「自分はどこかおかしい」と思い続けていた
正直に言うと、
私は長い間「生きるのがつらい」と感じていました。
理由ははっきりしないけれど、
周りと同じようにやっているつもりなのに、
どこか噛み合わない感覚がずっとあった。
社会で“当たり前”とされている基準──
- マルチタスク前提
- 即レス前提
- 感情をうまく流せる人が有利
- 雑でも前に進める人が評価されやすい
この基準の中で生きていると、
私はいつも少しだけズレて見える存在でした。
「普通」に当てはめられたときの違和感
集中して何かに取り組むと、
「周りが見えていない」と言われる。
時間をかけて考えると、
「決断が遅い」と言われる。
空気や人の感情に気づくと、
「気にしすぎだ」と言われる。
全体像も細部も気にすると、
「いつも疲れている人」になる。
そんな評価を受けるたびに、
「ありのままの自分では、生きていけないんだろうな」と思っていました。
生きていくためには、
嘘の自分を演じて、無理をして、壊れて、修理して、
“役には立っているけれど、満たされない”
そんな状態を繰り返すしかないのだと。
今振り返ると、
かなり苦しいループにいました。
さらに抜け出しづらい特性
厄介だったのは、私が
- 苦手なことも、我慢すれば一応できてしまう
- 得意なことが静かで、成果として見えにくい
- 他者貢献が、裏側に回りやすい
タイプだったことです。
表面的には「ちゃんとやれている人」に見える。
でも内側では、少しずつ消耗していく。
「問題があるほど問題に見えない」
だからこそ、余計に抜け出しづらかったのだと思います。
「自分を知る」ことから逃げなかった
このままではダメだと思い、
私は「努力する方向」を変えました。
頑張って適応するのではなく、
自分を理解するほうに、全力を使うことにしたのです。
- 心理学を学び
- 知能検査を受け
- DNA検査を受け
- カウンセリングにも通いました
遠回りに見えるかもしれませんが、
これは私にとって“逃げ”ではなく、研究でした。
「自分は何者なのか」
それを曖昧なままにしたくなかった。
見えてきた、自分の特性
そうして少しずつ分かってきたのが、
自分には以下のような特性があるということです。
- 集中的処理型
一点集中すると他が抜けやすいが、深掘りが得意 - 内向的思考型
頭の中で熟考してから表現する - 高感受性処理型
感情や場の空気に敏感で、人の気持ちを深く読み取る - 全体志向と細部志向のハイブリッド
大局もディテールも同時に見ようとする(だから疲れやすい)
これを知ったとき、
「自分は気難しい」「扱いづらい」
そう感じていた理由が、ようやく腑に落ちました。
短所だと思っていたものを、翻訳し直す
同時に、私はあることに気づきました。
短所だと思っていたものは、見方を変えれば役割になるということです。
- 「集中すると周りが見えない」
→ 本質を深く追求し、表面的な対処で終わらせない思考力 - 「熟考すると遅い」
→ 短期成果と長期安定を両立させる意思決定 - 「空気を読みすぎる」
→ 対人トラブルや組織摩擦を未然に防ぐ調整・翻訳力 - 「全体も細部も見るから疲れる」
→ 全体設計と現場運用をつなぐ、システム思考×職人思考
私は、
「深く考える → 構造化する → 言語化する → 仕組みに落とす」
この流れにこそ向いている人間だったのです。
環境を選ぶことは、甘えじゃない
それ以来、私は
向いていない環境を無理に頑張ることを、少しずつやめました。
- 常時チャット・電話対応を求められる
- 感情処理をその場で要求される
- 判断基準が曖昧で「空気」で決まる
- 割り込みが多く、集中が分断される
こうした環境を可能な限り排除し、
代わりに
- 企画・設計・改善
- 分析・評価・言語化
- マニュアル化・体系化
- 第三者視点での助言
といった役割に集中するようにしました。
結果として、
他者と同等、あるいはそれ以上のパフォーマンスを
安定して発揮できるようになりました。
伝えたいこと
何が言いたいかというと、とてもシンプルです。
「何か人と違う」
「生きづらい」
「自分は社会不適合なんじゃないか」
そう感じている人にも、
必ず“輝ける場所”や“向いている役割”があるということ。
問題なのは能力ではなく、
多くの場合、設計と環境のミスマッチです。
私は、
人が迷わず前に進める判断材料をつくり、
挑戦や成長が“再現性をもって循環する仕組み”を整えることで、
一人でも多くの「幸せな人」を増やしていきたい。
それが、
今の私なりの生き方であり、仕事の原点です。