“誰もやらないこと”をやる。逆境から立ち上がった男の、介護・医療・福祉業界の未来戦略【CyXen CEOインタビュー】
株式会社CyXen 代表取締役社長 兼 CEOであり、分社化前のmedica事業部の立ち上げメンバーでもある新原さん。
これまでのキャリアと大切にしてきた価値観、会議・医療・福祉業界の課題解決を望む理由や、その先に実現したい世界について聞きました。
▼プロフィール▼
新原 大貴(しんばら だいき)
広島県広島市出身
広島市私立大学を卒業後、起業。
起業を失敗の後、株式会社ネオキャリアへの入社。当時はまだ認知度が低かった第二新卒に特化をした人材紹介事業部に配属され名古屋支店を立ち上げる。
その後、グループ代表の浅尾の誘いで株式会社For A-careerに入社し、人材紹介事業部の責任者をした後に、介護業界に特化したRPO事業を立ち上げる。
2025年4月、株式会社CyXenの代表取締役 兼 CEOに就任。
起業、失敗、再起、事業拡大、そしてCyXenへーー「迷ったら面白い方へ」をモットーに、柔軟性と「やり切る覚悟」で築いたキャリア
━━ はじめに、これまでのキャリアの歩みを教えてください。転機となった経験や印象的な出来事があれば、あわせて伺いたいです。
僕は留学期間を含めて大学に6年間通ったのですが、5年生の終わりにお世話になった人の誘いで「起業」をしたのが最初の転機です。営業代行を中心に、学生向けの就職支援などを手がけていたのですが、営業だけが得意だった当時の僕では黒字経営を持続することができず、結局会社を畳みました。そこから3カ月ほど、ホームレス生活に入ります。多摩川の河川敷に寝泊まりして、おじいちゃんおばあちゃんに話しかけてはご飯を分けてもらい、飢えを凌いでいました。
そんな状況を知った友人が家に居候させてくれることになり、ひとまず衣食住が揃った僕は「このままだとやばい」と初めての就活を開始しました。新宿にあった就活カフェで情報を集めていたのですが、その運営元がネオキャリアという会社だと知ってひとまずエントリーしてみたところ、内定が出て、すぐに入社しました。
ネオキャリアでは新規事業部に配属され、そこで浅尾(現 株式会社For A-career の社長)と同期として出会います。毎月お互いの営業成績を競う、良きライバルでした。当時の僕はまだ借金が残っており、首がまわらない時は浅尾が水道光熱費を立て替えてくれたり、スーツやカバンも買ってくれました。
そうしているうちに名古屋拠点の立ち上げを任され、名古屋の責任者として1年半ほど経った2020年、コロナ禍がやってきます。
当時浅尾のFor A-career(以下、FAC)は売上8割減の危機に直面しており、「会社の立て直しを手伝ってくれ」と名古屋まで来てくれたんです。浅尾には大きな恩があったので、「これはもう、やるしかない」と恩返しのつもりでFACにジョインしました。最初はネオキャリアでの経験を活かして人材紹介事業を担当。その後、事業多角化に伴ってCyXenの前身となる「medica」を立ち上げ、それぞれの事業部を管掌してきました。
━━ なかなかに波乱万丈なキャリアですね…。数ある選択肢の中で、起業やスタートアップなど「茨の道」をあえて選ぶ背景には、どんな価値観があるのでしょうか?
一言で言うと、「どっちが面白いか」で判断してます。勝ち馬に乗るより、負けてるチームを自分が関わることで勝たせる方がワクワクするんですよ。学生時代から漠然と「伝説を作りたい」と思っていて、その野望は今も変わらず持っていますね。
もう一つは、「やれば意外とできるから、覚悟を決めてやり切る」ということ。広島市立大という地方国公立から東京の学生団体に飛び込んで、東大や慶應の学生が集まる中でリーダーをやったことがあって。正直ビビってたんですけど、大学の教授に背中を押されてやってみたら、なんとかなったんです。その経験から、「怖くても捨て身で飛び込めば意外とできる」と思えるようになりました。
仕事においても、必要なことは必要なときに都度学んで、やり切る。営業も、マネジメントも、コンサルも、必要なら全部やる。目標から逆算して、今足りないことをその都度身につけていくスタイルで成果を出してきました。今は、コーチングや歴史の本から学んだり、過去の偉人に自分を重ねて動き方を決めることも多いです。たとえば、今の自分がナンバー2の立場なら「土方歳三だったらどうするか?」って考えたり。
介護・医療・福祉業界を「盛り上げる」ファーストペンギンになる。その根底にあるのは、祖父を見送ってくれた人たちへの恩返し
━━ 新原さんにとって、CyXen(サイゼン)とはどんな存在ですか?
まだ誰も解決できていない業界の本質的な課題に、本気で挑んでいく。その意味で、CyXenは大きなチャレンジだと感じています。
社名にもある通り、業界変革のファーストペンギンとして「最前線」に立ち、まだ誰も成し遂げていない課題解決に向けて日々全力で「最善」を尽くしていく。それが株式会社CyXenです。
━━ 介護・医療・福祉業界に対して、そこまでの強い思いを持つ理由を教えてください。
原体験として大きいのは、祖父の存在です。私の実家は地元では割と知られた家庭で、祖父は裕福な人でした。祖父はよく「なぜ自分が成功したか」「どう生きるべきか」なんて話を私にしていて、幼いながらに「すごい人なんだな」と思っていました。実際に周囲からも評価されていたと思います。
ところが、一昨年に祖父が亡くなった際、葬儀の場で私は思いがけない光景を目にしました。香典や弔電の数が驚くほど少なかったんです。名士で、裕福で、人望もあったはずなのに。
その中で唯一、祖父に最後まで寄り添ってくれたのが、老人ホームのスタッフの方々でした。祖父のために花を贈り、最後まで心を尽くして見送ってくださるその光景に、私は強く胸を打たれました。
名士で、裕福で、人望もあったはずの祖父は、本当に幸せだったのだろうか?その答えは分かりませんが、少なくとも、医療・介護・福祉に関わる人たちが、最後の時間を支えてくれた。そのことに深く感動したんです。
一方で、そうした人の命や一生に携わる現場で働く人たちの待遇は、決して良くない。給与も高くないし、社会的な評価も十分とは言えない。本来彼らの仕事は、人の一生の最後を支える、本当に尊い仕事だと思うんです。だからこそ、「この状況を変えたい」と思いました。
━━ CyXenを通じて、介護・医療・福祉の業界でどんな未来を実現したいと考えていますか?
端的に言えば「業界を盛り上げたい」です。もう少し具体的に言うと、この業界で働きたいと思う人や企業を増やしていきたい。
そもそも、人の人生に絶対に必要な仕事にも関わらずこの業界が盛り上がっていない理由はシンプルで、「儲からないから」なんです。であれば、これまでにない成功モデルを作ってみたい。CyXenのグループ会社には日本介護センターがありますから、私たちならその成功事例をベースに、業界向けにコンサルティングやソリューションを展開していける。
そうしていずれはCyXenだけでなく、他の若い人材やベンチャー企業がこぞって介護・医療・福祉の業界に参入するようになる。これを実現することで業界に新しい風を吹き込めるんじゃないかと考えています。
業界全体の活性化という成功モデルを日本で作れたら、次はアジアを視野に入れたいです。GDPが伸び悩んでいる国や、これから高齢化が進む国に対して、日本で培ったノウハウを展開していく。介護や医療、福祉の領域で、アジア全体の未来に貢献できるような起爆剤を作れたら、国を超えてたくさんの人が幸せになりますよね。
「誰かのため」を忘れず、何事にも全力で。「やりたいこと」を叶えられる力をCyXenで身につけて欲しい
━━ まだ誰もやったことのない、業界課題の本質的解決に挑むCyXen。今後、どんな人を仲間に迎えたいと考えていますか?
そうですね、一言で言えば「何事にも全力な人」ですね。ただ、単に一生懸命というだけではなくて、「自分に限界を作らない人」が理想です。
この業界って、常識とか慣例、過去の価値観に縛られている部分がまだまだ多いんです。そうした中で、CyXenはそれらを乗り越えていこうとしている組織なので、一緒に挑戦してくれる仲間にも「自分で自分の限界を決めない」マインドを持っていてほしい。自分自身を制限せずに、何度でも挑戦し続けられる人、そんな人と一緒に働きたいですね。
━━ 最後に、CyXenで働くことを通して、メンバーにはどんな成長をしてほしいですか?
「やりたいことをやれる自分」になってほしいです。たとえば、「自分は野球が好きで、大谷翔平に憧れている」っていう人がいたとしますよね。それって普通は一ファンとして終わってしまう。でも本当にそれが好きなら、自分で球団を運営してみるとか、大谷翔平と友達になるとか、そういうところまで目指してみて欲しいんです。いわゆる「20代で年収1000万円」みたいな「理想のキャリア」ではなくて、「やりたいと思った時に、やりたいことを実現できる能力やマインドを持った人」になってほしいです。
もう一つ、キャリアってどうしても「自分のため」に描きがちだと思いますが、その中の一部でも「誰かのために」という思いを持つことを大切にしてほしいです。
僕自身も、自分のキャリアはもちろん自分のためなんですけど、同時に「こういう人を助けたい」「こういう人の力になりたい」という想いが根っこにあります。そういう風に、他人に対しても全力になれるようなキャリアを築いてほしいし、そういう価値観を持った人と一緒に仕事ができたら嬉しいですね。