日本に来て一年半が経ちました。
ここで生活し、起業し、ビジネスを進める中で、最も強く感じたことがあります。
それは「秩序」です。
銀行も予約。
税理士も予約。
取引先との面談も予約。
会議は時間通りに始まり、
資料は整い、
議論は丁寧で、
プロセスは明確です。
すべてが整っている。
正直に言えば、その整然さに安心感すら覚えました。
そして会議の最後は、ほぼ必ずこう締めくくられます。
「一度、上に確認します。」
その言葉は間違っていません。
慎重で、誠実で、責任感のある姿勢です。
しかし、慣れていくうちに、ある違和感が残るようになりました。
すべてが秩序の中にあるのに、
どこか、最後の決断の重みが見えにくい。
1.ある小さな違和感
もう一つ、印象に残っていることがあります。
多くの企業が「共用メールアドレス」を使っています。
しかし、メールの署名は個人名です。
表面上は個人が対応している。
しかし実際には、組織としての返信。
個人が前に立ち、
責任は構造の中にある。
これは批判ではありません。
合理的な設計です。
しかし、ふと考えてしまうのです。
最終的に「これは自分の判断だ」と言えるのは、誰なのか。
2.昭和の経営と、私たちが学んだ日本
中国で経営を学んでいた頃、
私は日本の経営者の本を多く読みました。
稲盛和夫、松下幸之助。
そこにあったのは、
・経営者が腹をくくること
・最後は自分が責任を取ること
・「人として何が正しいか」で判断すること
昭和の日本企業には、
明確な決断者がいました。
「これは自分の決断だ」と言える人がいた。
しかし、それは文化の本質というより、
当時の環境が作った構造だったのだと思います。
戦後復興。
資源制約。
国際競争。
高度成長。
待つ余裕はなかった。
決めるしかなかった。
引き受けるしかなかった。
環境が、責任構造を作っていた。
3.平成以降の変化
バブル崩壊以降、
日本は長い低成長期に入りました。
一度の失敗が致命傷になり得る。
コンプライアンスは強化される。
社会の許容度は下がる。
その結果、組織は進化しました。
・稟議の強化
・合意形成の重視
・前例確認
・リスク最小化
これは退化ではありません。
合理的な適応です。
しかしその副作用として、
責任は個人から構造へと吸収されやすくなりました。
成功は組織の成果。
失敗はプロセスの問題。
個人は安全圏に残る。
4.そこにAIが加わる
そして今、AIという新しい外部要因が加わりました。
データ。
予測。
最適化。
モデル出力。
会議の中で、こうした言葉が増えています。
「データではこうなっています。」
「AIの予測では…」
「モデル上はリスクが高いです。」
AIは強力です。
私自身も活用しています。
しかし、AIは責任を取りません。
「AIがそう言ったから」という言葉は、
判断をさらに構造へと移します。
それは合理的に見えます。
安全にも見えます。
しかし、責任の所在はさらに曖昧になります。
5.ハイエクの警告
ハイエクは言いました。
社会の知識は分散している。
誰も全体を完全に把握できない。
それでも中央が「最適解」を設計しようとすると、
リスクは集中する。
今日のAIは、
新しい中央最適化装置になり得ます。
合理的で、冷静で、効率的。
しかし、合理性は責任を取らない。
6.天国のアルゴリズム
人口減少。
経済停滞。
技術加速。
不安が強まると、人は確実な答えを求めます。
明確な方向。
安全な最適解。
リスクの少ない判断。
アルゴリズムは、その欲求に応えます。
しかし、複雑社会に単一の最適解は存在しません。
地獄への道は、
常に「天国」と書かれている。
7.最後に
予約は必要です。
稟議も必要です。
AIも必要です。
共用メールも合理的です。
しかし最後に、
誰が立つのか。
「これは自分の判断だ」と言える人がいなければ、
組織は主体を失います。
AIは人を淘汰しません。
責任の所在を曖昧にし続ける構造が、
静かに競争力を失っていく。
それが、日本で一年半働いて感じた、私の率直な観察です。