初めまして。2024年4月にvery50へ新卒入社した杉山岳と申します。近畿大学環境まちづくり学科で、商店街と情報発信をテーマに学びながら、映像制作に没頭しました。卒業後、映像クリエイターとして企画・撮影・編集に携わり、映像業務に従事しています。バングラデシュやネパールでの取材経験を通じて、社会課題を映像で伝えることの意義を強く感じるようになり、very50が取り組む日本教育の課題にも共感しました。入社から1年が経ち、現場での経験を重ねる中で、「リアルな映像を届ける意味」と「本当に価値のある瞬間とは何か」を深く考えるようになりました。今後は、より戦略的に映像の力を活かし、very50に貢献していきたいと考えています。
very50との出会い
very50との出会いは、2017年の冬。高校1年生だった私は、very50のプロジェクトである高校生MoGに参加し、初めて海外へ飛び立ちました。行き先はカンボジア・シェムリアップ。観光ではなく、現地の課題に本気で向き合い、解決策を模索するという目的を持っていました。
現地では、スラム街の現実を目の当たりにしました。想像以上に厳しい生活環境、劣悪な住居、未来への希望を持ちにくい社会構造。教科書やニュースで知っていた「貧困問題」が、目の前に広がる圧倒的な現実として突きつけられました。
プロジェクトの失敗と、突きつけられた問い
MoGでは、私は現地で働く事業家に対して課題解決に向けたプロジェクトを立案し、実行しました。しかし、結果は大失敗に終わりました。現地の人々の本当のニーズを十分に捉えきれず、計画通りに進めることができず、期待した成果も得られませんでした。
そんな中、カンボジアの事業家スロアーズの言葉が、私の心に深く刺さりました。
"Why was I born?"(なぜ私は生まれたのか?)
プロジェクトがうまくいかず、悔しさや無力感を感じていたとき、この問いはまるで自分自身に投げかけられているようでした。私は何のためにここにいるのか? なぜこの経験をしているのか? そもそも、自分はどんな人生を歩みたいのか?
その瞬間、ただ海外に来て課題を見て終わるのではなく、本当に解決につながる行動をしなければ意味がないと痛感しました。
「必ずまた戻ってくる」— 決意の原点
プロジェクトの最終日、悔しさと覚悟を胸に、私は仲間たちに向けてこう宣言しました。
「必ずまた戻ってくる。」
この言葉は、単なる意気込みではなく、自分の中で決意を固めた瞬間でした。
今振り返ると、カンボジアでの経験は、私が本気で社会課題と向き合うきっかけとなり、そして本気で挫折を味わった経験でもあります。だからこそスロアーズの問いかけは、今でも私の中に刻まれています。
そして高校3年生でDiGプログラムに参加し、児童労働の問題に向き合いました。農村地域では、子どもたちが田んぼでカエルを捕まえ、それを売って生計を立てている現実がありました。私は彼らと共に田んぼに入り、その厳しさを身をもって体感しました。プロジェクトは途中でテーマの継続が難しくなり、思うような成果は得られませんでした。しかし、本気で挑戦し、考え抜くことの大切さを学びました。
この2つの経験を通して、僕は「自分は何のために行動するのか?」を常に問い続けるようになりました。失敗しても挑戦を続けることで、新しい視点と成長が得られることを実感しました。そして、その思考が大学時代の経験へと繋がっていきます。
大学時代の経験とvery50への決意
大学時代、僕は映像を通じた表現に深くのめり込むようになりました。特に大学1年生・2年生の頃は、コロナ禍によって対面でのコミュニケーションが制限されていました。その中で、言葉を超えた表現手段としての「映像」の力を強く実感しました。
大学1年生の春に出会ったプロのカメラマンに師事し、映像制作の技術を学びながら、自分の思いや価値観を映像を通じて発信することに強く魅力を感じるようになりました。
大学ではなく外部で専門的な知識や技術を学べたことは、今振り返ると本当に貴重な経験だったと感じています。この環境に恵まれたことに、心から感謝しています。
そんな中、大学3年生の時にvery50の代表・菅谷と再会し、対外的な発信の重要性について話をしました。そこで、私が高校時代に感じた悔しさや挑戦への思いを、映像を通じて形にできるのではないかと思うようになりました。
「このままどうするの?」
その時にかけられたこの言葉を、今でも鮮明に覚えています。当時の私は、就職活動が目前に迫る中で、何も準備ができていない状況でした。有ること無いことを綴って就職活動をする未来が見えず、どこか就活という“当たり前”から逃げていたのかもしれません。そんな自分に嫌気がさしたことも、今でも記憶に残っています。
大学4年生の5月、就職活動が本格化する中で、代表・菅谷からの誘いを受け、バングラデシュとネパールへ現地取材に向かいました。映像を生業にしていきたいという強い思いがあった一方で、「自分は何を写していけばいいのか」「どのような形で残していけばよいのか」 という根本的な問いに悩んでいました。
これまで私が手がけてきた撮影は、ファッションショーやイベント、結婚式といった華やかな場面が中心でした。しかし、それらの映像が本当に自分の人生をかけて伝えるべきメッセージなのか、自分の表現としてふさわしいのか—— そんな葛藤を抱えていました。
バングラデシュで目の当たりにしたストリートチルドレンの現実
最初に訪れたのはバングラデシュの首都ダッカでした。very50を通じて交流のあったエクマットラを訪ね、創設者の渡辺大樹さんとお会いしました。エクマットラは、バングラデシュのストリートチルドレンを支援するための学校やアカデミーを運営しており、実際にその施設を訪れました。
ダッカの街は想像以上に活気に満ち、車と人が入り乱れる混沌としたエネルギーに溢れていました。しかし、その一方で、道端にはボロボロの服を着た子どもたちがうずくまり、食料も資金もなく、スリや薬物に手を出して生き延びようとしているという厳しい現実がありました。
▼【バングラデシュのストリートチルドレンの実情をリポート】
「貧困問題」については高校1年生の時に初めて実感しましたが、その深刻さを目の当たりにし、言葉にできないほどの衝撃と、社会に対する強い憤りを覚えました。
映像を通じて何ができるのか。こうした現実をどのように伝えていくべきなのか。
その問いが、頭から離れませんでした。
ネパールでのチベット難民取材—伝えるべきリアルな現場
次に訪れたのはネパールでした。ヒマラヤ山脈の麓に広がる異国情緒あふれる街並みに胸を躍らせながら、第二の都市ポカラへと向かいました。
そこで、チベット難民キャンプを訪れ、現地で生活する女性たちに話を伺いました。彼女たちは、故郷を追われ、自国籍も持たず、人権すら認められない立場にありながら、それでも与えられた環境の中で懸命に生き抜いていました。その姿を目の当たりにしたとき、胸が締め付けられるような感情が込み上げました。
「こんな社会は間違っている。」
強い怒りとともに、このような現実を知ってもらうことが自分の役割なのではないかと感じました。
その瞬間、映像の可能性を改めて確信しました。ただ美しく整えられた映像ではなく、リアルな現場の声を届け、社会に問いを投げかける映像を作りたい。その思いが、私の映像制作への向き合い方を大きく変えました。very50のような組織であれば、映像を単なる記録ではなく、人々の行動を変えるきっかけとして活用できると思い、代表・菅谷に入社希望を打診しました。
▼【ネパール、チベット難民キャンプにて女性をリポート】
https://youtube.com/shorts/vt_V9zhA1q4?si=Rqvqs6QfdY53ucOs
映像と向き合う覚悟/1年目の挑戦と苦悩
2024年の4月からスタッフとしてジョインしました。日々、自分だけが持つスキルや能力とは何か、そしてそれを通じてvery50やその先のコミュニティにどのように価値を提供できるのかを自問自答しています。入社前は、大学時代に培ったスキルを存分に発揮し、映像制作を通じて会社に大きく貢献できると思っていました。しかし、実際には自分のアウトプットが貢献できたと感じる瞬間はごくわずかで、理想と現実のギャップに直面しました。社会人になり、大きな壁にぶち当たっている感覚がありました。何度もフィードバックを受けながら映像制作を続ける中で、「期待通りの映像を作れない」と感じることが多くありました。ただ、それは単に技術不足という問題ではなく、
「映像とは何なのか?」
「誰に、何を届けるべきなのか?」
という本質的な問いに向き合い続け、自分自身のスタンスを持つことの重要性に気づかされる瞬間でもありました。very50には「Be the 10%」というクレドがあります。90%の人が認める綺麗ごとや表面的なストーリーではなく、本気で社会を変えようとする10%の人が信じる本物の価値を追求する。
映像も同じで、単に美しいカットを並べるだけでは意味がない。大切なのは、「この映像が誰のためになるのか?」「どんなインパクトを生むのか?」を突き詰めること。それを考え抜き、やり尽くさなければ、映像はただの美しい記録で終わってしまうことを実感しました。「伝える」という行為は、自己満足ではなく、受け手がいて初めて成立する。だからこそ、映像に込めるメッセージ、届けたい相手、そこに映る人々のリアルをどこまで考え抜けるか。それこそが、映像を作る上で最も重要なことだと感じています。
▼【リアルなMoGの瞬間:挑戦】を作成
入社して変わった意識—「当たり前を当たり前にする」
入社してから、私の意識は大きく変わりました。映像という専門分野を活かしながら、「どう価値を出していくのか?」を考えるようになり、周りのメンバーのサポートを受けながら自分の役割を再認識していきました。
特に、働き方そのものを見直したことが大きな転機でした。ただ周りと同じことをしていても、成長のスピードは周囲と横並びのまま。そこに気づいたとき、私は「自分だからこそできることは何か?」を本気で考え始めました。
「特別」ではなく、「当たり前を当たり前にする」ことの価値
very50には、高い専門性や学歴を持ったスタッフが多く、入社当初は自分に対するコンプレックスもありました。しかし、そんな私が「自分だからこそできることがある」と気づかせてくれたのも、スタッフの皆さんの存在でした。
それは、何か特別なことを成し遂げることではなく、「当たり前を当たり前にする」ことでした。
たとえば、very50のクレドである「1forN」を徹底し、報連相を大切にすること。掃除をすること。朝一番に出社すること。最後まで仕事に向き合うこと。誰よりもがむしゃらに働くことで、組織の基盤を支えることができる。
こうした日々の積み重ねが、会社にとって確実に良いインパクトを残すことにつながると実感しました。
「守り」と「攻め」の仕事
今、私は自分の仕事を「守り」と「攻め」に分けて考えています。
- 守りの仕事:日々の業務を徹底し、信頼を積み上げること
- 攻めの仕事:映像の可能性を模索し、新しい価値を生み出すこと
「守り」がしっかりしているからこそ、「攻め」の仕事である映像の可能性を広げ、very50の価値をより多くの人に伝えることにチャレンジできる。その土台をつくることが、今の自分のステップだと考えています。
入社1年目で学んだのは、派手な成果ではなく、日々の積み重ねこそが大きな価値を生むということ。これからも、「当たり前を当たり前にする」ことを大切にしながら、自分だからこそできる価値を探し続けていきたいと思います。
2年目の挑戦/「守り」と「攻め」
2年目に向けて、僕は引き続き、「守り」と「攻め」のバランスを意識しながら挑戦を続けていきたいと考えています。
守りとしては、very50のクレドである「1forN」を継続し、会社に対する貢献をより強化していくことです。日々の業務において当たり前のことを徹底し、組織の基盤を支える意識を持っています。スタッフである以上、十二分の責任を持つことを意識し、行動していきたいと思います。
一方で、攻めとしては、映像制作のスキルをさらに向上させることです。技術の探究を怠らず、より多くの人に影響を与える映像を作り続けることを目指します。「質・量・時間」の3つの軸を意識しながら、生産性を向上させていきます。
- 質:より感情を揺さぶる映像を作るために、構成やストーリーテリングを磨く
- 量:限られたリソースの中で、必要な映像を最大限に生み出す工夫をする
- 時間:撮影・編集のスピードを向上させ、短時間で高品質な映像を作れるようにする
そして、very50の魅力を最大限に伝えることで、コミュニティの活性化や新たな挑戦者の参加を促したいと心から思っています。
僕自身が目指すのは「自立した優しい挑戦者を目指すものの体現者」です。 その姿勢を持ち続け、後輩やコミュニティの仲間に対して、背中で示していくことが僕自身の命題だと考えています。
2年目も、成長を続け、very50の価値をより多くの人に届けられるよう、泥臭く、ガムシャラに頑張っていきます。