フレンチ、洋食屋、宅配業、パン屋、広告営業…そして「たこ焼き屋」。多くの挫折を味わった上村社長が語る「人を大事にする経営」とは?
上村克郎(40歳)大阪府出身。大阪府立泉北高等学校からエコール 辻 大阪に進学。2003年に辻調グループ フランス校を卒業後、東京の洋食店に就職。挫折を味わうが、宅配業者でのアルバイトで立ち直り、千葉のベーカリー、茨城のフランス料理店『コワン ドゥ フルノー』での経験を経て、リクルート社の営業職に。2008年11月に帰阪し、両親が営むたこ焼き店を継承。店舗数を増やし、2022年現在、大阪・東京にフランチャイズを含む10店舗を展開する企業へと成長させる。今回は、そんな酸いも甘いも様々な経験を重ねてきた上村社長に、人事の佐藤が話を聞いてきました!
兄に背中を押されて、夢だった料理人の世界に。
ーー「料理の道に進みたい!」と思ったきっかけは?
物心ついたころから料理番組が好きだったんですよね。ある時、父が連れて行ってくれたレストランで食べたウズラ肉の料理が本当に美味しくて。いつしかフランス料理に憧れを抱くようになり、料理本の写真を眺めては夢を膨らませていました。だけどプロ野球選手になりたがるのと同じで、叶わない夢だと勝手に思い込んでいたんです。
高校に入ったころは、周りと同じように大学へ進学するのが決まったコースだと思ってました。でもたまたま見つけた進学情報誌で、調理の専門学校のページがあって。「自分でも挑戦できるんや」と初めて気づいたんです。父は勉強したくてもできなかった世代で、「どんなに苦労しても大学には行かせてやる」と期待され続けていて...伝えづらかったんですが、3歳違いの兄から「今やりたいことがあるのは幸せなことやし、絶対にやるべきや」と背中を押してもらい、料理の道に進むことを決めました。
数ある専門学校の中でも、特に惹かれたのがフランス校を有する「エコール辻 大阪」。戦前生まれでアメリカ文化に強く影響を受けていた父からも「若いうちに外国へは行っておけ」と言われていて、海外に行きたい思いも昔からあったんですよ。本格的に目指したい方向性が決まってからは、地元の洋食店や喫茶店でアルバイトをして留学の資金を貯めてました。
フランスで学んだのは、「技術」と「一生懸命さ」。
ーーそこからフランスに留学してみてどうでしたか?
毎日がすごく刺激的で楽しかったです。専門学校で1年間必死に勉強した後にフランス校に留学したんですが、現地の先生方の熱量がとにかく半端なかったです。ひとつの実習も準備に準備を重ねて臨む。その甲斐あってか、半年間での成長はすごく実感しました。授業では全く気が抜けないですし、週末の食べ歩きも勉強の一環です。必死に貯めたお金で行くんだから、「おいしかった」で済ませてはいけない。どう美味しいのか、なぜ美味しいのか、写真を撮って分析しつくしました。
その後の実地研修では、ブルゴーニュ地方の三ツ星レストラン「ラムロワーズ」へ。和気あいあいとしながらも、スタッフたちはみんな仕事が早く、オンとオフの切り替えも上手でした。ある日、朝早くからオマール海老を茹でていたら、たまたまシェフが来て、「こんな時間から何をやっているんだ。押し付けられているのか?」と質問攻めに(笑)。「初めて任されたのが嬉しかったから、責任をもってやりたいんだ」と伝えたところ、名前を聞いてくれたんです。
それまでの3ヶ月間はジャポネ(日本人)でくくられていたのに、そこから休みの日にはドライブへ連れて行ってもらえるまでになり感激しました。仕事のできない人間はすぐクビになる厳しい職場でしたが、真面目に一生懸命やったら評価されるのは、フランスも同じなんだなと感じました。本当にいろいろな経験を積ませてもらい、世界の広さを実感しましたね。
帰国後、わずか2ヶ月で挫折。
ーーフランスから帰国した後は、何をしていたんですか?
帰国後は、食べ歩きでいちばん美味しいと感じた洋食店に就職を決めました。留学時に、日本の大衆的な飲食店のクオリティの高さも強く感じて、日本の洋食は面白いなと感じたのもあったので。けれど、想像以上にきつくて。まだまだ自分なんて通用しないことや、怖い先輩に怒られることなど、飲食店の厳しさは覚悟したうえで入ったつもりでした。ですが、自分でも信じられないぐらいうまくいかず、気持ちばかり空回りして、最後の方は何をやっても失敗ばかりで、わずか2ヶ月で退職しました。
そこからしばらくは何もできずにいたんですが、貯金が底をついてきたので宅配業者のアルバイトを始めたんです。仕事は単純作業でしたが、もともと頑張るタイプなので、社員さんに褒められて。社会人になって初めて認められたことが嬉しくてものすごく励みになりました。扱う荷物の中にパンがあって、とてもいい香りがしたんです。そこから、「やっぱり自分は食の仕事に関わりたい」と再認識して、そのパン屋さんに転職をしました。
そこでは、上司の退職も相次いで、わずか1年ほどで製造の責任者になりました。もう本当にあり得ないくらい、人生で一番ぐらい忙しかったです(笑)。でも一度ドロップアウトを経験しているからこそ、「必要とされていること」がすごく嬉しかった。「お客さんに良いパンを出したい」この思いだけで、毎日必死に働いていました。当時まだ21歳でしたが、限られた人数でどうやってPDCAを効率よく回すかを若いうちに経験できたのは貴重でしたね。
料理が美味しくても、売れなければ意味がない。
ーーそのあと、またフランス料理に携わることになったとのことですが?
そうですね。仕事が落ち着き始めた頃、フランス留学時にお世話になっていた名越シェフから、茨城県で独立するから一緒にやらないかと声がかかり、「コワン ドゥ フルノー」のオープニングスタッフとして働き始めました。名越シェフは、本当に凄腕の料理人で、僕自身も「この人の料理が世界で一番美味い!」と今でも思っています。ただ、当時開業したのは、知らなければ行けないような街外れでした。最初は来客数が少なく、「料理はおいしいのに...」ともどかしい気持ちでいっぱいでした。そこで、料理の腕以外にお店の経営面を学ばなければと思ったんです。
いざビジネスを学び始めると、初めてのことばかりで新鮮でした。夢中で知識を吸収していた時、リクルート社に勤めていた兄から「お店側の気持ちも分かっていいんじゃないか」と、同じリクルート社が発行するホットペッパーグルメの営業職を勧められたんです。名越シェフと一緒に働ける経験も大変貴重だとは思っていたのですが、食ビジネスを別の角度で見つめてみたい気持ちも強くなり、リクルート社への転職を決めました。
母親の病気を機に、「大阪の味」を継承。
ーーリクルートの営業マンのお仕事はどうでしたか?
3年間でビジネスの基本を身に着け、やりたい夢を実現させようというCV(キャリアビュー)職。せっかく新たなチャレンジをするならと馴染みのないエリアを志望し、岐阜編集部の配属となりました。飲食業界にいたこともあって、蓄えた知識を実践する機会も多く、めちゃくちゃ楽しかったです。うまくいかないときはみんなで話し合うんですが、そのチームワークも面白くて。集客に向けた戦略やメニューなどを自分たちで考えて顧客に提案したり、それで顧客の売上があがると、今までにない達成感を覚えました。けれど1年半ほど経った頃、母親のがんが再発してしまって。僕が高校の頃に両親が始めたたこ焼き店「たこ一」を閉めるかどうか家族で話し合いになりました。母親からは「あんたがやってくれたら一番ええんやけどな」と言われたんですが、さすがにしばらくは悩みました。
ーーなぜ、家業である「たこ一」を継ぐことを決めたんですか?
老夫婦が一坪半の敷地で営み、月に100万円以上も売り上げていたんですよね。最初は軽トラックでの販売から始まって、店舗を構えるようになって。それってすごいことじゃないですか。何気にどこのたこ焼きより美味しいとは思っていたんですが、改めて可能性を感じたんです。しかも、うちのたこ焼きはレシピもしっかり整っていて、生地もグラム単位で決まっているので、職人の勘みたいなのも必要がない。ビジネスとしても展開がしやすいと思ったんですよね。人生を賭けるに値する商売かもしれないと、家業を継ぐことを決めたんです。
人のために頑張る人が報われる会社でありたい。
ーー家業を継いでから、上村社長が大事にしていることはありますか?
「人を大事にすること」は会社として忘れないようにしています。大阪人にとって、たこ焼きはただのファストフードじゃないんですよね。ある常連のお客様で寡黙な方がいらっしゃったのですが、勇気を出して声をかけたみたことがあったんです。すると「ここのたこ焼きだけが唯一の楽しみなんや」って。たこ焼きという商品を通じて、小さな幸せをお届けできている感じがして、嬉しかったですね。私たち飲食店にとって、そんなお客様との関係性は重要です。「この店に来たら自分は大事にされる」とお客様に思ってもらうことが大切だと考えています。
お客様を大事にするためには、従業員も大事にしなければいけません。クリーンな労働環境を提供するのはもちろんですが、社会人としてどこに行って通用できるような自信をつけさせることも大切だと思っています。ですが、ミスをした時に「いいよいいよ」と受け流すのは、相手の将来を考えたときに本当のやさしさとは言えないと思うんですよね。社員やアルバイトスタッフのために、何をするべきか。「やさしさ」と同時に「厳しさ」を持っていたいですし、持っている人を育てていくことも、私の使命だと思っていますね。
ーーこれから先、たこ一でどんなことをやっていきたいですか?
居酒屋業態の方は、今は大阪市内への出店を考えていて物件を探したりしているところです。テイクアウト業態の方は、フランチャイズ店の出店を増やしていきたいなと思っています。たこ焼きは決して簡単ではなく奥が深いものです。ですが、ラーメン店や居酒屋に比べると初期投資が低く抑えられるので、比較的展開のしやすい事業だと思っています。
飲食業界には独立の夢を持っている人も多いと思います。そんな夢を持った人たちを応援して、支援できる会社にしていきたいなと思っています。大きな夢を持った人たちが、たこ一で学んで、独立して、たこ一を卒業していった人たちが飲食業界を盛り上げていく。そんな未来がきたら、嬉しいですね。
【インタビューを終えて】
「人のために頑張る人が報われる会社でありたい」…今回、一人の社員として改めて社長の話を聞いて、この言葉に会社の思いがすべて詰まっている気がしました。
どこまでいっても「人のため」にこだわり続ける上村社長。そんな社長だからこそ、お客様はもちろん、私を含む多くの社員・アルバイトスタッフにも親しまれているんだと思います。
人事担当者として、社長の想いをもっと多くの人に届けたい。ぜひ一度、面接にお越しいただき、社長の想い・人柄を感じてほしいですね!