地方放送局での営業、PR会社での代理店としての動き、事業会社の広報とさまざまな経験を経て、スマートドライブの広報担当を2020年4月から担っている佐藤。幼少期のエピソードから、BtoBの広報として大切にしていることなど話を聞きました。
あんこ屋の次男として育った幼少期
– まず、自己紹介からお願いできますか?
スマートドライブで広報をしている佐藤です。私は、典型的な地方都市である福島県郡山市で生まれ育ちました。実家があんこ屋を代々の家業としていまして、中学校時代には「ぼっちゃん」と呼んでくれる同級生もいました(笑)ちなみに、あんこ屋なのであずきを毎日のように炊くのですが、その熱を創出するボイラー装置を使って「常盤湯」という銭湯も経営していたことがあります。
– あずきを炊く熱で銭湯ですか!?
家庭でのお風呂が普通になってきて、最後の方はぜんぜん儲かってなかったと思いますけど、いま考えると凄いコージェネレーションシステムですよね。番台に座ってた祖母の偉大さに気が付いたのはだいぶ後になってからでした。銭湯をやっていた小学校3年生まで、ほとんど家のお風呂に入ったことがなかったです。その影響もあってか、今でも銭湯やサウナは大好きです。
– あんこ屋が銭湯も経営するのは一般的なのですか?
珍しいと思いますけどね。あずきが先だったのか、銭湯が先だったのかはわからないですし、誰の発想なのかはわからないですが、、、。そんな恵まれた環境で、高校までサッカーをやらせてもらって、大自然を満喫して、伸び伸びと福島で育ちました。
放送局の経験を活かして広報パーソンへ
– 社会人になってからの経歴について伺えますか?
新卒で仙台の放送局(ラジオ/テレビ兼営)に入社しました。花形である記者や番組制作のディレクターになる気マンマンだったのですが、「キャラクター的に営業でしょ」ということで、営業としてCM枠を売る仕事に携わっていました。初めは若干腐りかけてましたが、今となっては在籍2年弱でしたけど、本当に貴重な経験を積ませていただいたとと思っています。テレビ・ラジオの「中の人」の気持ちが少しでも分かることが広報パーソンとしては非常に重要と思っているのですが、近くでそれに触れられたのは今思うと本当にラッキーだったと思います。
– 仙台では、どういった企業がCM流すのですか?
地銀や家電量販店、地元の牛タン屋さん、パチンコ屋さんなどですね。石巻や気仙沼などの水産関連企業が作っている缶詰のCMなど地域色豊かなCMが流れてました。いまでも地方に行くと必ずテレビ・ラジオをつけてCMをチェックしています。ラジオCMは特に地方色が出ているのでおススメです。
新卒で放送業界のお作法は分からないし、苗字が東北地方には特に多い「佐藤」ということもあり、あんまり覚えてもらえず、、、とにかく足繁く通って、やっとのこと受注して、、、っていうかなり泥臭いこともやりました。賛否ありますが、飲みニケーションの有効性だったり、人間関係の構築の重要性をこのタイミングで学んだ気がします。ただ、CMを流してもなかなか効果が出ないことも多くて。CMの効果がないと、当然ながらお客様から「CM流しても効果出ないじゃないか?」と怒られてしまうことも結構ありました。自分の力不足もありましたけど、15秒CMを流すことで何を望むのか、今の言葉でいうと「期待値コントロール」ができてなかったと思います。
CM効果のリカバリーを図るため、「社内の売りこみを頑張ります!」と、番組の中で取り上げられる試みをやるようになりました。実際に番組内で紹介されると、当然ではありますが、効果は絶大で、お客様が喜ぶといことがわかってきました。
そうした時に先輩から「お前はPR会社の社員か!」と言われまして、その時に世の中にPRを専門にした会社が存在していることを初めて知りました。新卒の就職活動の時は、新聞・テレビといったマスコミ一辺倒で、広告代理店やPR会社に就職することはまったく考えてませんでした。
PR会社をインターネットで調べたら「ベクトル」という会社を見つけまして、2年ほど務めた放送局からベクトルに転職しました。開局50年の老舗放送局から新進気鋭のPR会社へ。今思うと、自分も若くて、だいぶ勢いがあったと思いますね。当時は珍しがられたというか、「えっ?もったいなくない?」っていう反応が多かった気がします
– 今や一部上場しているベクトルですが、当時は社員数はどのくらいだったのでしょう?
私が入社した時は、まだ30人くらいだったんじゃないでしょうか。ある程度の大きさのPR会社は、メディアにアプローチする業務と、クライアントを担当する業務と分かれるのが普通なのですが、当時は人があまりいなかったので、クライアントの要望を直接吸い上げて、メディアへのアプローチも自分で担当することができるフェーズでした。畑違いの放送局から移ってきて、直接クライアントに接して、新聞・雑誌・ウェブにも直接関わられるのは、本当に面白かったですね。
若輩ながら大手家電メーカーなどを担当させてもらって、実機をお借りして、DIMEや日経トレンディに直接持って行って、記者や編集に売り込みをしてました。実際にメディア取り上げてもらえると、売り上げが伸びて、クライアントにも喜んでいただいて、、、、PRって凄い!と実感する日々を過ごしました。
ベクトルで馬車馬のように2年間働いて、「これからのPRパーソンは英語が必要だ!」ということで、ハワイに遊学に行きました(笑)。英語力がどうなったかについては… 聞かないでください!
広報として経験した、リーマンショックの衝撃
– ハワイいいですね!帰国されてからは?
ハワイから帰ってきてからは、外資系のAIGという保険会社で広報として入社しました。金融担当の記者や業界紙の方々に、グループ各社の会社についてや、保険商品の情報をお伝えするメディアリレーションズの仕事がメインでした。
– ベクトルでは代理店として働いていましたが、AIGという事業会社で働くのは全然違いますか?
代理店として第三者として外部から関わるより、社内にいる方が物事の調整がしやすいですし、メディアに対しても責任と自信を持って話せるので、仕事の進めやすさは全然違うと思いましたね。
逆に大変な時もあって、、、2008年のリーマンショックの時は、AIGの株価が1ドルになって、ニューヨークの本社の破綻報道が出るようなこともありました。時差もあって、日本の広報として、情報があまりないなかで電話対応などをしないといけなかったので、家に帰れず泊まり込みもしていました。いまだにReutersの記事も残ってます。
本社との連絡や、社内・グループ各社との調整、そして大量の記事のクリッピング、夜中に鳴る記者さんからの電話、、、必死過ぎて、あんまり記憶にないです。寝言で「すみません、分かりません。お答えできません。」と言っていたこともあるそうです(笑)
– 過酷な状況だったんですね。
保険会社が破綻して自分の保障内容が変更になるかもと心配したお客様がインターネット等でお問い合わせ窓口などを探して、本当は鳴らない私のデスクの電話が鳴ることもありました。メディア対応をしなくてはならないのに、時にお客様からの電話に出てしまったり、そうこうしているうちにメディアの方から電話も来て、気が付くとデスクには「折り返しお願いします」と書かれたピンクのメモが20枚くらい置かれていました。その光景は今でも夢に見ます。結構な恐怖体験です。電話を受話器に置いた瞬間に、電話が鳴る…。まさに「危機管理広報」という状況でしたね。
– AIGを退職したのはリーマンショックがきっかけですか?
いえ、リーマンショックは2008年で、リーマンショックの影響からほぼ抜け出した状態に戻るまでいました。2011年の東日本大震災も経て、世界的なスポーツチーム(マンチェスターユナイテッド・オールブラックス)のスポンサーシップに関連する活動にも携わらせてもらって、「広報のお仕事」としてカテゴリーされる業務は、危機対応も含めてだいたいやり尽くしたなと。2017年にウェルスナビとご縁があって、転職しました。
– ウェルスナビに入社した時、広報は何人くらいいたのでしょうか?
入社時に広報はだれもいなくて、1人目の広報でした。経験はありましたが、まっさらなゼロベースの広報担当はなかなか大変でした。記者の方の認知・理解が進まないと、メディアで取り上げられることはないので、記者クラブに通いご挨拶・ご紹介させてもらうのはかなりやりましたね。靴の消耗は早かったです。
記者の認知・理解が進んで、記事が出て、ユーザーが増えて、、、会社が成長するのに関われたので、確実に経験値は上がった気はします。退職時は私も含めてPRチームは3名体制になりました。
移動データの活用は様々な業界で利活用される
– スタートアップのフィンテック企業であるウェルスナビからスマートドライブに転職したのはなぜでしょうか?
ウェルスナビではちょうど3年ほど働いていたのですが、チームもできて、年齢のことをいうのもアレなんですが、40才を越えて金融業界が長くなってきたなと、違う業界で挑戦してもいいかな、と思うようになりました。そんなタイミングで「1度会社に遊びにおいでよ」と声をかけてもらい、遊びにというか話を聞きに行きまして、事業内容を聞いたら「めちゃくちゃ面白い」と強く感じました。広報的にもやれることが沢山あって、この会社に貢献できるのではないかと思って転職を決めました。
– 入社前に「やれることが沢山ある」と思ったとのことですが、例えばどういったことをやれると思ったのですか?
移動データの活用はこれから広がりを見せる領域だと思いましたし、記者・メディアの認知・理解もそこまで進んでいなそうと感じました。さらに、金融だと、金融系のメディアをメインにアプローチするのですが、移動に関わらない業界はほぼないので、アプローチするメディアにも際限がないんですよね。スマートドライブはオープンプラットフォームを標榜していて、多種多様な企業とアライアンスを組んで「移動の進化を後押しする」。様々な業界のメディアにもアプローチできるなと。それは今も本当にそう思います。具体的に言うと、金融だと日銀記者クラブと兜記者クラブに出入りするくらいでしたが、スマートドライブだと、経産省や国交省、自動車産業記者会などに出入りもしますし、そこにひもづく業界紙/業界誌紙さんとのお付き合いもかなり幅広いです。
– 実際に働いてみてどうでしょうか?
私が入社する前には想定していなかったほどいろんな業種業態のお客様が沢山います。まさか介護業界でも使っていただいているとは想像していなかったし、車社会である地方にもお客様が沢山いらっしゃいます。もともとが地方出身の自分としては、サービスを実際に使っていただいている姿を想像しつつ、地方の方々の課題解決にも役立っていると実感できるのは本当にやりがいを感じますね。
– 広報の仕事をする上で大事にしていることついて教えてください。
スタートアップ企業に関して言うと、知られないと存在していない同じと思っています。まずは色々な人に知ってもらうということが重要で、積極的に広報活動をして、まずは記者・メディアの認知・理解をえる必要があると思います。ただ、記者・メディアの方とコミュニケーションをする際には、話を盛りたくなる気持ちを抑えて、独りよがりにならず、業界での位置づけなどをしっかり頭に入れて、事実ベースで価値を理解していただくということを心がけています。
お客様もメディアに取り上げてもらえるようにしたい!
– 「価値を理解していただく」にはどうやって伝えているのですか?
やっぱり事例が一番わかりやすいと思います。どういったお客様に対して、どうスマートドライブが役立っているのか、というところですね。私が向き合うのはメディアの方になりますが、メディアの向こう側にいる読者の方々にたいして、どう伝わるのか?という点も考慮しながら、メディアの方々に対して情報を提供するようにします。
たとえば、弊社のお客様の事例を廃棄物業界の業界紙に掲載できたとして、その新聞を読んでいる読者の方々が、記事を読んで「役立つ情報だな」として受け取ってもらえるようにしたいと思っています。なので、メディアの特性だけでなく、メディアの読者や視聴者がどういった方々なのか、というところも把握したうえで、メディアリレーションを行っています。
– スマートドライブで働いていて面白いポイントはどこでしょうか?
先ほどもお伝えした、色々なメディアにアプローチしていけるというのは面白いですね。パートナー企業との連携も増えてきていますし、それに合わせてさらにいろんなメディアにアプローチできると思うとワクワクします。
広報としてしっかりと仕事をして、メディアに取り上げてもらうことができて、それを見た方が次のお客様になって、新しい事例になる。広報として新しいビジネスチャンスを創出するキッカケを作って、チームだけでなく会社の成長にも役立ってると実感できるのは楽しいなと思います。
– 今後取り組んでいきたいことはありますか?
自分はすごいラッキーな人間だと思っていて、いろんな失敗を重ねつつも15年以上広報を続けてこられています。スマートドライブについてはもちろんですが、頑張って事業に取り組まれているスマートドライブのお客様が何かしらの形でメディアに取り上げられるようなサポートもできたらなと思っています。CSチームの顧客サポートに加えて、広報からもお客様をしっかりとフォローして「スマートドライブと一緒に仕事できてよかった」と思っていただけるようにしたいですね。