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【インタビュー企画】第16回  創業者の大武会長に聞く!シナジーに「なる」までとシナジーの未来

このシリーズでは、株式会社シナジーの社員や役員にインタビューを行い、

「シナジーってどんな人がいるの?」「ぶっちゃけどんな仕事してるの?」「シナジーに決めた理由は?」などなど、赤裸々に話してもらいます!

シナジーの雰囲気や歩み、社風などを知っていただければ幸いです!

今回は、シナジーの創業者である大武会長に、創業後のお話や今後の展望についてお伺いしました!



ー前回のインタビューでは、大武会長が「有限会社ビルテックサービス」を立ち上げるまでと、初年度についてお話をお聞きしました。今回はその後の軌跡についてお聞きしたいです。

大武:1995年に創業して、初年度は予定よりもかなり順調でしたから、「やる以上は、ビル総合管理を目指そう」というビジョンを掲げました。

ビル総合管理というのは、掃除だけでなく、

・警備の配置
・消防設備の設置
・空調関係や飲料水のメンテナンス
・空気環境測定

といった、ビルのすべてに取り組む仕事です。大きなビルの仕事を受注すると、そういうのが全部入ってくるんですね。

ービルの清掃だけに留めるのではなく、総合管理を目指していらっしゃったのですね。

大武:はい。前の会社にいた時に知り合っていた協力会社さんに手伝ってもらったり、色んな人に助けてもらいながら仕事をしていました。

そのうち東広島の商工会議所とその青年部に入って活動をしたことで、そこでも少しずつ仕事をいただけるようになったんです。

2年目は年商6,000万円を超え、そこからしばらくはビルの仕事をコツコツやってましたね。

ーなるほど。現社長の樽本さんに入社してもらったのは、どういった経緯があったのでしょうか?

大武:出会ったのは先述した商工会議所の青年部がキッカケです。私が青年部の会長だった時に、新しく青年部に入って来たのが樽本でした。

私はどっちかというと、表に出たくないタイプなんですよね。だから、会社を大きくするにあたって、新しく人に入ってもらうとしたら『自分には無いものを持っている人』に入ってほしかったんです。

樽本はどちらかというと、表に出て人前で話すことによって、より能力を発揮するタイプじゃないかと思っています。

2004年当時は2人従業員がいましたが、そこに樽本ともう一人に入ってもらいました。それで警備の事業を立ち上げるために有限会社シナジーコミュニケーションズも設立したんです。

ー樽本さんが入社して、警備業と人材派遣業をスタートできたのですね。

大武:そうですね。警備のほうは私も樽本も資格はありましたし、お客さんから「警備の仕事もできんか」と言ってもらえることもありました。

そのため「どうなるか分からんけど、とりあえずやってみよう」と立ち上げることにしたんです。

人材派遣は完全に社員に任せて始めましたが、スゴいなと思いましたよ。

「立ち上げるので45万円予算をください」って言われて任せたら、どんどん広まって計画以上に売上が増えていきましたからね。

私が一人でどれだけ頑張っても、やり方がわからないですし、できなかったと思います。

ところが、新事業を拡大させている矢先の2007年、私がC型肝炎にかかって働けなくなってしまいましてね。

ー「これから」というタイミングで…きっと辛かったですよね。

大武:1年弱、48週間ほど治療を続けましたが、身体はフラフラするし倦怠感もあって、しんどかったですね。

樽本に頼らざるを得ませんでしたが、とても頼もしかったです。入院してた時も、毎日のように病院に来て、報告してくれていましたしね。

病気も落ち着いて、事務所を移転してから社内の人数も少しずつ増やしていき、新卒の人も採用するようになりました。パートさん含めて、10名余りだったですかね。

ー2008年に社名を「有限会社ビルテックサービス」から「株式会社シナジー」に変更なさいましたよね。これはどういう流れがあったのでしょうか。

大武:2004年に人材派遣の事業をスタートして、だんだん「ビルテックサービス」という名前が合わなくなってきたんですよね。

「ビルテックサービス」と聞くと、建物のメンテナンスのイメージしかないじゃないですか。それで、社員にも意見を聞いて、「シナジー」に変更したんです。

やはり寂しい気持ちもありましたが、うちと繋がりがある人たちや企業さんが、うちと付き合うことによって良くなる、「お互いが良くなる(シナジー効果が生まれる)ように」という想いを込めた社名にしました。

ー2008年はリーマンショックがあった年で、かなり世の中も不景気になってしまったかと思うのですが、そこは大変ではなかったですか?

大武:あれがなければ年間10億円に届くか、届かないか…という規模にはなっていたんですけどね。大変でしたが、不安はそんなにありませんでした。

樽本の采配があるから安心していたというか。頼れる人がいた、というのは大きかったです。

辞めていく人はしょうがないですが、極力社員が辞めないですむように、色々と配置も考えながらやっていました。派遣社員を一時的に警備の方で頑張ってもらったこともありました。

その後も、警備の現場で働いてくれていた人がごそっと辞めて自分たちの会社を立ち上げるとか、色々大変な目にも遭いましたが、また立て直せたので良かったです。

今も働いてくれてる吉本がシナジーで警備の仕事をしていたのですが、他社の営業担当を経て戻ってきてくれまして。今となっては毎日50~60人の警備士さんを現場に配置する状態までになりましたね。

ー会長としては、途中からは樽本社長や小濱さんに「基本的に任せるよ」っていうスタンスでいらっしゃったのでしょうか。

大武:私はどちらかと言うと、相手を信頼して口を出さないタイプですし、自分の専門外のことについてはなおさらです。

本人たちもその覚悟を持ってやってることですから、そこは認めておくべきじゃないかな、と考えてるんですよね。

昔は周りから「会社を乗っ取られるぞ」と言われたこともありましたが、私は「それくらいの度量じゃないと、会社を大きくできないだろう」と毎回反論していました。

最近はそういう事は言われないですけどね。任せるところは任せる、というのが筋だと思っています。

自分の会社であっても、自分の会社じゃないですもんね。

ーと、言いますと…?

大武:こじんまりやろうと思えば、家族経営でもなんでもできるじゃないですか。

でも、「会社を大きくしよう」という夢をお互い持って一緒にやっていくわけです。

であれば、やっぱりできる人に任せるべきだと思うんですよね。

ーそういうことですね。会長の「夢」は、創業からずっと変わらないものだったんでしょうか?

大武:そりゃあ変わっていきましたよ。最初は「ビル総合管理をできるようになりたい」でしたけど、その次は人材派遣の仕事がしたかった。

樽本のおかげでそれは叶ったんで。今は、業態は変わっても「人のためになること」をやっていかないといけない、と思っていますね。それが会社が生き残る方法だと思うので。

ー「今後シナジーをこうしたい、こうなってほしい」といった想いの部分をお聞きしても良いでしょうか?

大武:私は任せて見守ることが多いかもしれないんですが、社員がもっと働きやすい職場になると良いですね。それから、地域との関わりを大事にしながら、会社が大きくなってくのが楽しみです。

会社が大きくなっても、今まで助けてくださった企業さんとか、地元の繋がりを大事にして、弱っている会社があったら導いてあげるような企業になりたいですよね。

東広島から、そんな発信をできるような会社になりたいです。

ーありがとうございました!


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