つるや旅館は、1954年小さな「鶴の坊」という宿坊からスタートし、1970年には「つるや」として、小さな家族経営の民宿だった。
転機が訪れたのはバブル経済が終わった1995年。
つるや旅館には約3千万円の借金があり、倒産寸前の状態。当時、現:代表取締役社長の関良則は30歳。
仙台で旅行会社のトップセールスマンとして働いており、旅行会社を辞めて、実家である「つるや旅館」に戻るという決断をした。
山あいにある四万温泉でも、一番奥にある旅館で、部屋にトイレも、洗面所も、鍵もないボロ民宿だった。そんな旅館の唯一の自慢が、先代の女将が借金をこしらえてつくった露天風呂。
どうすればよいか途方に暮れ、お風呂につかっていると、突然音がした。「ドン、ガサッ!」。カモシカだった。それを見るなり、「これだ!」と叫んだ。「鹿覗(しかのぞ)きの湯」。こうしてキャッチフレーズとなる露天風呂の名前が決まった。
なんとかお金を工面し、じゃらんに小さな広告を打った。「1泊2食 3,800円から」。これが大ヒットし、つるや旅館は倒産の危機を脱した。
お客様と接するうちに「部屋食」や「貸し切り風呂」など、若い年代の方が、バブル期の団体旅館とは違った新たな旅館の過ごし方を求めていることに気づき、半年で得たお金で貸し切り風呂をつくると、さらにお客様を呼んだ。
旅館を法人化し、新館に続き、2003年に本館をリニューアル。低価格から高級旅館へと路線を変え、露天風呂付きの客室をこしらえた。年商1千万円だった旅館は3億円を超えるまでになり、「奇跡の宿」として、テレビで特集が組まれるほどだった。
自身の宿を立て直した後、感じたことは、「地域の衰退」だった。
どうしたら四万温泉を、地域を多くのお客様であふれる楽しい場所にできるか、スタッフが生き生きと働ける環境にできるか。
エスアールケイの原点は、「地域とともに生きること、ともに創ること」。
そのためのチャレンジを今もなお続けています。