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IT業界・・・ とりわけエンジニアの世界では、数多くの「コミュニティ」が存在します。プログラミング言語や開発環境、役職といった専門的なジャンルから、働き方や暮らしている地域、属性による括りなど、その種類はさまざまです。
TAMには、地方在住のコミュニティを運営する(しようとしている)メンバーが「3人」もいます。仙台でエンジニアコミュニティを運営している菅家大地さん、沖縄の知念昌史さん、そして福岡でコミュニティ立ち上げ準備中の中牟田怜士さんです。
彼らはなぜ、TAMがある都市部を離れ、地方で「コミュニティ」をつくることにしたのでしょうか。またなぜ、TAMはそれを後押しするのでしょうか。彼らの経験や仕事観から、これからの働き方の新しい選択肢を探ります。
東京で働きながら・・・「いつかは地元に帰りたい」
ー地方移住を考えたきっかけは何だったのですか。
知念 きっかけは結婚だったんです。僕は生まれてから大学を卒業するまで沖縄にいて、就職するタイミングで東京に出てきました。仕事に関して地元ではアルバイトくらいしか経験がなくて、しっかり働き始めてからはずっと東京暮らし。
それに不都合はなかったんです。ただ、両親も兄弟も沖縄にいて、なにかあれば地元に帰らないといけないのかな、と思っていました。働き始めて10年経って、まだ都会で働きたい気持ちはあったけど、そろそろかなぁって。実家の近くに夫婦で移り住んで、半年くらい経ちます。
菅家 僕も一番の理由は家族ですね。地元は福島なんですけど、高校卒業後に仙台に出て、妻とはそこで出会いました。
それから東京に移住して10年くらい住んでいたんですけど、将来的には地元に戻りたいねと話していたんです。やっぱり、子育てするには仙台のほうがいいかなぁ、と。子どもが小学校に入る前くらいには戻ろうと思って、2019年3月に移住しました。
中牟田 僕も地元は福岡で、そのまま地元に就職していたのですが、その後転職した会社の本社が仙台にあって、本社へ転勤することになったんです。そこからしばらくずっと仙台で働いていました。
ただ、地元志向が強く、いずれ実家に戻らなければならなかったので、転職先を探していたのですが、仙台から福岡の会社を探すのが難しくて。それで、いったん東京を拠点にしているTAMへ入社することになりました。
いまは会社でも地方移住を推進してくれているのもあって、月に2回ほど福岡へ帰って、実際にコミュニティを立ち上げる準備を進めています。福岡と東京と半々の割合で生活ができたらと考えています。
ー地方で働くメリットはどんなところにあるとお考えですか。
知念 やはり家族のことですよね。まだ子どもはいないのですが、子育てするなら地元がいいなと思っていました。両親になにかあっても、近くにいてすぐに会いに行けるのも安心です。
また、沖縄は海もキレイで、自然の豊かさに惹かれて県外から移住してこられたエンジニアも少なくありません。ただ、僕自身はずっと沖縄で育ったので、特別、海に思い入れがあるわけではないんですが(笑)。
中牟田 僕はわりと福岡が好きで、帰りたい思いが強かったんです。福岡っていま、行政がかなりIT産業に力を入れていて、行政主導のインテグレーション施設やコワーキングスペースもかなり充実している。環境としてはとても恵まれています。
それに、僕は結構引きこもり気質があって(苦笑)、東京だとなかなかコミュニティに参加する機会を持てなかったのですが、福岡はちょうど良い規模の都市だからか、コンパクトにコミュニティが成り立っていて、気軽に参加できるんですよ。ITに限らず、映像系やカメラマンさん、ライターさんなど異業種の方とも交流できて、積極的に関われるのはありがたいですね。
菅家 仙台も積極的にIT系企業の誘致を行っているのですが、実は2、3年前までは「仕事のことを考えると、このまま関東に住んでいたほうがいいのかな」とも思っていたんです。でも、最終的に後押しになったのがTAMのサポートだったんですよね。
入社してしばらく経って、「将来的に地元へ帰るかどうか、迷っているんです」と話したとき、「このままTAMで働きながら、移住を考えてみたら」と提案してもらって、それならできそうかな、と。こうして技術が発達して、離れていても仕事ができる環境があって、TAMもそれを後押ししてくれる。リスクも少ないし、それならやってみようと思いました。
知念 僕も会社を辞めて、転職して・・・となると、苦労しただろうとは思います。沖縄には同じ業界の知り合いがいませんでしたからね。TAMでこのまま仕事を続けられるという後ろ盾があったから、移住に踏み切りやすかったことは確かです。
中牟田 「フリーランスになって」とか「福岡の会社に転職して」というのは、心理的ハードルが大きいですからね。「福岡で働きたい」という希望をTAMに叶えてもらえるのは、本当にありがたいです。
「ないならつくろう」──地元でも、最新情報や知見を共有できる場を
ーお三方は地方へ移住するだけでなく、地元で自らコミュニティを運営しているんですね。
知念 本格的に移住する前に、1カ月ほどマンスリーマンションを借りて、遠隔でTAMの仕事をやってみることにしたんです。実際やってみると、業務自体は問題なく進められるな、という実感を得て。
ただ、その期間中、フロントエンド系の勉強会に参加しようと思ったら、地元で見当たらなかったんです。移住するとなると、やはり勉強会で最新の技術を共有できるつながりや場所がないとつらいなと思って。
ちょうど移住する1カ月前に東京と沖縄を行き来しているエンジニアと知り合いになり僕が技術コミュニティを立ち上げて勉強会を開こうと思っていることを話すと、手伝ってくれることになりました。
毎回勉強会はどんなテーマにするか、どう告知するかなど、チャットベースでやり取りしながら企画しています。2019年10月に2回目の勉強会を実施したところ、参加者の中から「手伝いたい」と申し出てくれた人がいて、運営メンバーも3名に増えました。1、2カ月に1回のペースで勉強会を運営しながら、情報共有をしています。
菅家 僕も以前、仙台にいたころは別の仕事をしていたので、IT系の知り合いが全然いなかったんです。それはちょっと寂しいな、と思って。仲間づくりのような感じでコミュニティをやってみようと思いました。既存のコミュニティもあるにはあったのですが、僕が希望するフロントエンド系のイベントを主催するところがあまりなくて、それなら自分でやろうかな、と。
関東にいたころからコミュニティに出入りしていたのですが、積極的に知人をつくるなら、運営側に回ったほうが強いんですよね。「今日のイベントはどうでしたか」とか「今度、こんなことを話してくれませんか」と話しかけやすくて。仙台で自分を知ってもらうためのきっかけにもなりますし、もしかしたら仕事にもつながるといいなと考えています。
いまは2つのコミュニティを運営していて、一つはフロントエンド系の中でも特定の技術に寄ったコミュニティ、もう一つはより幅広い技術を扱うコミュニティです。それぞれ隔月、毎月どちらかで勉強会を主催しています。一緒にやっている仲間は、当初地元の勉強会に出かけたとき、新たにコミュニティを立ち上げるつもりだと話したら、2、3名ほど賛同してくれる人がいて。いまは2つのコミュニティどちらとも、5名ほどで運営しています。
中牟田 僕は二人と違ってディレクターなので、東京でクライアントを見つけて、福岡で開発できるようなチームをつくろうと考えています。いまはその準備期間で、去年1年間は地元のさまざまなコミュニティに参加していました。
そこで、地元に軸足を置いている人と話をすると、「東京で話題になっているようなテクノロジーや、クリエイティブのトレンドを聞きたい」というニーズがあるんですよね。ですから、今年は積極的に登壇して、地元の方々に還元できればと考えています。
先ほどお話しした通り、福岡はIT系企業も多く、活発に活動されている技術系のコミュニティも多いのですが、ディレクターやPM(プロジェクトマネジメント)系のコミュニティとなると、機密情報に触れやすいこともあって、あまり多くありません。ですから、僕自身はそちらを重点的に情報共有できるようなコミュニティをつくろうと考えています。
知念 ただ、沖縄の場合、経済状況や文化の違いもあるかもしれませんが、Web開発に費用をかけて最新の技術を採用するというより、できる限り安く済ませたいと考える企業が多い、というのが現状です。
最新の技術を知ったところで、すぐには使い道がないことも多いようですが、一方で勉強会などで「東京ではいま、こんなことが起こっていて、こういう技術が流行っているんです」と話すと、「へー、そうなんだ」と、興味は持ってもらえるんですよね。ですから、沖縄でも最新の情報に触れられる環境をつくることが、個人にとっても企業にとっても、大きな機会になるのかもしれません。
菅家 仙台でも、IT系企業は増えてきていますが、東京の仕事のほうが正直、予算が大きかったり、エキサイティングだったり・・・となるのは自然なことなんですよね。僕も以前、仙台から上京したのは、地元ではWeb開発の仕事が見つからなかったから、というのが理由でしたし。
だから、みんながみんな、仙台にとどまってほしいと思っているわけではないんです。ただ、地元で暮らしたい人が地元で暮らせるように、仙台でIT系の仕事が増えていけばいいなと思っていて、そのためにコミュニティをやっているんです。10年前と比べればかなり技術が進化して、確実に仙台でも東京の仕事ができるようになりましたから、そういう人が増えていくといいなと考えています。
知念 たしかに、沖縄で出会った人のほとんどは、東京や大阪などの都市部の仕事をやっていて、沖縄にいるのは仕事というよりあくまで住む環境を優先させている、という感じなんです。そういう意味では、費用面でも技術面でも、都市部でやるような仕事をしながら、沖縄で暮らせるのは、理想的な環境なのかもしれませんね。
ーコミュニティを運営するうえで心がけていることはありますか。
菅家 勉強会と言っても、セミナーのように一方的になるというよりは、みんなでわいわい話しながら、参加者の方にも積極的に発表してもらって、学び合う・・・みたいな感じにできたらいいなと考えています。エンジニアは、アウトプットすることでスキルも上がりますからね。
知念 僕もまだ、探り探りですね。テーマ設定によっては、人が集まらないこともあるので、たまに初心者向けのテーマを考えてみたり。ただ、まだちょっと堅苦しい部分もあります。「ちゃんとやらなきゃ」って思ってしまうので。もうちょっと交流会的なことも試そうかなと、いろいろと話し合っているところです。
中牟田 僕はまだこれから、というところですが、いろんな勉強会に参加して、地元の方々と話をするなかで、どんなニーズがあるのかかなり掴めてきました。すごく期待してもらっているというか、興味を持ってもらえている実感があるので、東京でしっかり魅力的な仕事をつくって、地元の方々と協力して開発していきたいですね。
地方だからこそ見えてくる「自分でも貢献できる」こと
ーコミュニティを通じて見えてきたこと・・・そこで得たのはどういったことでしょうか。
中牟田 会社の中に閉じこもったままだと、そこでしか通用しない技術やノウハウにとらわれてしまうこともあります。そういう意味では、コミュニティを通じて、その地元にしかない課題を知って、自分の可能性を追求できる、いい機会になっています。
例えば福岡は、中国や韓国など東アジア各国とのつながりも多く、健康食品や美容系のEコマース企業も数多くあるので、ゆくゆくはローカルの商圏でもなにかしら貢献できたらいいな、とも考えています。
菅家 外部の方と話をして、他の業界のことを知るのはとても大切ですよね。特にこれからは変化の激しい時代ですし、外部環境を知り、情報を積極的に取りに行かなければならない。ですから、コミュニティがそういった情報をやり取りできるような場になってくれたらいいなと思っています。
知念 仕事でも生活でも、いい面がありますよね。まだコミュニティからなにか仕事が生まれたわけではないのですが、結局のところ、仕事って人と人とのつながりによるものだと思うんです。人から話を聞くことで知識を得て、結果的に仕事につながればいいなぁ、と。
あと、最近、妻から言われたんですけど、「勉強会で知り合いができて、つながりが増えていくのがうらやましい」って。妻は他県出身なので、あまり友達が作れないみたいで・・・。
確かに、沖縄に帰ったばかりのころは、全然同業の友達はいなかったのに、最近では、別の勉強会に行くと知人がいたり、僕らが主催するイベントに来てくれた方から声をかけてもらえたりして、なにかとつながることが多いんですよね。ですから、それはコミュニティを運営する大きな意義なのかもしれません。
菅家 そういえば僕も、妻から「仙台に移住してからのほうが活動的になったね」と言われました。
なんというか、東京だとつい、「自分がわざわざ出て行かなくてもいいかな」って思っちゃうんですよね。コミュニティもたくさんあるし、優秀なエンジニアもたくさんいらっしゃいますから、「僕の話なんて・・・」と思ってしまう。でも、仙台だと相対的にコミュニティも勉強の機会も少ないので、僕でも誰かの役に立てるかな、と思えるんです。
知念 あぁ! それ、うちのコミュニティメンバーも同じようなことを言っていました。彼も神奈川から移住してきた人なんですけど、東京って、もう何もかも十分に整っているじゃないですか。でも沖縄で、一から環境をつくって、技術を広めていくと、「地元に貢献できている」感がある。それが面白いんですよね。
特に、沖縄って県民の気質もあるのかもしれないけど、わりとのんびりしていて、納期がズレちゃうこともたまにあると聞いています。そのなかで、しっかりと技術や仕事観を伝えながら、若い人たちのためにできることもあるんじゃないかなぁって。残念ながら、沖縄って全国の中でも失業率が高くて・・・人の育成や成長に関わって、地元のためにできることもあるのではないかと考えています。
菅家 思えば、会社で働きながら、地元のために働くのって、本当にありがたいですよね。(社長の)爲廣さんもよく、「大の大人が管理される必要はない。やることやっていれば、自由にやっていいよ」と言っていますが、本当に、TAMの仕事に影響がなければ、自由に時間配分を組むことができる。コミュニティを運営していると、たまにどうしてもそっちに時間を割かなきゃいけないこともあるので、仕事の進め方としては、自分に合っているのかなぁと思います。
知念 なにかに挑戦したいときに「やっちゃダメ」とは言われませんからね。会社によってはそれを制限されるところもあるんだろうけど、自分自身の成長が会社での目標にもなっていて、なにかしら会社に還元されることがあれば、どんどんやろう、と。それが直接的な仕事につながらなくても、応援してもらえるのは、本当にいい会社だなぁって思います(笑)。
ーでは、これからも皆さんこのまま、地元で暮らしていくのですね。
菅家 そうですね。家も買っちゃいましたし(笑)。
知念 そう、ホントそれが移住の大きな理由になりますよね(笑)。僕もしばらくは沖縄にいると思います。逆に、60、70歳とか、仕事を引退するときに都会へ戻るかもしれません。車社会の沖縄では、車ナシで暮らすにはとても不便なので、運転免許を返上すると大変そうだから・・・。
中牟田 今はまだ東京で仕事をする時間のほうが長いですが、まずは生活時間を半々くらいにすることを目指しています。東京と地方とをつなぐ橋渡しができるように、今以上に互いのコミュニティに関わっていきたいです。
ーみなさん、本日はありがとうございました!
株式会社TAM Webプロデューサー 中牟田怜士
写真左。1982年福岡県生まれ。ASPのサプライヤーにて接客から企画、広報、法務、システム開発などに携わり、TAMでは主にシステム開発案件の企画提案やプロジェクトマネジメントに従事。2018年より福岡と東京での二重生活を開始。
株式会社TAM フロントエンドエンジニア 菅家大地
写真中央。1984年福島県生まれ。Webコンサルティング会社のデザイナーを経てTAMのフロントエンドエンジニアに。大手企業のWebサイトやアプリのフロントエンドの開発業務に従事。2019年3月に宮城県に移住。PWA Nightや仙台のフロントエンドコミュニティの運営に携わっている。Twitter: @kan_dai
株式会社TAM フロントエンドエンジニア 知念昌史
写真右。1986年沖縄県生まれ。美容師から未経験でWeb業界に飛び込む。約10年東京で生活し、2019年6月に沖縄に戻る。業務では大規模Webサイト開発から運用体制の構築までサポート、社内の新人エンジニア教育も担当している。v-okinawa・PWA Nightのコミュニティ運営に携わっている。Twitter: @chocodogmagic
[取材・文] 大矢幸世 [企画・編集] 岡徳之 [撮影] 三浦千佳