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みなさん、こんにちは。スペースデータ採用担当です。
スペースデータで活躍するメンバーがどんな経験を持ち、日々どのような仕事に取り組んでいるのか、その一端をお伝えするために、社員インタビューや対談インタビューをお届けしています。
本日は、2025年よりスペースデータに参画した北澤克樹さんのインタビューです。
早稲田大学を卒業後、気象庁・大手損害保険会社・外資データ分析企業を渡り歩いた後、自身の成し遂げたい【社会課題解決×テクノロジー】の実現を求めてジョイン。
現在はスペースデータで“デリバリー本部 部長”として、プロジェクトマネジメントの全体管理からプロダクト・技術戦略、また事業本部と連携した技術提案などを担当されています。
今回のインタビューでは、これまでのビジネスキャリアや、スペースデータにおけるミッション、今後のビジョンなどを伺いました。
【プロフィール】 デリバリー本部 部長 北澤 克樹(きたざわ かつしげ)さん 早稲田大学で月面探査用の観測器の開発とデータ解析を研究後、気象庁に国家公務員(国家I種)として入庁、エンジニアとして気象関連プロダクトの開発を担当。その後は行政官として気象衛星ひまわり8・9号の打ち上げや気象ビッグデータの利活用など気象防災・技術政策の企画立案を推進。国連の世界気象機関(WMO)専門家としては、アジア太平洋地域で気象衛星データやICTを活用した防災研修・支援に従事。英国オックスフォード大学で修士号を取得後、SOMPOホールディングスにてグループのデータ戦略・人材戦略・CVCを担当。パランティア・テクノロジーズ日本支社の立ち上げメンバーとして防衛防災の大規模プロジェクトを主導。2025年6月より当社に参画。
サッカーに情熱を注いだ、理系少年。
──本日はよろしくお願いいたします。北澤さんのキャリアから伺ってもよろしいですか?
よろしくお願いします。これまでの自分のキャリアを総括すると…30%ほどはエンジニアリングなど手を動かすテクノロジーの仕事を、残りの70%は技術を政策に結びつけていくプロジェクトや経営関連などビジネス周りを経験してきました。
──どのような少年時代だったんですか?
実は、幼稚園くらいからサッカーをずっとやっていました。小学校の時がおそらく一番のピークで、結構ガチでやっていたと思います。
──サッカー少年だったんですね!
はい。後は……母が教師で、よく家の中で勉強を教えてもらっていたんですよ。ただ、そのうち、反抗期を迎えて、それが嫌になって、小学4年生くらいから塾に通うようになって……。結果的に、それで中学受験の道に進みました。でも、当時から「算数と理科以外は絶対にやらん」というタイプの子どもで、国語と社会の授業の時は、裸足で脱走してよく捕まっていましたね(笑)
──それは意外ですね(笑)当時から理系科目が得意だったんですか?
そうですね。好きだからできたのか、できたから好きだったのか分からないんですけど、特に算数が大好きでした。自分の受験した中学校が、努力して勉強するタイプの学校というよりは、好きなことをひたすらできる自由度の高い学校だったんですよ。努力が苦手だったので、僕には合ってましたね。
実は、その時が、宇宙に初めて興味を持った時だったんです。親が映画好きだったんですけど、すごく影響されやすい人で。たとえば『ジュラシック・パーク』を観た後で恐竜にハマったり、『トップガン』を観た後に、戦闘機にハマったりするんですよ。そんな親と一緒に、『アポロ13』を観たんです。当時の僕は宇宙にそこまで興味がなかったんですけど、宇宙船内で問題が発生した時に、ホースなどガラクタみたいなものを集めて解決するシーンがあって、めちゃくちゃかっこいいなと思って。それからずっと、米軍かNASAに行きたい、と親に言っていました。母親には『じゃあアメリカ人と結婚しなさい』と一蹴されましたけど(笑)
──その時に、初めて北澤さんと宇宙が繋がったんですね。
そうですね。当時は中高一貫校に通っていたんですけど、勉強はできるのに少し変わっている人たちが沢山いて。当時の自分も算数や理科が大好きで自信があったんですけど、やっぱり上には上がいるというか、ぶっ飛んだ人たちが結構いたんですよ。それで、「サッカーやろう!」と思って(笑)
──大学ではどのようなことを学ばれていたんですか?
正直に言うと、大学時代は全然勉強してなくて、サッカーばかりしていました(笑)。理工学部のサッカー部に入部することにしました。部といっても、サークル・同好会と同じような扱いにはなるので、ちょっと舐めてたんですけど、思っていたよりレベルが高くて驚きました。
──サッカー漬けの学生生活だったのですね。大学時代に宇宙業界との関わりはありましたか?
研究室を選ぶ時に、物性物理とか生命物理とか色々あったんですけど、やっぱり宇宙系かなと思って。JAXAやNASAの先生がいる長谷部研究室に入って、1年間卒業研究をしました。『かぐや(SELENE)』という月周回衛星で得られたデータを分析して、「月がどう形成されたのか?」「地球がどう形成されたのか?」を、追及する研究室でしたね。
現場の目線を養った、気象庁時代。
──早稲田大学を卒業後は、気象庁に就職されています。どのような理由で気象庁を選ばれたのでしょうか?
実はその頃、大学院で博士課程まで進もうと考えていたんですよ。大学院を受験して、地球惑星科学専攻の研究室から内定をいただいていました。
その一方で、同時並行して公務員試験を受けたんですよ。高校時代に仲の良かった友達が国家公務員試験を受けると言うので、「じゃあ俺も受けてみようかな」と思って。
──就職活動はされなかったんですか?
そうですね。「就活ってどんな感じなんだろう?」という興味があったので、商社・銀行・メーカーあたりを見て回ったんですけど、基本的には国家公務員試験の勉強をしていました。ただ、試験に合格したものの、その当時は特に気象庁を考えていなくて、警察庁・外務省・文部科学省などを検討していたんですよ。ただ、公務員試験の区分が物理だったので、一番採用が多いのは気象庁だということを知り、これが気象庁との最初の出会いでした。
──国家公務員試験に合格後、気象庁に入庁された決め手は何だったんですか?
気象庁って、実はほぼ技術系の人間しかいないんですよ。気象庁の長官も技術系の出身なんです。他の省庁は、技術系よりも法律職など他の人間が力を持っているイメージがあったので、肩身の狭い思いをしそうだなと思って(笑)
あとは、元々惑星科学が好きだったので、気候変動や防災などに興味がないことはなかったんですよ。それに、気象庁で働く方々がめちゃくちゃ良い人たちで。「いい職場だな」と思って、まずは全省庁の中から気象庁に行くことを決めました。
その上で、「気象庁に行くか?大学院に行くか?」という2択のうち、大学院はいつでも行けるかな、と。一度就職した後にまた行けるかなと思ったので、研究室の方々には本当に申し訳なかったんですけど、教授に謝罪して気象庁に行く決断をしました。
──気象庁で働く方々の、どんな部分に魅力を感じられたんですか?
技術力がベースにあることはもちろんなんですが、信念をすごく強く持ってる部分に惹かれました。社会に実装するインパクトをダイレクトに感じられますし、他の省庁だと、どうしてもツールとしての技術になってしまっていると感じました。『気象庁として、技術をどんどんフル活用して外に行く』というマインドを持ってる人たちと気が合った、というのが一番の理由でしたね。
──ありがとうございます。気象庁ではどのようなお仕事をされていたんですか?
気象庁は本当に色々な仕事をやっているんですけど、一番最初は現場に入りました。雨が降ったら警報や注意報が出ると思うんですけど、あれは365日24時間、日本全国で気象庁の職員が監視して警報を出しているんですよ。予報官という役職なんですけど。気象レーダーなどをずっと見ながら、データの異常値や特殊な現象などがあれば予報官と随時連携するという仕事でした。
──どのくらいの期間担当されていたんですか?
1年だけでした。自分の採用区分だと、現場を担当させてもらえないことが多いんですけど、自分の場合は1年目から担当させてもらえたので、すごくラッキーでした。夜勤とかも楽しかったですよ。
──現場を経験されながら、開発にも携わっていらっしゃったんですね。
それが結構重要なところだと思っています。DXなど全てのプロジェクトにおいて、実際に現場が見えている人の数は、実はすごく少ないんじゃないかって。組織の上の方で理論的なことを議論されていることがあると思うんですけど、現場ってそんな簡単じゃないので。
その当時の経験があったからこそ、現場視点というか、現場思考で、プロジェクトを見るようにしています。職人さんなど、現場の色々なおじさんたちと毎日のようにお酒を飲みに行って、『ああでもない、こうでもない』と盛り上がっていました(笑)
他の組織でも共通だと思いますが、気象庁のミッションって、『現場の職人さんたちが最大限パフォーマンスを発揮できる環境を用意すること』だと思っています。実際にパランティアでも能登地震対応プロジェクトなどほとんどのプロジェクトでは現場の意思決定支援が一番の目的なので、気象庁の時の経験が活かせたと思っています。
大気海洋科学とテクノロジーを学んだ、2年間のイギリス留学。
──北澤さんのプロフィールを拝見すると、気象庁に在籍中、イギリス留学を経験されています。どのような経緯で留学されることになったんですか?
はい。国家公務員の留学制度を利用しました。留学制度が2年間と定められているのですが、まず、どの国に留学するかを決めるんです。気象庁の人間は大抵アメリカに行くので、ひねくれてヨーロッパにしようと思って(笑)、自分の中でおしゃれなイメージのある、イギリスへ留学することにしました。
──たしかに、イギリス留学という響きはおしゃれですね(笑)
というのは冗談で(笑)、留学先をイギリスに決めた一番の理由は、イギリスの大学は修士課程が1年間なんですよ。せっかく気象庁に入ったからには、大気海洋科学を極めるのか?それとも、今後重要となるICT・テクノロジーを極めるのか?どちらを選ぼうか迷っていたんですけど、「イギリスに行けば両方できるんじゃん!」って気づいて(笑)。1年はレディング大学で大気海洋科学を、1年はオックスフォード大学でコンピューターサイエンスを学びました。
国内外の大手民間企業で、ビジネススキルの礎を築く。
──留学後には、SOMPOホールディングス株式会社に転職されます。気象庁を退職されて、転職された経緯を教えていただけますか?
留学2年目のオックスフォード大学では、気象以外の分野を学んでいたんですけど、クラスメートにはGAFAから来ている方も多く、とても面白い世界を知ることができました。気象庁の仕事って、あくまで気象の分野だけなので、留学経験を通じて、改めて「最先端のテクノロジーを学びたいな」と思うようになって。
その時に、コンサル会社を中心に探していたんですけど、(気象庁時代の主業務だった)防災関連を手がけている企業があまりなくて。「損害保険会社だったら、火災保険や地震保険でデジタルな取り組みを行っているんじゃないか?」と思ってSOMPOホールディングスを覗いてみたら、当時のCDO(Chief Digital Officer=最高デジタル責任者)が業界でも有名な方だったんですよ。最新のデジタル技術や応用が学べそうだなと思って、SOMPOホールディングスに入社しました。
──防災に関するデジタル技術を学びたい、という想いが転職のきっかけだったんですね。
最初はそれが入り口でした。でも、結局全然違うことをやることになっちゃったんですよ。
──SOMPOホールディングスではどのようなプロジェクトに携わっていらっしゃったんですか?
防災関連のプロジェクトも担当しましたけど、その技術を理解できるスタッフが少なくて、様々なプロジェクトを経験させてもらいました。SOMPOホールディングス全体の技術基盤構築や機械学習・AIの活用のプロジェクトに従事したり、CVC(コーポレートベンチャーキャピタル)という形で色々なスタートアップ企業を回って、「その技術をどう活用できるか?」検討したり……。この時期に、多くのスタートアップ企業と出会いました。
私は民間企業の経験がなかったので、マネタイズとかビジネスの経験や知識がなかったので、2年間しっかり学ばせてもらいました。その一方で、「最新の技術があまり学べない…」というジレンマを徐々に感じるようになりました。
SOMPOホールディングスは、あくまで事業会社なので、「本当にディープなテックは、専門的な企業でないと学べないな」と思いまして。もっと色々なプロジェクト、グローバルなプロジェクトにも関与したいと思って、パランティアへの転職を決めました。
──パランティアではどのようなプロジェクトに携わっていたんですか?
当時まだ日本支社が小さかったこともあり、最初は本当にいろいろな業種の会社や官公庁を周りました。製造業から金融、建設、官公庁では防衛省や内閣府など。その中でお客さんに対してプロジェクトの提案をしたり、そしてプロジェクトが開始したらプロジェクト統括としてプロジェクトを管理しながら自分でも開発したりもしました。
──印象に残っているエピソードがあれば教えていただけないでしょうか。
パランティアは、私にとって初めて経験するアメリカの企業だったので、たとえば「このプロジェクトは、自分としては絶対にやるべき!」ということを本国の経営陣に理解してもらわなきゃいけなくて……アメリカ人に感情論は通用しないんですよね(笑)理路整然と会社のメリットや、投資する理由や、投資リスク、そのリスクヘッジを淡々と説明しなくちゃいけなくて。自分のやりたいことを実現するためには、感情論ではなく、ロジックが重要だということを学びました。
スペースデータで、キャリアの集大成を。
──スペースデータにはどのような経緯でジョインされたんですか?
結局4年半以上パランティアに在籍していたのですが、パランティアという会社が日本支社を含めてかなり成熟してきたこともあり、新しいことを学ぶ機会がだんだん減ってきてしまったことが転職活動のきっかけです。もともとずっとIT企業にいるというよりは、最終的には事業会社など現場がある会社に入りたいと思っていました。一方で、昔から興味があった宇宙の分野への未練も捨てきれずに改めてチャレンジしたいなという思いで宇宙ベンチャーも見て回っていたんです。その中でエージェントの方からスペースデータを紹介され、それが最初の出会いでした。
──スペースデータにジョインすることになった決め手があれば教えてください。
佐藤さんとの会話が、一番大きかったですね。佐藤さんの表現って、一見抽象的な部分があるんですけど、抽象的・概念的に表現されていることの裏に、しっかりとした知識・調査・思考の積み上げを感じました。たとえば、シリコンバレーの現状や他の企業など、世の中で起きていることを把握した上で理論が組み上がってるんだな、と感じたんです。たったの1時間だったんですけど(笑)
──実際にスペースデータへジョインされた印象をおしえていただけますか?
SOMPOホールディングスのCVC時代に色々なスタートアップ企業を見てきましたが、皆さん先を見て仕事してるな、と感じました。個性が強くて(笑)、スキルや個人能力も高くて。会社が掲げているビジョンも大きいですよね。でも、それを社会に実装するには具現化する必要がある。
具現化するためには、スペースデータに在籍する優秀な方々というピースを、ちゃんとパズルに当てはめて、実装していく必要があると思うんです。技術面もそうですし、事業開発もそう。それらをきちんと価値に変えていくのが、自分に課せられたミッションなのかな、と改めて感じました。
──入社後に感じたギャップはありますか?
それが、意外とないんですよ(笑)。嬉しいことに、思っていた以上に自由にやらせてもらっています。自分自身のミッションがはっきり決められているわけじゃないし、個人的にもゼロイチの方が楽ですね。
複数のプロジェクトが動いてる中で、それらをまとめてどう動かしていくか?という具現化にむけた戦略をもっと具体化して、アジャイルに進めて、修正して……という座組みを自分が中心になって推進させていきたいですね。
──今後、スペースデータで成し遂げたい目標があれば教えていただけないでしょうか。
これまでのキャリアを振り返ってみると、【防災×デジタル技術】という結局自分がやりたかったことの集大成が、ぐるっと回って、スペースデータが作ろうとしている先にあると思っています。まずはそれを実現したいですね。
その上で、宇宙とか、月とか、太陽系とか……まだ誰も取り組んでいない領域に挑戦したいと思っています。
──最後に、この記事を読んでいる方に一言お願いします。
これまで他業界にいた方でも、宇宙業界経験者ではなくても、これまでに培った経験を生かせる方は多いと思います。
それが、技術面なのか?ビジネス面なのか?技術面とビジネス面の両面なのか?という強みは人によって異なると思いますが、『自分の経験を活かしたい』と考えたり悩んだりしている方に飛び込んできてほしいですね。
──本日はありがとうございました!