2017年に創業してからもうすぐ2年。「時間をふやす」をビジョンに掲げ、これまでさまざまな事業を立ち上げてきたoverflowの3人に、起業の経緯からミッションの意図までを赤裸々にインタビューしてきました。今回は、前編と後編に分けてお伝えしていきます。
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写真右:鈴木 裕斗(代表取締役 CEO)
写真左:田中 慎(代表取締役 CPO)
写真中央:大谷 旅人(共同創業者 CTO)
ーoverflowの設立前から、鈴木さんや田中さんで会社立ち上げの話をされていたそうですが、お二人はどういった関係だったのですか?
鈴木)僕と田中の出会いは、サイバーエージェントでサービスを開発しているときなので、2012年とかそれくらいからの付き合いだったと思います。出会ったときからなんというか、人としての波長というかリズムが合っている感じがしていましたね。
当時は、僕らのチームでコミュニティサービスをやっているときで、チームの中では僕がプロダクトオーナー、田中がフロントエンドエンジニアでした。
そこから7年くらいちょこちょこ会ったりして、なんやかんや一緒の時間が多い間柄でしたね。
田中)とは話のウマがあって、仕事だけではなくプライベートに関しても、一番話せる仲だった。平日はラーメン、金曜は焼肉に連れ回して太らせましたね笑
田中渋谷の道玄坂上にある「俺塩」というラーメン屋にかなりの頻度で行ってて、10キロは太りましたね!
鈴木)そうそう、爆太りさせました。笑
昼はガリガリ仕事するけど、夜は楽しくご飯を食べる。価値観やリズムが合っていた感じがします。僕が退職したあとも定期的にご飯を食べに行ったり、2人で旅行したりしていました。
2人でシリコンバレーに行ったときの写真
そのあたりから、田中と一緒に会社をやりたいなと思うようになりました。
強み・弱み、スキルセットなどは正反対でありながらも、世界の未来はこうあるべき、という軸となる価値観が一致しているなぁ、と。
一緒に会社を起こすというのはあまりに自然すぎて、具体的なきっかけは思い出せないぐらいです。
ー2017年は、田中さんによっても会社設立の良いタイミングだったんですか?
田中)そうですね。僕は親父が会社を経営していたので、「いずれ起業するだろう」というのは15〜16歳くらいの時から頭の中にありました。建設会社でしがらみが多そうだったので継がなかったのですが、自分の中ではある程度計画して、色々積み上げて来たつもりでした。
新卒では、受託制作・メディア事業を行なっている会社に入社し、ウェブデザイン・マークアップ・ディレクター・営業など、色々やってきました。
1年半くらいして、自社メディアや高利益率事業のノウハウを知りたい・エンジニアとしてのスキルを上げたいと思って、サイバーエージェントに転職しました。
転職して、自社メディア・サービスの開発や運用・ビジネスの作り方やサイバーエージェントの会社の文化の面白さ・文化構築の仕方というのも段々と分かってきて、両社で色々学べたことにすごく感謝しています。
エンジニアとして働きながら、副業で自分の力を試すためにメディアを作りはじめて、2年か3年ほどした時に、「起業」は頭のどこかにあって。あとは「タイミング」と「人」だと思うようになっていました。
鈴木はそもそも人として信用できるし、裏も表もない。
自分でやるなら、「人」はまず大事だと常に思っていて。鈴木はすごいケチなんですよ。
サイバーエージェント時代、ご飯って大体先輩がおごるものだと思うのですが、新卒の女の子にもおごらなかったし笑
それを「すげーいいな!」と僕は思っていたんですよ笑
この人なら財布の紐を任せられるし、これは安心だな!と。社長が無駄な見栄を張り出したら終わりじゃないですか。
そういう意味で人として信頼できるなと。
起業するなら大きなことに挑戦したい。そうすると、仲間が必要になるわけで。
サイバーエージェントに入ったのも、自社メディア・サービスのノウハウを学ぶこと、技術力を高めること、デザイナーとエンジニアのつながりを作ることが目的でした。
その中で、起業するなら一緒にやるエンジニアは大谷しかいないと思っていました。
ーそのタイミングで、鈴木さんも退職をして「いよいよ」だったんですね!
田中)そうですね、僕も30手前だったので、やるしかないと!
ー大谷さんはお二人から起業に誘われて、すぐにジョインを決められたのですか?
大谷)起業するよって2人から聞いた時、僕はちょうどメタップスがIPOしたくらいの時期でした。その後辞めて、僕も元のメタップスの仲間と会社をやりながらフリーで働いていました。
2人が創業するときに声をかけてもらって、この2人がやるんなら間違いないだろうと思って、特に何をするかというは話も酒を飲んでて酔っ払って聞いておらず、「やるっしょ!」という勢いでした笑
鈴木)まさか入ってくれるとは思ってもいなかったんですよ笑
試しに言ってみようと思って、1回会ってみて、2回目会った時に本気で言ってみたら、大谷がめちゃめちゃやる気で!
大谷)おっしゃーって!
田中) ワンIDでプロダクトを作る世界の実現には、たくさんサービスを作らないといけないと思ってたので、一緒に仕事してた経験があってツーカーでできる大谷さんが入ってくれて、もう最高だなと!
ー今のoverflowの事業としては、金融サービスのFincyと、WEBコンサルですか?
鈴木)最初はFincyから始まりましたが、実はその間も細かいものを色々とやっていました。
SNS最適化ツールを開発して商品化を試みようとしたり、仮想通貨関連サービス、あとはインターンがそれぞれ1メディアを運用したりして、表には公開していませんが、運用しているメディアが5〜10個くらいはあります。
2017年は、収益という面では本当にコンサルティングしかしてこなかった。なんていうか、じわりじわりとキャッシュが減っていくことを1年くらいやってて、2018年の3月くらいからコンテンツマーケティング事業をはじめて、それがわーっと伸びてきて、夏にこっちに移転してきた感じです。
その時の口座残高100万で、うっかり倒産寸前でしたけど笑
引っ越す前の6月か7月くらいには、Offers(副業・複業マッチングサービス)はアイディアとして既に取り組んでいましたね。
ー 自分たちの考える最高のメンバーがそろい、コミットするべきサービスも定まってきたような感触ですが、会社を立ち上げてから一番苦労されたことは何でしょうか?
鈴木)ギャグみたいのはいろいろあります笑
経費削減のためにオフィス兼住居だったので、田中はそこに寝泊まりしていてプライベートが全然なかったり、電気水道は2カ月に1回ぐらい止まるし、冬はめちゃめちゃ寒いので部屋の中でカーペット敷いて、ダウンを着てマフラーしてたり、毎日のように冷凍食品食べたり笑
田中)前職をやめるときに作った珠玉のクレカ3枚が止まりました。それ以降、止まらないように毎月の支払日などのキャッシュフローを調整しまくり、鬼の調整力がつきました。笑
真面目な話でいくと、初期に立ち上げようと計画と準備をしていた事業が、全然想定通りに立ち上がらなかったのが一番つらかったですね。
すぐにピボットをしなくちゃってなりましたが「これだ!」と思える新しい事業が思いつかなった状態が精神的には一番苦しかったです。
鈴木)そうだね。ヒト・モノ・カネすべてにおいて計画通りにいっていることはなかった。唯一、ヒトだけは計画以上にうまくいっていたので、そこに助けられた部分は大きいです。助けていただいた方々には感謝してもしきれないです。
当たり前のことなのですが、起業することでカネの尊さ、モノを自由につくれる楽しさ、それがヒトをベースに成り立っている、というのを実体験を通して血肉にできたことは代えがたい経験です。
ー なるほど、創業事業をいきなりピボットしなくてはいけない状況だったのですね。そこをどうやって乗り越えたかについても教えてください。
田中)当時は、事業選定をマーケットから考える方法をとっていました。いろいろな業界を調べては、あれはどうか?これはどうか?みたいな感じで。
でも全然これだ!って感じのが無くて、次のアイデアが決まらなくて、毎日意識が朦朧としてたときに、たまたま鈴木と一緒のアポがあり、帰りに2人で昼食を食べていました。
その間もずっと事業の話をしていて、ふと鈴木から「その発想だと何やっても失敗しそうな気がする。心の底から本当にやりたい、と思えることは何?」と聞かれて、出てきた答えが副業という働き方を当たり前にしたい、でした。
鈴木)そもそも僕たちは今でもそうですが、1年10カ月以上の間、正社員ゼロで副業人材の方のみで事業を運営してきました。
田中)その間、昔の仲間に声をかけさせてもらって、色々なプロダクトを作ってきました。そこで、契約書や請求書周りの管理や発行・作成の面倒さ、コミュニケーションツールの選定、金額交渉、プロジェクト管理など、副業を一緒にやろう!と思ってもさまざまな不便がありました。
また、自身も元々副業をしていたので、手伝う側、手伝ってもらう側、両方のペインが痛いほど分かっていました。自分たちが課題だと思うことが、すべてプロダクトの改善に結びつくので、それからはやりたいこと、アイデアがあふれ出てきました。
鈴木)何をやるかが決まらないと、不安で不安で精神衛生がすごく悪いですが、マーケットイン、プロダクトアウト、両方の考え方からサービス開発をしてきて思ったのは、こだわってこだわり抜いて両方を満たす領域を必死に見つけるというのが、事業化して何年というスパンを見据えたら価値がある時間だな、と。
構想期間というのは、焦らず考えていい時間なんだなと、いまは思います。
ー「時間をふやす」を会社のビジョンにしていますが、そのビジョンができた背景とその意図について教えてください。
鈴木)「時間をふやす」というキーワードは、創業最初におこなった合宿で出てきました。
僕と田中の間で、そのキーワードはそれ以前にも何度も出てきていましたね。どういう事業をやるかを考えたときに、僕と田中の2人は「効率志向が強い」というのがあることに気がつきました。
世の中の無駄なことって沢山あるよね、という話から「パーソナルプラットフォーム」というキーワードにつながりました。
田中)個人的な原体験としては、住民票を取りに市役所に並んでいるときに、簡単な手続きに相当時間がかかるし、人件費がかかっているのはわかるのですが、発行だけでなんで300円もとられるのかなと。
個人が照合できれば、あらゆる場所で簡単かつ低コストで発行できるはずなのに、あらゆる面でデータ連携とインターフェースの準備をして効率化できていないからこういった問題が起きているわけですよね。
僕らみたいな民間企業がどんどんサービスを生み出して、APIを公開すればいいんだと考えていました。
パーソナルプラットフォームを作れば、ある程度の課題が解決できるんじゃないかというのは、実現したいこととして僕は思い続けていました。
一つのIDで水平展開できる、いろんなプロダクトをガンガン作っていこうと思って「overflow」という名前を僕が提案しました。
ー日常での不満や無駄と感じる体験から、世の中の無駄な時間をなくしたいという発想につながったんですね!
田中)事業を決める上で判断軸にしたのは、長期的に自分たちの興味がある分野というか、「一生考えられる課題」としました。会社を作るので、大きな長期課題に向き合おうと考えました。
それで僕らは色々な非効率を解決することで、「お金持ち=時間持ち」になるんじゃないか、という発想に至りました。お金の課題を解決することで時間を作れるよねという考え方から更に抽象度を上げていったら、「時間をふやす」じゃないか、というところに辿り着いて! 色々なアイデアが出ましたが、そこが結論になりました。
鈴木)「時間をふやす」は、色々な解釈を含めるのがよいと思っています。
効率化することでこれまでなかった「余剰時間」を増やして、大切な人や場所で過ごすのもそうですし、これまでになかった「新しい体験の時間」を増やすということにも、チャレンジしていきたいと思っています。
幸せの定義は人それぞれにあるんですが、大きく三つぐらいの階層に分かれているのではないかと思っていて。最初は「お金」の問題が来て、次に「時間」。さらにその上に、各々が思う幸せな自己実現の形があるという仮説を持っています。
だから最初に解決しなきゃいけない、かつ解決しやすいのは「お金の問題」であって、お金から時間ときて、最終的に本当の幸せってなんだろうと見つめる余裕を持つ。だから、事業においても「幸せにならないな」と思うことはやりたくはない。
あとは、役割分担としてマネタイズもあるんですが、自分は本当にその辺りに興味が持てないので、田中にお願いできて助かっています笑
田中)稼ぐというか、僕は数字が上がっていくプロセスが好きなんです。こうしたらもっと効率的になるんじゃないかとか、稼ぐということは裏側にある仕組みを考えたりすること。
鈴木)そうだね、数字が上がっていくプロセスが2人とも好きだね。意味がある数字はすごい楽しい。
ー お2人が決めた「時間をふやす」というミッションを、大谷さんはどう見ていますか?
大谷)2人がやろうとしていることはアグリーで、僕の役割は、いかに早く作れるかという縁の下の力持ちのポジションで、2人を支えていきたいなと。
プログラムでできることは最適化問題で、最適化が進むことで、「時間をふやす」ことにつながればいいかなと思っています。
ーお金や時間って、定義が広いですね。どこに焦点をあてるかが難しいと思いますが、どうやって決めているのですか?
田中)マーケットと、自分たちが当事者意識を持てる課題かどうかですね。
起業して1年目のときは、自分で手を動かしたり、色々なサービスを立ち上げたりしていたので、副業でエンジニアの方にお願いしてやっていました。「自分らが解決したい課題」から始めていたのが多かったです。
その延長のOffers。小さいサービスは、局所的な課題を早く解決してサービスにしていこうと思っていたんですが、会社の目標を最初に立てたとき、最低でも時価総額1000億円を目指したいよねっていうのがみんなで決めたこと。
それに対して、当事者意識を持てる大きな課題を解決しないといけないなという思いを掛け算して、自分たちが考え、設定したテーマが「人材・働き方(副業・転職)」や「採用」でした。