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なんとなく過ごしてきた社会人生活で『自信のない自分』から抜け出したいと決意して転職した28歳女子の話

みなさま、こんにちは!
ITプロパートナーズGraspy事業部の宮武郁実(みやたけいくみ)と申します!

2019年の3月に入社したので、気付けばまもなく1年が経とうとしています。

あまり自分のことを話すのは得意ではないのですが…
入社1年のこのタイミングで初心を思い返すべく、

・転職に至るまでの経緯
・なぜITプロパートナーズへ入社したのかをここでお話しするとともに、

転職やこれからのキャリアを悩んでいる同世代の女子の方に
何か少しでも参考になったり、背中を押せるきっかけになれたらなと思います。

そして、ITプロにはこんな人が働いてるんだ!と知ってもらえたら嬉しいです!

ー自己紹介ー 

▶︎1991年 兵庫県加古川市生まれ
 小学校:兵庫
 中・高:千葉(高校はサッカーが強くて有名な船橋の高校)
 大 学:東京
▶︎4人家族(父、母、3つ上の姉、私)
▶︎3歳から水泳を始め、高校2年の秋まで選手生活
▶︎大学ではバイト3つ掛け持ち
▶︎2度の転職を経てITプロに入社

ー水泳との出会いー 

色々と習い事をやらせてもらっていた中で、私の人生を変えたものが【水泳】でした。

(私のパーソナリティーはほぼ水泳で形成されたと言っても過言ではないので、ちょっと長いです。笑)

3歳から習い始め、本格的に選手として始めたのが小学校1年生の頃。
そこからはもう毎日が水泳漬けの生活で、とにかく毎日、練習!練習!!練習!!!
(一番泳いでた時は週に14回練習がありました。笑)

土日はもちろん、夏休みも年末年始も合宿や大会で、家族とゆっくり過ごす時間はほとんどなかったと思います。

小学校の6年間は全く花開かずで、中学では多分続けないだろうな〜と思っていたのですが、
父の転勤で千葉に引っ越したことで私の選手生活が大きく変わります。

コーチの勧めで始めた自由形の長距離(200,400,800m)種目で、ようやく花が開き始め、
中学3年生の時には千葉県代表として国体にも出場できる選手にまで成長しました。

高校もスポーツで進学して、ここでもインターハイや日本選手権にも出たり、
ある程度の成績は残しながら、順風満帆な競技生活を送っていた高校2年生の秋。

ー突然の『水泳やめます』宣言ー

徐々に自分の将来や大学のことを考え始めた頃、何となく自分の中で
『義務感で水泳を続けてるんじゃないか?』という思いが強くなり始めたことがきっかけです。

ただ、両親にそのことを告げて返ってきた一言が・・・

『じゃあ水泳をやめてあなたは何するの?』
『……………』

何も言えませんでした。
ただ本当に水泳しかやってこなかったんだなぁと実感したと同時に、
初めて自分の目標がゼロになって、私はこれから先何を頑張るんだろうと…。

そんなこんなでちょっとしたもやもやも抱えながらも、3歳からずっと続けてきた水泳生活を終えました。

ー競技生活で得た【私のパーソナリティ】ー

最後は綺麗な引退ではなかったですが、
やはり『自分のパーソナリティの土台』は、間違いなく水泳の競技生活から得たものが大きいです。

0.1秒でも速くなるためにはどうすればいか? 
自分に足りないものはなにか?

を常に考えていました。

『向上心を持ち続ける』『成長し続けたい』『頑張り抜く』

という、いまでも私の一番根底にあるこの3つは、間違いなくこの時に培われたと思っています。    そんな環境に身を置けたことはすごく恵まれていたし、両親には感謝しかありません…!

ーなかなか抜け出せない暗くて長いトンネルー

とはいえ、水泳というものがなくなり、同時に目標も気力も失った私。

ここから本当に長い長いトンネルが続きます(今振り返ると本当に長い・・・)。

大学受験でもなんとなく女子大へ進学し、ただただ楽しい大学生活とバイト三昧の日々を送りました。
そして、ありがちな就活を送り、最初のキャリアとして踏み出したのは大手損害保険会社。

なぜ金融?なぜ損保?

特に理由はありません(笑)
なぜか当時の私は『とりあえず大手の金融に行けば正解』と思っていて、
あとは、ある程度働いて、25〜26歳で結婚して、子供を産んで幸せな生活を送れたらいいなと。

なので、本当に何の目的もないまま入社してしまい、その結果、1年半で退社。

〜1回目の転職〜

損保では自動車事故の示談交渉という精神的ストレスが大きい仕事だったので、
ただそのストレスから解放されるために大手ハウスメーカーの事務職に転職。
(コネ入社ということはここだけの話…)

いわゆる一般的な事務職で、定時で帰る毎日(むしろ暇すぎて時間を持て余すぐらい)。
ここは天国か!というぐらいストレスフリーな環境でした。

ただ、ちょうど2年ぐらい経った時に、「私の人生このままでいいのかな…?」という思いが芽生え、
自分のこれからの生き方、働き方について初めて真剣に考えるようになりました。
(これには大きな理由があるのですが割愛します。知りたい方はぜひ直接聞いてください。笑)

この時初めて、1社目も2社目も何の目的もなく入社したことに心から後悔しました。

『仕事』は義務なんかじゃなくて、
自分の夢や目標、何かのため・誰かのために一生懸命になることだなとようやく目が覚めました。 

〜2度目の転職活動〜

2度目といっても前職はコネ入社だったので、ちゃんとした転職活動は今回が初めて。
色んなエージェントさんとお話し、選考を受けていく中で思ったことがあります。

それは『今の私にはビジネスにおいて自信を持って言える経験やスキル、実績が何もない』ということ。
これは結構絶望でした。笑

選考を受けて行くたびに、もともと無い自信がさらになくなっていくという負のループ。
今までの自分の社会人生活は何だったんだろう…と何度も思いましたし、
何も得ようとしてこなかった自分自身が本当に悔しくて情けなかったです。

でもそれと同時に、そんな自分が本当に嫌で、とにかく変わりたくて、自分に自信をつけたくて、
『自分を変えるチャンスがたくさんある環境で働きたい』ということが明確になりました。

思い返せば、こんなに頑張りたい!と思ったのは、水泳をやめた時以来初めてかもしれません。
(ようやく暗くて長すぎるトンネルから抜け出せそうな予感…)

ーITプロパートナーズとの出会いー

そんな中で出会ったのが、ITプロパートナーズという会社。

どこにでも通用する人材、自分の力で道を切り開けるような、
『自立した人材を増やす』というビジョンが、この時の私に一番突き刺さりました。

まさに、私自身がこういう人材になりたい。
なので、選考を受ける中では、とにかく正直に今思っていることを話しました。

『今の私には、ビジネスにおいて何も誇れるものはありません。』
『何の実績もない上に、年齢的にも転職回数的にもこれが最後のチャンスなんです!』
『とにかく苦しくても辛くてももがいてもここで頑張りぬきたいです!』

こんな想いで、私はITプロへの入社を決めました。 

ー入社して1年、今思うことー

正直、1年経ってもまだまだ力不足を実感します。

特にGraspy事業部は、まだ立ち上げて1年ちょっとの新規事業ということもあり、
事業部としてはもちろん、自分が担うCSを0から立ち上げることは楽しいことばかりではありません。

でも、それでも頑張れているのは、自分が転職時にした決意や覚悟を体現したいという強い思いと、
何より一緒に頑張りたいと思えるメンバーが周りにたくさんいるからだと感じています。

とはいえ、力不足が故に、悩んだり、辛いことや苦しいこともあります。

でもそれは、それだけ自分とちゃんと向き合って、もっと成長したいと思えているからこそだと思い、
決して悪いことではないと私は思っています。

大事なのは『そこからどうやって自分で抜け出すか』です。

ITプロで働いて1年、改めて思うことは、
成長機会は与えられるものではなくて、自分で作って自分でつかみ取るものだということ。

私自身が目指す『自立した人材』になれるように、
もっともっと成長できる可能性を自分で切り開いていきたいと思います!

Invitation from 株式会社Hajimari(旧:株式会社ITプロパートナーズ)
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