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こんにちは。Smappa!Groupにインターンに来ているSです🎈
本日もアートに関する情報を発信していきます。
「オカルティック・ヨ・ソイ」オル太・原田裕規
会期:2021年10月29日(金)~12月12日(日)
会場:デカメロン
開廊時間:16:00-02:00(土 13:00-02:00、日 13:00-20:00)
休館日:月
※臨時閉廊の可能性あり。最新情報は公式Twitterにて要確認。
観覧料:500円
私の前で織りなされる忘れたくない光景を私はいつまでこの映像内に映し出される写真のように記憶を掘り起こしその瞬間の情景に想いを馳せることができるのか。
作品の中で用いられた写真のようにいつか記憶の中からゴミ箱に放り出され灰になってしまうようにおぼろげになり気づいた時にはその場から消えてしまうのか。
写真はいつか忘れてしまう私の記録や感情を焼き付けるものだと思ったのは高校生の頃だった。
写真にとれば何年かたったとしても写真を見れば当時の記憶を色鮮やかに思い出すことができ、忘れたくないと思った今この瞬間を永遠にすることができる。
記憶をなるべく刻みこみ忘れたくないと思う反面私はその時属する集団、例えば高校であればそこでの友人関係、大学であればそこでの友人関係があればいいと思う節があり時折過去の関係についてついて蔑ろになってしまう時期が定期的に来る。
その時することはもう連絡を取らない人たちの連絡先や画像の消去だ。
現在続いている友人との写真も過去のものであれば最低限のものを残し消してしまう。
写真が紙ではなくデータとして存在するようになりその記憶は永遠のように思われたが一度画像のデータを消してしまえば二度とその画像をみることも復元することもできないだろう。
「One Million Seeings」内にあるように捨てたはずの記憶を再び誰かが拾うことはなく誰にも見つけ出されることなく忘れ去られてしまう。
どうせこれから先も不定期に会うだろう。と思っていた友人の画像をその時喫茶店で食べたチーズケーキの画像を残しそれ以外すべて消去した。
会ったのがおおよそ四年前、写真を消去したのが三年前になる。
それからその友人とは会っていない。その友人とは私含めた四人で当時よく遊んでいた。
そのうちのひとりから友人とはもう会えないらしいということを聞いた。
その言葉を私は半分信じ、半分信じていない。
それでも、もし本当だとするならあの時写真を消してしまったことを酷く後悔した。
私の中にいるまだ灰になっていない友人はいつか灰になってしまうのだろうか。
それとも当時のグループのメンバーと友人のことを話すことによって作品の中の写真のように反芻し色あせることなく点と点が繋がり線になる様により強くその場にとどまり続けてくれるのだろうか。
それとも映像内の写真のように思い出し続けていくうちに次から次へと出てくる記憶に塗り替えられ朧げになってっしまうのだろうか。
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