鹿児島を代表する「城山ホテル」の宴会場に、なんとも言えない温かい空気が流れていました。
永山顧問の送別会。
小平株式会社の2代目から4代目にかけて、実に38年という長い年月を勤め上げた「右腕」の、最後の晴れ舞台が執り行われました。
現社長のかんちゃん(小平勘太)も言っていたけれど、「こういう形でみんなに見送られながら会社員人生を終えるというのは、本当に幸せなことだよなぁ」と思います。
最後まで最前線で頼りにされつつ、後進の成長のために一線を退く。その送別会には今の経営陣も先代も、そして過去に関わっていたメンバーたちも集まってくれる。
挨拶をする永山さんの姿を見ながら、これが38年の最後の挨拶だと思うと、正直グッときてしまいました。
かつてのメンバーからは涙と共に花束が渡されました
60年の付き合いが語る「努力する才能」
まず先代社長の亮一さんの挨拶が、素晴らしかった。
亮一さんと永山さんは中学時代の先輩後輩で、そこから考えるともう60年近い歴史が。その亮一さんが語った永山さんのエピソードの数々に、会場中が聞き入っていました。
鹿児島商業高校の軟式テニス部時代、家から片道1時間40分の汽車通学。帰宅は深夜。それから1時間以上の筋トレ。この「信じられない努力」を続けた結果、国体で優勝。その後も中央大学でベスト4、全日本ランキング3位という輝かしい成績を残したそうです。
亮一さんはこう語りました。
「僕は能力は2種類あると思っています。一つは持って生まれた能力、それからもう一つは努力を続けられる能力ですね」
努力し続けられることそのものが、能力であり才能。この言葉の重みを、永山さんの人生が証明しています。
先代の亮一さん。
永山さんとの積み上げられた絆が伝わってきました…!
仕事の裏にあった深い愛情
亮一さんの挨拶で、会場が特に温かい空気に包まれたのは、永山さんの奥様への愛情の話でした。
「永山君が生涯において、絶対に今でも会いたいと思っているのが、亡くなられた奥さんだと思います」
教え子でもあった奥様を最後まで愛し続け、今でもご飯を供えているという永山さん。38年間、社長からのどんな無茶ぶりにも応え続けられた背景には、こうした深い愛情と、それを支えにした生活があったのかもしれません。
亮一さんの言葉一つ一つに、60年という長い付き合いだからこそ見えてきた永山さんの人となりが込められていて、聞いているこちらまで胸が熱くなりました。
永山さんが語る「積み重ね」の哲学
亮一さんの挨拶を受けて、壇上に立った永山さん。
亮一さんが語った高校時代の「信じられない努力」について、永山さん自身の口からも、その詳細が明かされました。
入学2週間目の階段10周トレーニングで7周目にダウン。「このままじゃ3年間続かない…」と思った永山さんが始めたのが、夜のトレーニングだったとのこと。
部活後、21時37分の最終電車に乗り、23時15分に家に着いて晩御飯を食べ、そこから1時間のトレーニング。日をまたいで25時に就寝して、朝4時半に起床。6時半の電車で鹿児島へ。
この生活を3年間(!)、続けたそうです。
やがて後輩たちも一緒にトレーニングするようになり、夜中に国道3号線を走り回ったメンバーで、全国制覇を達成。(ドラマの脚本が書けちゃいそうなストーリー…)
永山さんはこう語りました。
「やはり積み重ねというのは、やった者には必ず報いがあるんではないかと考えています」
そして驚くべきことに、今も毎晩22時から勉強を続けているそうです。
軟式テニスだけではなく、ゴルフもプロ級の永山さん。ゴルフ審判員の資格を取得し、その維持と、更なる高みを目指すために努力を続けているとのこと。ご本人は「もう2つ覚えると3つ忘れちゃう年齢になりました」と笑いながらも、70歳の今でも努力を止めない姿勢に、本当に頭が下がります。
亮一さんが語った「努力する才能」を、永山さん自身の言葉でも改めて実感しました。
笑いの絶えない送別会という文化
送別会全体を通して印象的だったのは、笑いの絶えない雰囲気。
永山さんの教え子であるトミーの、真面目な挨拶の中で飛び出した「お勤めご苦労様です」という一言。
思わず会場各所から「出所か!」というツッコミと爆笑を誘い、永山さん自身も挨拶の冒頭で「何とかお勤めを終われるようになりました」と返す。若手代表の久保くんも、最後にお勤めネタでひと笑いとって締める。ベテランメンバーも、亮一さんから「努力しない人」といじられながら、笑いで場を和ませる。
創業113年の老舗企業で、38年勤め上げた重鎮の送別会。でも、重々しさよりも温かさと笑いに包まれた会になったのは、永山さんが築いてきた人間関係と文化の賜物なのでしょう。
若手の教え子たちとの一枚
「右腕の系譜」という視点
この送別会に参加しながら、考えていたことがあります。
永山さんは、3代目社長である亮一さんの右腕として、38年間KOBIRAを支えてきた。そして今、自分は4代目の勘太社長の右腕として、組織変革に取り組んでいる。
小平家はパワフルな(本当にパワフルな!)経営者が代々会社を拡大させてきたけれど、その裏には受け継がれてきた「右腕の系譜」というものもあるんじゃないか。
強いリーダーシップを持つ経営者を支え、時に無茶ぶりに応え、時に現場との橋渡しとなる。そんな役割を担ってきた右腕たちの歴史が、KOBIRAという会社を作ってきたのかもしれません。
自分自身、3代目の右腕だった永山さんから受け継ぐべきことがたくさんあるはずです。努力する才能、積み重ねの哲学、人への愛情、そして何より「会社を支える」という覚悟。
実は近々、永山さんにロングインタビューをさせてもらう予定があります。38年間の歩みや、右腕として大切にしてきたこと、後進に伝えたいこと。じっくりお話を伺えるのが、今から楽しみで仕方ありません!
この「右腕の系譜」というものを、時代に合わせつつ、自分もしっかり受け継いでいきたい。改めてそう感じました。
「うちらはいつ引退するんだろうね」という問い
送別会の最後の方で、同じテーブルだった勘太社長が、ぽつりと言った言葉が心に残っています。
「うちらは、いつどんな形で引退するんだろうね」
兄弟会社の太陽ガスでは、60歳で引退という話もあるけれど、そう思うとあと15年しかない。自分がKOBIRAに来てから既に3年半が経とうとしているので、15年なんてあっという間だろうなぁ。
永山さんの送別会を見ながら、自分たちの引き際についても考えさせられました。(かんちゃん曰く、「引退したらシニアスタートアップでもやろうかね」と言ってます😆)
4代目兄弟との一枚!
来年は太陽ガスと合併して、ますます楽しみな未来を実現していきます!
受け継ぐべきもの、変えていくもの
永山さんの挨拶の中で、もう一つ響いた言葉がありました。
「これからKOBIRAという会社がグループとしてますます成長していく中で、一人一人の社員が会社を作っていくということは、今後もおそらく変わらないだろうと」
38年間、先代社長の無茶ぶりに応え続け、会社に泊まり込みながらも数々の山場を乗り越えてきた永山さん。その永山さんが最後に語ったのは、「一人一人が会社を作る」という未来への期待でした。
KOBIRAは今、大きな転換期を迎えています。2026年には太陽ガスとの合併も控え、組織文化も「トップダウン」から「理念経営」へと変革の真っ最中です。
でも、永山さんが体現してきた「努力する才能」「積み重ねの大切さ」「人への愛情」は、きっとこれからも受け継いでいくべき財産です。
永山さんは「横から会社を見させていただける環境を、やっと作っていただきました」と語りました。引退ではなく、新しい立場からの見守り。これもまた、美しい引き際のかたちだと思います。
38年という時間の重みと、それを笑顔で締めくくる組織の温かさ。 努力の天才が最後まで謙虚に、そして前向きに語る姿。KOBIRAらしさが存分に散りばめられた会でした。
永山顧問、本当にお疲れさまでした。 そして、これからも横から見守っていてください。
今度のインタビューでは、「右腕」としての矜持を思う存分聞けるのを、楽しみにしています!
池田との一枚。
なんだか服装も似てました😆
池田亮平
株式会社KOBIRA 副社長取締役 CHRO / AI推進室長
生成AIが大好きで、「組織の力×AI推進で、最高のローカルアトツギ企業を創る!」をミッションに、
日々楽しみながら試行錯誤しています。よければフォローお願いします!!(^^)
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