コンプラ重視の社会情勢は日々加速していますが、私は今から約20年前世の中に「そのスィッチ」が入った瞬間を記憶しています。2008年にFacebookが日本に上陸した瞬間がそれです
私は当時「いいね」ボタンしか押せないことに一定の合理性を感じつつもどこか「気持ち悪さ」を拭えませんでした。極端にいえば「いいね」の強要であり、その逆の評価の禁止と捉えたからです。人に対してはプラス評価しか許さないと言わんばかりの圧を感じましたが、以来四半世紀経った今、広いくくりでいうSNSのひとつでいうXやヤフコメの世界では人を激しく誹謗中傷する輩が絶えず、断続的に重大事件を引き起こしていることはどこか皮肉な話です
私はビジネスの世界において「褒める」ことの無意味さを感じている人間の一人です。その論理は数年前に流行った『アドラー心理学』で裏打ちされた格好ですが、私とは逆に「褒める」ことの有用性や重要性に着目し率先してその行動をとることも任意、何なら会社の教育方針や評価制度に「褒める」ことを織り込むことも何ら否定しませんが、人を褒めることで売上があがるのであれば、世の中の経営者は皆そろって「褒める」でしょう
現実のビジネス世界に生きる自分にとってビジネスはお客様の満足が得られてナンボであり売上や現金こそがそれら満足のエビデンスです。粉骨砕身で徹夜してプロジェクトに打ち込んだが成果物が出来上がりませんでした(T T)とする報告に対し「よく頑張りましたねー」「これはその対価です」などとお金を支払ってくれるお客様などどこにいるでしょうか
成果はゼロだが頑張ったことを褒めて欲しい、そして売上計上させてもらいお金(対価)を請求させてもらいたい、この身勝手さや傲慢さが如何に不合理な意味を持つか、うまく伝わるでしょうか?
モノの道理を理解していない子供は例外として、我々大人がどうしても「人から褒めて欲しい」という場合は、お金を払って習い事でもしてみましょう。生徒としてお金を支払えば「いいですねー」「よく頑張りましたねー」「成長してますよー」などとニコニコして沢山褒めてくれると思います
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