スピーカー:パートナー連携部 橋本 賢子
インタビュアー:人事部 河本
社会とCLACKを繋ぎ、新たな価値を創造する
ーー今日はよろしくお願いします。まずは橋本さんの今のCLACKでの仕事について教えてください。
パートナー連携部という部署で、CLACKの活動を支援してくださる企業との連携業務を担当しています。特に私は外資系のパートナー企業との連携を中心に担当しています。
企業の皆様と連携することによりCLACKの活動の規模や幅も変わっていくので、ダイナミズムもあり、とても面白い仕事です。
ーーありがとうございます。橋本さんはCLACKとの出会いはこちらからのスカウトだったと記憶していますが、そもそもその時転職とか次のキャリアは考えていたんですか?
はい、転職は考えていたタイミングで、NPOも含めて色々受けていました。CLACKのことはスカウトが来るまで全然知らず、最初は「とりあえず話聞いてみるか」くらいのテンションでした(笑)。
でも、話を聞いてみたら、デジタルを通じて子どもたちを支援するというアプローチや、目覚ましい成長スピードと明確な将来展望、そして非営利スタートアップならではの大きな裁量を持って貢献できる環境に、まさに私が求めていた「やりがい」を感じました。大企業とは違う、自分が大きく組織を動かせるイメージが湧いたのを覚えています。
国際協力への関心。ミクロとマクロの支援を経験する中で感じたこと
ーー橋本さんの最初のキャリアは青年海外協力隊でしたよね?
はい、モザンビークという南部アフリカの国で、青少年のHIV/エイズ予防活動や、医療従事者養成学校でHIV/エイズに関する授業などを行っていました。
もともとは高校の時に、ソマリア出身のモデル「ワリス・ディリー」が、女性器切除の根絶を目指した活動をしているのを知ったのがアフリカへの関心を高めたきっかけです。大学でもアフリカに留学したんですが、私が行った南アフリカはエイズ患者がとても多い地域で。そこからアフリカでのエイズ問題に関わったりするようになりました。
(協力隊時代、ワークショップでのファシリテーションの様子)
ーー協力隊任期終えられてからは、そのままモザンビークの大使館に就職されてますよね
もう少しモザンビークに残りたいなと思って、ちょうど大使館で求人があったので運良く採用してもらえました。プロジェクトコンサルタントという仕事をしていて、大使館から毎年現地で活動するNPOや団体に助成金を支援したりするのですが、その助成金申請をスクリーニングしたり、プロジェクトモニタリングをしたりということをしていました。
(大使館時代、助成した国際NGOの地雷除去サイトの見学中の風景)
ーーその後も様々な組織でご活躍されていますが、キャリアの転機や難しかったことはありましたか?
当時は国際開発の分野でキャリアを積みたいという思いが強く、そのため日本に帰国し、国立の政策研究大学院大学に入って外務省から出向で来ている人や海外から来た学生たちと一緒に勉強をしていました。在学中には世界銀行でインターンシップの機会があり、HIV/エイズ関連プロジェクトのインパクト評価研究などに携わっていました。卒業後もインターン時のマネージャーの誘いで、コンサルタントとして就職することになりました、
その後、ご縁あって三菱UFJ銀行のニューヨーク支店の経済調査室で働くことになりました。2年ほど勤務した後、ニューヨークで第一子を出産しましたが、アメリカの産休・育休制度は十分ではなく、高額な保育料やフルタイム勤務の難しさなど、仕事と育児の両立は想像以上にハードでした。一度仕事を辞めて約4年間は専業主婦として過ごし、その間に第二子もニューヨークで出産。第二子出産後すぐに日本へ帰国することになりました。帰国後は国際協力銀行(JBIC)で嘱託社員として働いていました
(ニューヨーク銀行時代、アメリカに遊びにきた台湾系南アフリカ人の友人との1枚)
金融・国際開発から児童福祉の領域へ。
ーーこれまではどちらかというと国際協力とか経済領域でのご活躍が多かった印象ですが、そこから児童福祉に関心を持たれたきっかけは何だったのでしょうか?
JBICで働いていた時、当時5歳の子が虐待の末に亡くなったというニュースが目に飛び込んできました。彼女が残した「おねがいゆるして」という言葉に、電車の中で涙が止まらないほどの衝撃を受けました。同じ年頃の娘がいたこともあり、他人事とは思えず、「この日本でこんなことが…」と、子どものために何かしたいという思いが突き動かされるように強くなったんです。
その後、JBICで働きながらも里親制度に登録したり、研修を受けたりしました。契約終了後は、スクールソーシャルワーカーを目指して社会福祉士の資格取得のため通信制大学で学び始め、再び仕事を探す際には「社会福祉の経験を積もう!」と固く決意しました。これまでの金融業界とは勝手が違い、ハローワークで職を探し、幸いにも社会福祉法人が運営する母子生活支援施設で児童指導員として働く機会を得ました。経済的に困窮したり虐待を経験したりした子どもたちの成長を間近で支援し、心を開いてくれる様子に、大きなやりがいを感じる日々でした。
念願だった児童福祉の仕事は非常に充実していましたが、一方で社会福祉に関わる職員の給与という現実的な課題にも直面しました。2年半ほど勤務する中、外資系企業への転職の機会があり、悩んだ末にその道を選びました。経営層に近い立場での政策提言業務は大変勉強になりましたが、以前子どもたちと直接向き合っていた経験とのギャップは大きく、政策提言の重要性を理解しつつも、「やはり自分が本当にやりがいを持って力を発揮できるのは児童福祉の現場だ」という思いが、日増しに強くなっていったんです。
ーーそこから先程のCLACKとの出会いにつながるわけですね
「やはり児童福祉の現場に戻りたい、そして次は絶対に自分の軸をぶらさない!」と決意し、「裁量」「児童」「組織の成長の中で生まれるやりがい」という3点を軸に転職活動を始めました。そんな時、WantedlyでCLACKの代表の平井さんからメッセージをいただいたんです。
事業ドメインも組織としてのフェーズや成長意欲も、まさしく求めている環境にピッタリでした。NPOというとどうしても成長はゆるやかでというイメージがありますが、眼の前の高校生のためにという目線と、社会構造を本気で変えていくという目線がどちらもあったのが印象的でした。
セクターを越えた連携で、共によりよい社会に向かって
ーーセクター横断的な連携の重要性について、もう少し詳しくお聞かせいただけますか。
日々企業様と接する中で、企業様もCLACKを通じて実現したい社会を真剣に考えられているんだと感じます。それは組織の社会的責任だけではなく、担当者の方の熱量からも伝わってきます。企業の方も、困難を抱える高校生について真剣に考えてくれているんです。だからこそ、子どもたちが希望をもって生きていける社会、よりよい社会を一緒に目指すパートナーとしてお付き合いさせていただいています。これからもそのような企業様と出会っていきたいと思いますし、また、それが最終的に大きな渦となって、フィランソロピックな世界を日本で築いていきたいと思います。
ーー実際に各社様からご支援をいただいているから、事業や人に投資していけるというのは大きいですよね。
実際に福祉の現場に触れてきた中で、やりがいはあるけど報酬的にどうしても続けられなかったり、新規採用ができずに人手不足であったりという現実を見てきました。CLACKに入職して、社会全体や困難を抱える人達のために活動するNPOや非営利な団体の存在は本当に重要だとより強く思うようになりました。そうしたところと企業がもっと連携を深めることによって、日本社会がよりよい方向に向かっていけますし、自分自身も少しでも多く貢献できるように頑張りたいと思います!
ーー橋本さんの情熱と、多様な経験に裏打ちされた課題意識の深さを改めて感じました。本日は貴重なお話をありがとうございました!