【創業ストーリー:後編】横浜DeNAベイスターズと関わる人にとことん向き合う人材紹介業の社長になりました | steer株式会社
前回のストーリーでは佐藤のルーツに触れ、steerが生まれる背景について記載させていただきました。今回は実際にsteerが創業されたエピソード、そして今後のビジョンについて迫りたいと思います。何...
https://www.wantedly.com/companies/company_2719515/post_articles/931165
今回は、当社のCOOである小山をご紹介します!
高校球児として汗を流した日々から、代表佐藤との出会い、そしてsteerで目指すものまで、その熱い想いを語っていただきました。
ーまずは、自己紹介をお願いします。
はい、小山大輔です。生まれは東京の町田市で、大学卒業までずっと硬式野球を続けてきました。
いわゆる普通の大学生が経験するような"アルバイトをして、遊びまわって、といったことはほとんど経験せずに、野球中心の生活を送っていましたね。
ー 高校は神奈川の強豪校だったそうですね。
僕らの代は最高成績ベスト8でしたが、甲子園に出場したこともある学校です。神奈川県の高校野球はレベルが高く、名門校もいたため甲子園とは全く縁がなかったですね。
プロ野球は現実的には難しいと感じていたのですが、社会人野球で野球を続けることも目標にしていたので、そういった視点で大学も選びました。
ー これまでを野球に注いできた小山さん。就職活動を始めたきっかけは何だったんでしょうか。
大学4年の春に全国大会へ出場できると、そこが就職活動の場になるのですが、当時全国大会の出場を逃してしまったんです。そこから今後の人生について真剣に考えるようになりました。
当時は22歳。今後の人生をどうするのかと考えた時に、次は仕事に情熱を注ぎたいと思い、野球を引退する決断をしました。
副キャプテンとして試合に出ることも多く、なかなか就職活動を許されないような立場でもあったため、就職活動を開始したのは大学4年の6月とかなり遅いスタートとなりました。
ー そして、キャリアデザインセンターに入社され、現steerの代表取締役である佐藤さんと出会ったのですね。
はい。横浜営業所に配属され、佐藤さん(当社代表取締役)が主任を務めるチームに受け入れていただきました。
営業所が横浜ということもあって、ベイスターズファンが多く、佐藤さんもその一人でした。
僕自身が大学まで野球をやってきたこともあり、野球繋がりで一気に距離が縮まりましたね。
自分の仕事はやりつつ、周囲を落ち着いて見ることができる人が揃っている環境で、社会人として自立する一歩目としてはとても良い環境だったなと感じています。
ー当時、佐藤さんは小山さんにとってどのような存在だったのでしょうか。
佐藤さん、当時は本当に人見知りというか、僕にも結構な頻度で敬語を使っていて(笑)
「めちゃくちゃ気を使っているんだろうな…」という印象を受けていました。
ただ、営業同行だったり様々な機会を通じて多くのことを教えていただいたのですが、中でも「仕事を楽しむことの本質を教えてもらえた」ということが僕の中で大きかったです。
正直な話、社会人人生のスタート時には「やってやろう」というのがあまりなかったんです。
でもその中で、「社会人として仕事っていうものは本当に面白いもので、だからこそ、こういうこともやっていくんだよ」という、社会人人生を楽しめる基礎を作ってくださったのは佐藤さんだったと思っています。
ー"社会人人生を楽しめる基礎"について、もう少し詳細にお話を聞かせていただけますか?
仕事って皆さん様々な目的があると思うんですよ。生活をするため、稼ぎたい、だったりとか。
そんな目的のために仕方なく仕事と向き合うのではなくて、「どうやったら自分の中でその状況を楽しむことができるか」みたいなところを突き詰めていくことに一緒に向き合ってくれたというか。
人それぞれ楽しみ方って違うと思うんですが、その人個人にあった楽しみ方を見つけたり、引き出すのがすごくうまいんです、佐藤さんって。
「こういう風に仕事を楽しむんだよ」とやり方を示して真似させるのではなく、「その人自身がどうしたら仕事を楽しめるか」というのを一人ひとり深堀っていくような感じですね。
ー小山さん自身も仕事の楽しみ方を見つけられましたか?
そうですね。自分が頑張れる要因や楽しむ要因というところを改めて見つめなおすことができました。
何かを積み上げていってそれが結果に結びつく、であったりとか、トライアンドエラーを繰り返していきながら結果が出たときは楽しかったな、というのを再認識できるきっかけになりましたね。
野球でレギュラーをつかむために努力する、というところもそうなんですが、社会人になってからも他の人と比較してうまくいっていない状況でも、早く出社して量をこなしてみたり、違うやり方を模索してみたり、学生時代から色々とやってきたことが「自分の仕事を楽しむ」に繋がっていたんだなと改めて気が付くことができました。
ーキャリアデザインセンターで数年活躍された後、SaaS系の企業に転職をされたんですよね。
これにはどういった理由があったのでしょうか?
自分自身のスキルを更に伸ばしたいと考えていたのもあります。
もう1点、キャリアデザインセンターは大きな組織でやり方も決まっていたので、そうではなく、これから組織が整っていくようなベンチャー系の企業で、組織というものがどのように成り立っていくのか、その過程が見たいというのがありました。
ー実際に入社をしていかがでしたか?
当時入社した会社は商材がとにかく素晴らしくて。
「これ、誰でも売れるじゃん」という感覚に陥っていました。僕が売らなくてもいいのではないか、と(笑)
また、数百万、年間数千万といった発注をお客様から頂いていた環境から、月額数万、数十万という小さいショットで契約をもらって、という環境への変化に物足りなさを感じてしまったのもありました。
20代後半をこんな風に過ごしていいのか、とモヤモヤしていたタイミングに、佐藤さん自身が独立するか悩んでいると聞き、まずは二人で副業に近い業態で始めよう、という話になりました。
色々と模索し、話を進めていくうちに、こちらを本業としてやっていきたいと強く感じ、僕から会社を始めましょうと広大さんにお話しをさせていただきました。
代表佐藤が語る創業ストーリーにもこの辺りのお話が載っています。
是非併せてお読みいただけますと幸いです!
ーそこからsteer誕生に繋がっていったのですね!
小山さんの決心が佐藤さんの背中を押した、とのことでしたが独立に不安はありませんでしたか?
全くなかったわけではありませんが、20代のうちにチャレンジしたいという気持ちが強かったですね。
1社目の同期の影響も強くあったと思います。独立していたり、スタートアップ企業で活躍していたり、異業種にチャレンジして事業を立ち上げているような仲間もいて。そんな仲間の話を聞いていたのもあり、チャンスがあるなら何でも挑戦してみた方が後々後悔しないだろうと思っていました。
それに、20代後半ながら佐藤さんのビジネスセンスは他の人とは絶対に違う、優れたものがあると感じていたんです。営業能力だったり、発想、人を引き付ける能力だったり。人としてすごく魅力に感じていて「この人と一緒にやっていきたい!」と強く思ったので、僕から是非一緒にやりましょうと言わせていただきました。
失敗したらどうしよう、というよりは、チャレンジしたことそのものが僕の人生にプラスになるだろうな、と。
なんなら失敗というイメージは描かず、なんとかなるだろうっていう感覚でいきましたね(笑)
ー小山さんと佐藤さんの立ち上げから現在に至るsteer。
現在、役員ながらエージェントの1人としてもご活躍をされていらっしゃいますが、エージェント事業の目指す未来をお聞かせいただけますか?
今現在、当社では日本を代表する大手企業様をはじめとし、非常に良いクライアント様とお取引をさせていただいています。その中で、企業様に期待以上の価値貢献をできること、そしてなおかつ、当社を利用して転職をされる方々が僕ら選んで良かったと思っていただけるよう、社員一同努力していきたいと考えています。
企業様と個人のお客様双方から、「この会社って本当にいいよね」というのがどんどん広がっていって、ゆくゆくは「中途採用に困っているけれどどうしよう」、「ハイキャリア、不動産・インフラ業界での転職さあどうしよう」となった時にまず「steerに相談してみよう」と第一想起していただけるような組織になったらいいなと思っています。
ーそれでは、最後にsteerの未来についてお話していただけますか?
会社を立ち上げる際に佐藤さんと話をしていたのですが、スポーツチーム、もっと深く行くと、街一体をsteerっていう会社が作っていくっていうところまでなんか行けたらいいなと思っていて。
この構想が生まれた背景の一つとして、僕と佐藤さんが仲良くなるきっかけになった横浜DeNAベイスターズが関わっているんです。
ベイスターズって以前は球場に人が全然いなくて、すごく閑散としていたんですよ。
でも、DeNAが経営をするようになってから、横浜スタジアム周辺がチケットを買う人や応援する人で賑わうようになり、周囲には沢山の施設が作られていって。街一帯がベイスターズを応援するようになって、更に人が集まってきて…。
スポーツって、若い人からお年寄りまで世代を超えて、人を惹きつける力がありますよね。
"横浜DeNAベイスターズ"を起点とした、ひとつの「街づくり」みたいなものを目の当たりにしたのは僕の中でもとても大きい出来事だったと思っています。
本当に人がいない時代を高校生の頃から見ていたので、スポーツチームが街を巻き込んで、十数年で街一帯が大きく変化していくっていうところはとても印象的でしたね。
スポーツチームを持ったりとか、または人が集まれるようなところを作っていくだったりとか、その街の活性化に繋げられるところまでできるようになったら、より僕らが影響を与えられるところに対しての幅も広がるし、濃く関わっていけるんじゃないかな、と考えています。
インタビュー:家口嵩広
記事編集:山本奈緒