マニュアル仕事からの逃亡
母子家庭で育った私は、高校卒業後、家庭を助けたい気持ちから、給料だけでアミューズメント業のチェーン店を選び就職しました。
その気持ちが伝わったのか、高卒で採用されたのは自分だけだったそうです。
お店の業務は過酷で、早朝4:00からの勤務が当たり前にある職場でした。
それでも、辛くても笑顔は絶やさない“とりあえず笑っとけ”精神で働きました。
その姿勢が評価され、入社3ヶ月で本店への転勤を命じられました。その時は、評価され、充実感を持って仕事をしていました。
ただ、3年がたった頃、対応の全てがマニュアルになっている接客に『この仕事は、自分じゃなくても出来るのではないか?』と疑問を持つようになりました。
もっと、自分にしかできない仕事をしたいと思っていました。
そして、思い切って仕事をやめました。そこからは、バイトをしながら自分が成長できる場所を探す日々になりました。
憧れの人からの誘い
そんな生活が一年経った頃。
友達の紹介で出会ったのが、弊社取締役の森でした。
最初は、取締役という肩書きやオーラに圧倒されていました。
ただ、話すうちに森の人情に触れ、自分と境遇が近いことを知り、「自分もこんな人になりたい!」と強い憧れを持つようになりました。
私は、四人兄弟の長男で、学校でもリーダー的な役割をすることが多かったです。
そんな私が、人生で初めて親以外で本当に頼れる兄のような存在だと感じました。
その後も、連絡をとらせて頂き、何回かお会いするうちに「埼玉で一緒に働かないか?」と誘っていただけるようになりました。
憧れの人からの申し出にとても嬉しかったのですが、その誘いを私は断りました。
理由は、仲間や兄弟、女手一つで育ててくれた母親を置いて地元から離れられないと思ったからです。その時は残念ですが、仕方ないと諦めていました。
しかし、一年後、森から“名古屋にアウスタ支社を設立したからこっちで一緒に働こう!”という連絡を受けました。
ありえない話かもしれませんが、この名古屋支社は自分のために作って頂いたのだと本気で思いました。
更に、私の母親を安心させたいと、入社前に母との三者面談を行い、母にもアウスタを伝えて下さったのです。
僕が、以前から家族に支えられていることを話していたので、これから、成長のための環境に身を投じる私を心配する家族への計らいでした。
一度は諦めたチャンスだけに、このチャンスは二度と離さないと、アウスタへの入社を即決しました。
夢のために成長し続ける
アウスタでの私の業務は、転職活動をしている方に、アウスタを知ってもらう広報活動です。
その方にとって、最初に接する「アウスタの顔」の役割になります。
入社してからは、とにかくがむしゃらに働きました。
当時の名古屋支社は、創設したばかりで忙しかったですが、マニュアルではない、自分にしかできない仕事をしているという実感があったので、毎日が楽しかったのを覚えています。
僕の夢は、『お金以外で、人を動かせる人間になる』ことです。
そのために、森のようなアウスタの名古屋支社の支社長になりたいと思っています。
地元を離れるのは嫌でしたが、支社長になるには本社で認められないといけません。
なので、現在は更なる自分の成長を信じて、3年という期限を決めて埼玉本社で修行をしています。
僕にとってのアウスタとは、夢に向かって成長し続けるための場所なのです。