。
―そこまで過酷な環境の中でも、長年野球を続けられたのはどんなモチベーションからだったんでしょうか?
好きで野球をやっていたのは中学3年生まででした。高校と大学はとにかくきつくて、「野球が好き」という感情がなくなるくらいの厳しさだったんです。それでも続けられた理由は、お金でした。野球を辞めてから気づいたんですが、スポーツの中で一番お金を稼げるのは野球なんですよね。契約金も含めて。子どもの頃から「僕は野球をやる人なんだ」という枠の中で生きていた。「稼げる自分になりたい」という思いはいつの頃からかずっとあって、視野が狭かった分、野球=お金に直結するという意識が強かったんだと思います。
―「稼げる自分」になるために努力してきたプロ野球への道を諦めたとき、未来に対する不安はなかったんですか?
もちろんありましたよ。大学3年で野球を辞めたときは、「この先どうしよう」と思っていました。ただ、父親が自営業だったこともあって、自然と“自分で仕事をつくる”という発想は当時からもっていて。どうせ働くならお金を稼げるようになりたいし、社長になりたい、自分でやりたいという気持ちはその時からありましたね。
社会人としての第一歩。「稼げる自分になりたい」成長への意欲。
―大学卒業後はどんな進路を選択したんですか?
「一回働いてみないと、働き手の気持ちはわからないよ」という助言もあって、卒業ギリギリの1月に就職活動をスタートしました。3社内定をもらえて、高額の報酬を提示してもらった会社もあったんですけど、結果、入社したのは保険代理店の営業職。一番きつそうだったから選びました。
―田川さんらしいエピソードですね。ラクにお金を稼げる会社の選択肢もあった中で、なぜ一番きつそうな会社を選ばれたのでしょうか?
成長したかったから。この一言に尽きます。営業の経験がなかったので、とりあえずやったことないことならなんでも挑戦してみようという気持ちで。入社したら大変だったんですけど(笑)3か月の研修のはずが、なぜか僕だけ3週間で現場に出されて、“もう行けるやろ”と無茶振りされたりして。結果を出すのはわりと早くて、電話営業で14件連続アポを取ったこともありました。すぐに会社のトップクラスになったけれど、翌月には別のビジネスに魅力を感じて、退職しました。
退職後はアルバイト先の先輩に誘われ、ネットワークビジネスに参加したりもしました。健康食品や浄水器、化粧品、調理器具などをローンで買い揃え、気づけば23歳くらいで借金が2500万円を超えていました。返済しなきゃいけないので、昼は物販、夜は清掃の仕事みたいに、朝から晩まで睡眠時間も削って働いて。このときは、とにかく “稼げるようになりたい”という気持ちで、なんとか生活していました。
借金完済! キーパーソンとの出会いから、26歳で株式会社Sun Growingを設立
―2500万の借金返済から会社設立にいたるまで、どんな転期があったのでしょうか。
人を紹介するビジネスの話を知ったのがきっかけでした。たとえば新電力の切り替えや、転職希望者を人材紹介会社に紹介するような仕組みです。そうした紹介モデルを、個人事業主としていろいろ試していたんです。ちょうどコロナ前の時期で、民泊の運営などにも挑戦していました。試行錯誤を続けるうちに、ビジネスが軌道に乗り、借金もすべて返済。少しずつ利益が出るようになりました。ビジネス交流会や紹介を通じて、業界の垣根を越えて多くの人に会いに行く中で、ビジネスに精通した経営者とも出会うことができました。その方は、今でも僕がベンチマークにしている経営者の一人です。当時すでに資産170億円を築いていて、「会社を作ったほうがいい」とアドバイスをくださった。その言葉が大きな転機となり、26歳で株式会社Sun Growingを設立しました。
もともとは、Amazonや楽天といったECモールで、勝ち筋のありそうな商品をOEMでつくり、試行錯誤しながら売上を伸ばしていきました。企画から製造、販売、発送、カスタマーサポートまで、すべてを当時のメンバー全員で手がけていましたね(笑)
そのうち、代理店経由でECモールに出品されている商品の使用レビューや、SNSでのPRを依頼されるようになり、これが軌道に乗って売上も一気に拡大していきましたね。会社を設立して2年ほど経った頃には、事業の幅も広がり、SNS運用や採用支援など、企業の課題に幅広く応えられるようになっていきました。今のSun Growingの事業スタイルは、そこから生まれたんです。
―キーパーソンとの出会いが、田川さん、そして株式会社Sun Growingの飛躍のきっかけだったんですね。この成長期に、仕事をする上で大切にしてきた考え方ってどんなことだったのでしょうか。
信用を積み上げることです。信用や信頼といった、目に見えないものをずっと大事にしてきています。会社としても、個人としても、そこが成長の軸で、一番重要だと思っていて。仕事を始めたばかりの頃は、取引先から「この会社大丈夫かな?」と見られることが多かった。無名の会社なので当たり前ですよね。だから最初の3か月で完璧にやりきることを意識していました。最初の3か月で信頼を積み上げられれば、少々のミスがあっても関係は続きます。
―信用の積み上げ。SunGrowingが求める人材像にもつながりますね。
はい。会社を作ってから6年ほどになります。今はSNSの運用支援や採用支援など、上場企業や、上場していないけれどそれ以上に大きな企業とも関わっています。どの企業に対しても、社内でのコミュニケーションも、当たり前のことを当たり前にやる。レスを早く返す、約束を守る、納期を守る。そういった基本を徹底するだけで、仕事は成り立つと思っています。スキルよりも誠実さ。これはどんな事業にも通じる考え方ですし、信用につながります。
Sun Growingではフリーランス的に関わっていただく方も含めると50名ほどになりますが、コアメンバーは現在11名になります。僕はメンバーに対して「転職活動をしたときに引く手あまたになるような人材になってほしい」と思って日々接しているんです。市場価値を上げるという価値提供を、会社として提供していきたい。圧倒的に成長させるというのは、そこが根源にあります。
自分を成長させたい、自分で稼げる力をつけたい。そんな意欲がある方にとって、Sun Growingは最高の仕事環境だと自負しています。自ら成長しながら、会社も成長していく。そんなマインドで一緒に挑戦してくれる熱い仲間と働けたら最高ですね。
──編集後記
田川さんのキャリアを振り返ると、「どんな状況でも自らの成長を選び続ける人」という一言に尽きます。野球、借金、起業──どのフェーズにおいても、自分を成長させたいという想いが挑戦への原動力になっています。Sun Growingのカルチャーは、まさにその「個の成長」を起点にした組織。スキルよりも誠実さを、結果よりも信頼を。人としての土台を大切にしながら、仕事を通して確実に成長できる会社だと感じました。
“自分で稼げる力をつけたい”、“圧倒的に成長したい”という想いを持っている方。そんなあなたにこそ、Sun Growingというフィールドはぴったりだと思います。ぜひ一度、田川さんと一緒に働くメンバーと話しをしてみませんか?