自己紹介
藤本 実希(28歳、愛称:ミキティ)
趣味はストリートダンスと海外旅行(学生時代の呼称:病弱HIPHOPER)
ニューヨークやタンザニアで現地のスクールに通い、言葉によらないダンスを通じた異文化交流を経験。
経歴
香川県の小豆島出身。
広島大学生物生産学部卒業。
大学院在学中に公務員試験に合格し、中退。
香川県庁入庁。3年9ヶ月、農業・漁業の支援を担当。
現在、NexSeedにてCEOのアシスタントを担当。
県庁を辞め、海外を選んだ理由
楽な人生ではなく、あきらめることのない、自分らしい楽しい人生を送りたいと思った。
この記事を読んでくださっている多くの方が、何で安定した公務員を辞めてベンチャー企業に!?しかも、海外に!?と思われているかと思います.。公務員でいれば、安定した給料とボーナスをもらうことができ、結婚して子供が生まれれば2年くらい育児休暇をとって、職場復帰し、マイホーム建てて定年まで働くことができます。恐らく、多くの人が描く幸せ像ではないかと思います。確かに、私自身もこう言う人生を歩んで行くのだなと思っていました。1年前半までは(笑)。
そもそも私が公務員になろうと思ったのは、大学4年生のときでした。大学に入った時の私は、食べる物で病気を防ぐ予防医学に興味があり、企業で食品の研究をすることが夢でした。
しかし、実際に企業で研究職として働く先輩たちの中には、日々の成果を求めれることにとても疲弊し、心が病んでしまった人たちも多くいて、こうなりたいと思う姿がそこにはありませんでした。そんな時、先輩から、企業ではなく公務員でも研究はできると教えてもらい、調べているうちに、企業の利益より社会貢献できる仕事がしたい、食品というより食に関係のある仕事を私はしたいのだと思い、試験を受けることに決めました。その当時の私にとって、仕事を選ぶ最重要ポイントが、仕事を続けられることでした。
そんな訳で地元香川県で公務員として働き始め、農業者や漁業者を支援する仕事をし始めました。生産者の役に立てたと思う瞬間はとてもやりがいのある仕事でした。しかし、大きい組織の中では新しいことを始めることは難しく、次第に、残業してまで一生懸命やってるけど、でもそのことで漁業者や農業者は何か良い方向に変わったのだろうかと悶々と疑問に思う日々が続きました。
そんな時、突然、高校時代の友人の訃報がありました。遠方であったため、頻繁に会っていた訳ではないのですが、半年前までは元気だった彼女の死に深く考えさせられました。
私は安定した生活を選んだけれど、それは何かをあきらめてないかな。人生がそう長くないと分かったら、同じ選択するかな。安定した選択にどこか自分らしさがない。違うと思うなら行動する、そういう人間ではなかっただろうか。
そこから、私は色んな人に会い、自分が今後どんな人生を歩いて行きたいか、それからどんなことがしたいかを必死で行動し、答えを見つけました。今、私には、海外と日本を繋ぎ、日本を、昔のように近所の人がお互い助け合うような友愛の国にしたいという夢があります。それを実現させるために具体的にどうするかはまだ見つかっていません。だから、その一歩として海外に出てみよう、外から日本を見てみようと思いました。
決断してから
「決断」って言葉は、「決めて断つ」と書く。つまり、腹に決めてもう迷わないこと。
私が、今後の進路について迷っていたとき、ある人にこう言われました。私にはずっとこれがなかったんですね。「もっと別にいい道があるんではないか」とか「失敗しないためにはどっちの道がいいのか」とか考えて、今日はこっちに決めたと思っても、次の朝にはやっぱりもう一方に気持ちが傾く。この繰り返しで日々を過ごしていました。
しかし、前述の言葉を言われたとき、決めるのは他でもない自分だと、道を「決断」し、迷うの辞めました。そう、腹をくくったのです!
そこからは、周りの多くの人に、「辞めるなんてもったいない」と言われましたが、全く意に介さず。そんな中にも、「めっちゃいいやん」と背中を押してくれたり、セブ島での知り合いを紹介してくれる人がいて、本当にありがたかったです。応援してくれる人たちにいつか何かの形で恩返しできるよう胸を張って会えるよう頑張ろうと決意を新たにしました。
実際海外に出てみて感じること
日本はすごい。でも、海外から学ぶべきこともある。
私はこれまでに、バックパッカーでの貧乏旅行、短期の語学留学やボランティア活動など、様々な形で海外に出てきましたが、「働く」と言うのは初めての経験。働いたり生活してみてまだ間もないですが、改めて日本人は働き者で、先人たちがしっかり働いてきたから今日の日本があるのだと、安全で生きていくのに困らないすごい国だなと感じています。
一方で、フィリピン人のスタッフからこう言われました。「日本人は働きすぎ。仕事も楽しむ。でもプライベートも人生楽しまなきゃ。」そういう彼女たちは、時には歌を口ずさみながら仕事をし、アフターファイブに本当に楽しそうに出ていきます。
また、フィリピンは女性がしっかり働いている国です。ワークシェアという考え方がしっかりしていて、子供をベビーシッターさんに預けたり、家族で子供を看れる人が看るということを当たり前にしています。日本でも女性の働き方の参考になるのではと思います。
なぜネクシードを選んだのか
私がネクシードを選んだ理由は3つ。
まず、ゼロから何かを作り上げていくことができること。
私は、前職で大きい組織にいたので、何もないゼロの状態から何かを作り上げていくことをしたことがありませんでした。しかし、ずっと自分の成長には必要なことだと感じていました。フィリピンという日本とは違う土地にあるかつベンチャーのネクシードだから、自分の成長と共に会社を成長させることができると思いました。
次に、個人の夢を応援してくれる環境であること。
ネクシードのメンバーはそれぞれ将来について夢を持っています。ネクシードに対してそれぞれ目標と情熱を持ち日々一緒に仕事しながら、一方でお互いの将来の夢も全力で応援する、この環境が素敵だと思いました。
最後に、代表高原と働きたいと思ったこと。
初めて話した時、高原から会社立ちあげのときの話を聞き、ネクシードが単なる語学学校ではなく、フィリピン人の雇用創出、それから今後の日本の労働力不足を考えている会社であることを知りました。その時、私も自分の夢について話をし、一人では何をしていいかわからないし、変えたいと思っていても難しいと言うと、高原は、「一人の力でも世界は変えられるよ」と言いました。また、社員に求めることは何かと聞くと、「社会貢献」と返ってきました。そのとき、この人の下で働きたいと確信しました。
これからネクシードでどんなことをしたい?
目下の目標は大きく分けて2つ。
1つ目は、ネクシードを国際色溢れる学校にすること。
現在は日本や台湾からの生徒さんがメインですが、他の東南アジア諸国、ヨーロッパ、アフリカや南アメリカなど様々な国から来て、それぞれが出会うことで「Inspire(インスパイア)」され、そこから新しいことが生まれる場所にしたいと思っています。そのために、新規の市場開拓に携わりたいと思っています。
2つ目は、女性がより働きやすい、学びやすい会社にすること。
前述の通り、ネクシードはフィリピン人女性スタッフが多く、働き者の女性が多い。現在のネクシードは既に働きやすい環境であると思うのですが、今後、英語講師だけではなく、エンジニア講師もフィリピン人女性エンジニアを雇用する可能性があります。また、留学してくる生徒さんの中にも子供がいる女性も多くなるかもしれません。この様な人たちが、ここならより安心して働いたり留学できる環境にして行きたいです。もちろん、日本人女性スタッフもしかり(笑)。
最後に海外就職を考えている女性へ
ロールモデルがないなら、自分がなればいい。
私は、公務員を辞めようと思うと親に伝えたとき、「公務員を途中退職するなんて心の病気になったか、悪いことしたかのどっちかに思われる、そんな人はほとんどいない。海外だと結婚は遅れる」と言われました。
確かに、公務員を辞めて転職した人は周りになかなかいないし、ネットの情報もあまりない。友人はどんどん結婚して、子供が生まれていくのに、私は逆行しようとしているのではないか。海外に行けば、結婚ができるかも分からない。そんな考えが過ぎることもありました。私と同世代の女性なら、同じことを考えるのは当然だと思います。
しかし、ロールモデルが身近にいないなら、自分がなればいいのではと、今は思っています。私は、したいことをするからといって、結婚も家族を持つこともあきらめるつもりはないですし、「元公務員」×「海外就職」という自分らしい肩書きで人生を歩もうと思っています。もしこの記事を読んでくれているあなたが、海外就職や新しい挑戦を考えているなら、一歩踏み出して、自分らしい生き方をスタートしてほしいと思います。