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皆さんこんにちは、リツアンSTC採用担当です。
本日は、弊社代表・野中の創業ストーリーをお伝えします。
「派遣会社って、正直どこも同じじゃない?」
「マージンって結局いくら引かれてるのか、よくわからない…」
「こっちの希望より“とりあえず入れる案件”を優先される」
「働いても働いても、誰にも感謝されないのがむなしい」
そんなふうに感じている方にこそ、ぜひ読んでいただきたい記事です。
株式会社リツアンSTCの代表・野中が、自身の原体験と業界への疑問から立ち上げた会社の歩みを綴っています。
立ち上げのきっかけは、「搾取の構造を壊すこと」。
私たち採用担当としても、候補者の方々にただ入社を促すのではなく、「この会社がなぜ存在しているのか」「どんな思いで続けてきたのか」をきちんと伝えたいと考えています。
派遣という働き方にモヤモヤを感じたことのある方にこそ、ぜひ一度お読みいただきたいです。
弊社代表・野中の各SNSアカウントはこちら。
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目次
親父の店は小4の時つぶれた
職を転々としていた親父
勉強はできないけど、学校は大好きだった
就職氷河期
初めて入ったのは、電話機を騙して売る会社
派遣の悪いところを全部詰めこんだ会社
派遣社員を「モノ」のように扱う
営業所長になって、マージン率を見て驚いた
月給25万、でも借金しないとやっていけなかった
100円パンを部長と半分こして食べた
会社の仕組みが、人を悪くさせていた
成績が悪いと2日間詰められる
ろくでもない業界
仕組みで、人間の弱さにブレーキをかける
口コミだけで社員1000人超え
仕組みがよければコストも抑えられる
200人の採用マンと、200人の営業マンがいる会社
派遣会社が儲けないほうが、うまくいく
エンジニアさんに褒められるのがなによりうれしい
まじめで不器用な人に、ちゃんと報われてほしい
2007年、29歳のとき、僕は「リツアン」という会社をつくりました。
エンジニア専門の技術派遣とSES。いわゆる派遣会社というやつです。
「派遣会社」と聞くと、法律スレスレの労働契約で人を搾取する……といった、ネガティブなイメージをもつ人も多いかもしれません。
僕が20代のあいだ働いていたのは、まさにそんな会社でした。
いまの会社を作ったのは、そんな昭和の派遣会社で、業界の現状を目の当たりにしたことがきっかけです。給料を不当に「ピンハネ」する仕組みにどうしても納得できず、会社を辞め、起業を決めたのです。
本当にありがたいことに、それから今まで18年間、会社を続けてこられています。
社員数は昨年、1000人を超えました。
いい節目でもあるし、会社のことをもっと発信していかなきゃなあと思っていたので、この場を借りて、いままでの道のりを振り返ってみたいと思います。
オッサンの昔話で恐縮ですが、飲みの席のおしゃべりだと思って、聞いてもらえるとうれしいです。
親父の店は小4の時つぶれた
1978年、僕は静岡の大須賀町というところに生まれました。今は合併されて、掛川市になってます。そのぐらい小さな田舎町でした。
親父とお袋はそこで、ピザとかパスタを出すレストランをやっていました。『伊太利亭』ってお店です。レストランといっても、昭和の喫茶店みたいなもんですね。
小さな店だったけど、ときどき学校の先生も食べにきたりしていて。それをコッソリ見ているときは、なんだか誇らしい気持ちでした。
しかし、小学校4年生のとき、父の店は潰れてしまいました。
今思えば、バブル真っ只中の景気がいい時代に立ち行かなくなったわけですから「親父、全然センスねえじゃん!」なんて思いますけどね。
レストランのあと、親父はハンバーガー屋をやったんです。『41(フォーティワン)』って名前でした。
そしたら、店の前を通り過ぎた高校生が「41って、サーティーワンのパクリじゃん」と言ってるのが聞こえてきて。「親父、絶対パクってんじゃん!」って思いました(笑)。
案の定、その店もすぐに畳んでしまいました。
職を転々としていた親父
料理しか知らない親父です。不器用で短気な人だったので、お店を畳んでからは、けっこう職を転々としていました。
牛乳の移動販売、トラックドライバー、工場の製造ライン……。
泊まり込みで愛知のほうに働きに行くこともあって、お袋もそれについて行っていたので、僕はひとりで家にいることも多かったです。
畳んだお店のとなりに併設された、ところどころ雨漏りしている、六畳二間の家でした。
勉強はできないけど、学校は大好きだった
決して裕福ではなかったですが、少年時代の僕はとにかく野球に夢中で、けっこう楽しく過ごしていました。
学校も大好きでした。みんなとワイワイ過ごすのが好きだったんです。
ただ、勉強はもう本当にダメでしたね。
いまだに計算も苦手だし、漢字も全然書けないんです。ちゃんと毎日授業には出ていたし、寝てもいなかったんですよ。でも、なんにも頭に入ってこないんです。どうしてなんでしょうね。
大人になってから、お医者さんから正式に、ADHDやらなんやらの診断をもらったんですよ。だから今は「そういうもんか」って割り切っています。でも当時は、そんな理解もぜんぜんありませんでしたから。
毎日楽しくはあったけど「俺はなんで、こんなに何もできないんだろうなあ」って意識は、ずっとありました。
勉強だけじゃなくて、地元のお祭りで太鼓を鳴らすのなんかも、僕だけやらせてもらえなかったんですよ。タイミングがどうしてもズレちゃうから。他の子はみんな、お立ち台の上に登ってやらせてもらってるわけですから、悲しいですよね。
就職氷河期
こんな息子でしたが、両親はなんとかお金を工面して、大学まで行かせてくれました。今でもすごく感謝しています。
ところが、入学したのはいいものの、僕は卒業論文が書けなかったんです。
先生に「もっとしっかり書け」と言われて、何回もやり直して。それで「一応、卒業はさせてあげるけど、論文はちゃんと書き上げろ」というので、卒業してからも先生の家に通って、卒論をやっていたんです。
ほとんど先生の家に住んでる感じでした。それで、やっと夏ぐらいに卒論を出して、やっと正式に卒業させてくれました。
僕は同時に2つのことをできないタイプなので、卒論をやっているあいだ、就職活動は一切していませんでした。
しかもあの当時は、就職氷河期どまんなか。みんな70社とか100社とか受けて、全落ちみたいな感じでした。きっと僕が就職活動しても、絶対受からなかったから、むしろよかったのかなと思います。
初めて入ったのは、電話機を騙して売る会社
でも、いよいようちも貧乏なので、親父とお袋も「はよ就職しろ」とブチ切れていました。それで「しょうがねえ」と思って、目についた求人に適当に応募して、会社に入ったんです。
そこは、電話機を訪問販売で売る会社でした。
どんな感じかというと……。
まず、訪問エリアの住宅街に車で連れていかれます。そこでみんな降ろされて、一斉にピンポンしてまわるんです。
電話機といっても、10万円くらいするんですよね。あの当時、業務用電話機とか、FAXとかはとても高額だった。そういうものを、お年寄りの家に行って、だまして売りさばくような会社だったんです。
100%、まごうことなきブラック企業でした。
名刺には「新〇〇電電」と書いてあって。NTT(電電公社)をパクっているんですね。ロゴマークもNTTみたいなものが載っていました。おばあちゃんとかおじいちゃんのお宅に行くと、勘違いして「いいところ就職したねー」なんて言われるんだけど、「いやいや違うんです」と思って。
「これはたぶん、人をだましてる」と思ってすぐに辞めました。3カ月もいなかったと思います。幸い、1円も売らずに辞められたので、よかったですけどね。
そこからまた求人誌を見たら、派遣会社の営業職の募集をしていて。それで、初めて派遣会社に入ったんです。
派遣の悪いところを全部詰めこんだ会社
その派遣会社が、またひどかったんですね。
ひとことで言えば、”派遣の悪いところをぜんぶ詰め込んだ”ような会社でした。
あの当時、就活せずに入れるような会社って、やっぱりみんなブラックなんですよね。一部の一流企業はしっかりしてるけど、末端のほうはどこもやばい。いわゆる”昭和臭”がすごいんです。
その派遣会社は、今はもうなくなっちゃったのですが、全体の売上で5000億円ぐらいありました。グループ会社なんて、100社以上あった。そのなかに技術派遣の会社が7社ぐらいあって、そのうちの一つが、僕が所属した会社でした。
つまり、けっこう大手だったんですね。
でも、中はもうやばいやばい。オーナー社長が、2回ぐらい警察沙汰で逮捕されたという噂もありました。派遣のやり方も、かなり悪質でした。
覚えているのが、労働局の監査が来る前日に、社員がみんな集められたことです。
本店のほうから偉い人が来て、何を説明されたかといったら「この書類は出すな、これは言うな」と。「どうやって労働局をだますか」のレクチャーを、延々とされたんです。
びっくりですよ、本当。さすがに「この会社やべえな」と思いました。
派遣社員を「モノ」のように扱う
なによりイヤだったのは、派遣社員のことを人扱いしていない雰囲気があったことです。人ではなく、商品として扱っていた。
たとえば、静岡に住んでいて家族もいるエンジニアさんを、いきなり次の週から、福岡に転勤させたりするんです。「業務命令だから」といって、断ることはできないんです。
労働条件も、ひどいものでした。
営業所長になって、マージン率を見て驚いた
入社から1年もたたないうちに、僕、営業所長になったんです。
でもそんなにすごくないんですよ。営業成績は、最初の半年間は駄目だったんですが、残りの3カ月はわりとよかったぐらい。静岡の小さな営業所で、他にやる人がいなかったんです。
で、昇進したことで、会社の数字の内訳が見られるようになったんですよね。
初めて数字の資料を見て、驚きました。当時の会社は、給料のマージンを40%~50%も取っていたんです。
そのことは当然、エンジニアの人には知らされていません。
いまだったらこれは、完全に違法なんですよね。いまは「マージン率の公開」が、派遣会社に義務づけられているので。でも、当時はそんな法律もなかった。いくらでも搾取できる状態だったんです。
月給25万、でも借金しないとやっていけなかった
じゃあ、僕ら派遣会社側の人たちは、マージンをむさぼってさぞ儲けていたんだろう、と思いますよね。
ところが、そういうわけでもなかったんです。
まず自分のことで言うと、当時は借金をしないと生活ができないぐらい、お金がありませんでした。
そもそも、求人票には「月給25万」と書いてあったんです。「25万も貰えるんだ、すげえ」って思ったので、鮮明に覚えてます。でも実際に入社したら、月給は21万に満たないぐらいでした。
会社がアパートを用意してくれて、家賃を半分負担してくれました。それでも3万ぐらいは自己負担です。四畳半のアパートで、テレビを置いて敷き布団を置いたら、ほとんど隙間がないぐらいでした。
それでも、ここまでは「まあ、しょうがないな」と思ったんですね。
ただ、働いてみるとまず、仕事で使う携帯料金は自己負担。当時の携帯料金って、今よりずっと高かったんですね。あと、エンジニアさんたちと交流するための会食代も、営業で使う車の購入費も、自己負担でした。
毎日、お客さんの工場やオフィスに外回りに行っていたのですが、「東名高速を使ってはいけない」というルールがあって。だから下道で、片道1時間半くらいかけてお客さんのところに行くんです。
それで結局、外回りが終わってオフィスに帰るころには、いつも20時を過ぎていました。
そこから、日報や請求書を書いたりして、結局早くても22時。日付を回ることもしょっちゅうでした。当然、残業代なんて出ません。
それで月給21万。アパート代を引くと14万とかそのぐらい。そこから携帯代を払って、会食代を払って、食費を払って……とやっていると、手元にはほとんど残りません。
けっきょく、武富士とかの消費者金融から、3〜40万ぐらい借金をして生活していました。
100円パンを部長と半分こして食べた
じゃあ、社員じゃなくて、もっと上の部長や子会社社長が利益をひとりじめしていたのか?
実は、そういうわけでもないんです。
いちばん覚えてるのが、当時の部長と外回り中に、コンビニに行ったときのこと。
長細いチョコレートのパンが、何本か入ってるのがあるじゃないですか。当時は7本入ってたのかな。あれを2人で1袋買ったんです。それで部長に「野中、お前は若いから、1本多めに食っていいよ」と言われて。「ありがとうございます」って。「お前、部長だろ」って思いますよね。
それが上司になにかを奢ってもらった、唯一の思い出です。
彼の給料も、そのぐらい安かったんですよね。
つまり利益をむさぼっていたのは、部長や子会社社長よりもっと上の人。オーナー社長のひとりじめだったんです。
会社の仕組みが、人を悪くさせていた
僕が接していた範囲の話ですが、派遣会社にいた人たち自体は、根っからの悪人というわけじゃなかったんですよね。
営業所長になって、マージン率を知った僕は、もちろん上司に交渉しに行きました。
「エンジニアさんの給料、もうちょっと上げられないんですか」「あのエンジニアさん、いまご家庭がこういう状況で。マージンを少し下げてあげれば、ご家族も助かるんです。なんとかなりませんか」と。
でも「気持ちはわかるけど、無理だね」という感じなんですよね。
なぜなら、その上司にも上司がいて、その上司にもまた、さらに上の人がいるわけです。みんな監視されてるから、勝手にマージン率を下げることはできないし、誰もうんと言えない。
1人1人の部長さんや、役員の人たちというのは、そんなに悪い人じゃないと、個人的には思っていました。性格が悪いわけじゃないんです。非情でもない。飲みに行ったりもしていましたから。
構造が悪いんですよね、本当に。
構造が人を悪くしていたと思います。
1人1人は悪くないんだけれども、会社の仕組みとしてそうなっちゃってる。
「なんかおかしいよな」と、みんな思っていたはずです。でも、静岡営業所の上司の上には、東海地区のエリア長がいて、その上にまた部長がいて、社長がいる。部長は社長から怒られるし、エリア長は部長から怒られるし、営業所長はエリア長から怒られる。
みんな思考停止して、誰も搾取をやめられなくて、エンジニアさんが犠牲になってしまう。そういう構造になっていたんですね。
成績が悪いと2日間詰められる
「これ、トップが変わらないと、どうにもならないな」と思いました。
会社のいちばんトップであるオーナー。その人の姿を見るのは、半期に一回の営業会議のときでした。
全国から営業マンが集まってくるんです。それで、成績が悪い人から前に並ばされて、机に座らされる。会議は2日間やるのですが、最前列の5人は、1日中ずっと詰められるんです。ずっと説教。
で、突然オーナーが入ってきて「ここからここまで、クビ!」と言ってクビになったりするんです。
組織ってやっぱり怖いなと思います。雰囲気に流されて、誰も何も言えない空間になっちゃうと、どんどん腐っていくんですよね。
ろくでもない業界
4年ぐらいで「さすがにもう働けないな」と思いました。この会社で自分が働けば働くほど、世の中に不幸な人が増えていく気がしていました。
それで独立して、リツアンという会社をつくったんです。
こんな経緯なものですから、今も基本的に「ろくでもねえな、この業界」と思っています。いろんなロクでもないところを見ちゃったからこそ、自分たちはそうならないように、ずっと反面教師にしてきたんです。
仕組みで、人間の弱さにブレーキをかける
リツアンをつくったとき、真っ先に決めたのは「マージン率をすべてオープンにする」ということでした。
売上や利益が大きくなるにつれ、やっぱりみんな爪を伸ばして、欲を出してくる。僕も人間だから欲はあります。状況によって、いつそんなふうになっちゃうかわからないわけです。
だから仕組みによって、そもそも搾取構造を作ることを不可能にしたんです。
マージン率も、会社の利益も、ぜんぶオープンにする。社員がいつでも見られるようにする。そうすれば、少しでもおかしなところはすぐに指摘してもらえますし、自分自身にブレーキをかけられます。
1人1人の人間って、すごく弱いんですよね。みんなそうです。
「悪いことやってるな」ってどこかで思いながらも、周りの空気に流されちゃったたり、生活のために心を殺したりして、抜け出すことができない。そういう人をたくさん見てきました。僕も弱い人間だからわかります。
だから仕組みで、ブレーキをかけるしかない。仕組みをちゃんとするしかない。いくらきれいごとを言ったって無理なんですよね。人間、弱いから。
口コミだけで社員1000人超え
そのころの派遣会社のマージン率は、完全にブラックボックスでした。
いまでこそ法律で公開が義務づけられていますが、僕らのようにマージン率を公開している会社なんて、当時はほとんどいませんでした。
リツアンのマージン率は、立ち上げた当時から今まで変わっていません。他社が40~50%ものマージンをとっているなかで、1年目は32%、4年目以降は19%、11年目以降は社会保険料のみで、会社の利益はゼロにする。
長く勤めるほど、ちゃんと給料が上がっていく仕組みをつくりました。
だから当然、エンジニアさんのお給料は他社よりも高くなります。それが口コミで徐々に広まって、だんだん人が来てくれるようになったんです。
2007年に会社を立ち上げたときは、仲のいいエンジニアさんが10人ぐらい来てくれました。それから、徐々に徐々に大きくなっていって。
2024年に、社員1000人を超えました。
求人のための広告宣伝は、ほとんどしていません。最近ようやくウォンテッドリーをはじめたぐらいです。口コミとか紹介だけで、ここまでやってくることができました。
仕組みがよければコストも抑えられる
一般的に、派遣会社でまずコストがかかるのって、広告宣伝費なんです。
求人誌や求人サイトにガンガン広告を出すので、バカみたいにお金がかかる。
あとは、内勤社員と言われるような、営業さんや事務員さんの人件費。あとは家賃や電気水道代。いわゆる販管費というのは、そのぐらいです。
でも、いい仕組みさえあれば、このコストってかなり抑えられるんですよね。
まず、口コミで会社のことが広まれば、広告宣伝費はほぼいりません。うちの社員さんが別のエンジニアさんを紹介してくれることも多くて。いわゆるリファラル採用というやつです。
その場合はインセンティブを払っているので、そこのお金は必要ですけどね。でも「採用できたらいくら」という仕組みなので、実質的な捨て銭はないわけです。
200人の採用マンと、200人の営業マンがいる会社
さらに仕組みがよければ、内勤社員の人数も少なくてすみます。
そもそも、なぜ派遣会社が内勤社員をたくさん雇用しないといけないか?
それは、エンジニアさんから会社に対して上がってくる不平不満を、押さえつけるためだったりするんですね。
もちろん、派遣先の企業さんに対しての不満やトラブルにしっかり対応をするために、内勤の営業担当は一定、絶対に必要です。
ただ、そもそも自社に対する不満というのが、実際はかなり多いわけです。それに対応するために、たくさん営業が必要になる。だから前にいた派遣会社では、内勤社員とエンジニアさんは基本的に、ものすごく仲が悪かった。
でも、数字を全部オープンにして、給料も高ければ、会社へのクレームが大量に上がってくることはありません。
だから、内勤社員を過剰に採用する必要もない。そのぶん、経費を抑えられます。
あとは別に、六本木の綺麗なビルにオフィスを構えたりする必要もない。興味ないので、その経費もいりません。よけいなお金を使わないので、そのぶんエンジニアさんのお給料に還元できます。
そうするとさらに待遇がよくなって、口コミで人が来てくれて……。
いいサイクルが勝手に回り始めるんですよね。
エンジニアさんたちって、横のつながりがすごくあるので。1000人も社員がいたら、そのうち2割ぐらいは積極的にリファラルをやってくれる。つまり、採用担当が200人いるようなものなんです。
あと、エンジニアさんが、お客さんになりそうな会社を紹介してくれたりもします。つまり、営業担当も200人ぐらいいるわけですよね。
そうすると、組織としてすごく強い状態に、自然となっているわけです。200人の採用マンと、200人の営業マンがいる派遣会社って、そうそうありませんから。
派遣会社が儲けないほうが、うまくいく
「そんなに都合よくうまくいくわけない」「なにか裏があるんじゃないの?」と思う人も、もしかしたらいるかもしれません。
でも、実はとても単純な話で、派遣会社というのは「儲けすぎない」ほうがうまくいくんですよね。
僕はずっと営業をやっていたので、エンジニアさんが求めていることも、お客さんが求めていることも、肌の感覚でわかっていました。
エンジニアさんはもちろん、なるべくいい条件で、いい環境で働きたい。
そして、派遣先のお客さんは、エンジニアさんがモチベーション高く頑張ってくれるのが、いちばんうれしいわけです。派遣料金の支払い先はたしかに「派遣会社」
ですが、ぶっちゃけお客さんにとっては、派遣会社なんて関係ない。
本質的には、彼らは派遣会社にお金を払っているわけじゃなくて「目の前のエンジニアさんの働き」に対して、お金を払っているわけですから。
マージンを公開して、搾取構造をなくして、給与形態もすべてオープンにすれば、エンジニアさんは気持ちよく働けますよね。
逆に、がんばっても搾取されるせいで、全然お給料が上がらない。将来の見通しも立たないような環境だと、モチベーションが上がるはずもありません。
当たり前の話です。
だから企業さんも「だったらリツアンのエンジニアさんがいいね」と言って取引してくれる。そうやってだんだん、取引先も増えていきました。
エンジニアさんも、取引先も、どちらもうれしい。
だから人が集まってきてくれて、僕らの経営もちゃんと成り立つ。
こうやって「三方よし」の仕組みができていれば、無理に宣伝したり搾取したりしなくても、自然と勝てる状態になるんです。
エンジニアさんに褒められるのがなによりうれしい
リツアンを立ち上げて、いちばんよかったのは、エンジニアさんに褒めてもらえるようになったことです。
以前は、いつも怒られていました。いいことをしていなかったから、当然です。自分の仕事が誰かを不幸にしている、世の中を悪くしている感じがしていました。
でも今は「ありがとうね」と言ってもらえる。
それがなによりも嬉しくて。「もっと褒められるためにはどうしたらいいかな?」と、いつも考えているんです。
まじめで不器用な人に、ちゃんと報われてほしい
これまで、たくさんのエンジニアさんたちと接してきて、思っていることがあります。
それは、彼らがとてもまじめで、どこか不器用な人が多いということ。
技術もあるし、経験も積んできて、本当はもっといい待遇を受けられる。それなのに「いやいや、自分なんて……」と、一歩引いてしまっていたりする。
そういう人に会うと、なんとなく、自分の親父を思い出すんです。
親父も、すごく不器用な人でした。転職するとき、なぜかいつも、今いる場所よりも悪いところに行こうとするんですよ。コンプレックスとか、自信のなさゆえだったのかなと思います。「もっといいところにすればいいじゃん」と言っても、聞かないんです。
そういうちょっと弱い部分も含めて、僕は親父のことが好きでした。
でも、この社会って悲しいことに、まじめに頑張っていれば100%報われるようにはできていないですよね。人を搾取したり、悪い状態にする構造というのは、やっぱり存在します。
だから僕は、まじめに頑張っている人が、ちゃんと正当に報われるような仕組みをつくりました。社員がちゃんとご飯を食べられて、将来に希望をもって生きていけるようにする。それが僕たちの、派遣会社のやるべき仕事だと思っています。
リツアンには今、1000人を超える社員がいます。
その全員が、ちゃんといい人生を送れるように、僕は会社を続けていきたいです。
そのためには、僕らにもまだまだ至らない部分、変わらなきゃいけない部分はたくさんあります。時代が変化していくなかで、社員から求められるものも変わっていきます。そこにきちんと向き合い続けて、もっともっと、いい会社にしていきたいなと思っています。