昔何していたの?
創作の「民主化」を考える日々
資金や技能が必要だったものが、どんどん一般化していき、ごく限られた人々しか享受できなかった、創作すること/それを享受することが、人々に開かれて、文化が花開いていく。私たちは創作がどんどん「民主化」していく時代を生きている……と私は勝手に思っています。この「民主化」プロセスは、大学時代から今までずっと考えている、そしてこれからも考えていきたいテーマです。ただ、当時はまだそれが獏としていて、こういった文化を広げるものに関われたらいいなと思ってはいたものの、自分の人生のいたし方には上手く結び付けられていませんでした。
サブカルにはまっていた大学時代
通っていた大学は比較的自由な校風で、色々な人が色々おもしろいことをやっていました。サブカルにはまり、今思うとすごい恥ずかしいんですが、大学生にありがちなマイナー志向をこじらせておりました……。とはいえ、そのおかげで世の中にはただ知られていないだけで素晴らしい作品でいっぱいであるということを学びました。なのでこじらせていて良かったです。
大学では社会学を専攻していたのですが、これは自分が好きなサブカルというかポピュラー文化について考えるとてもいい機会でした。特に技術がどう文化を変えたか、という話がとても好きでした。音楽でいえば、20世紀は録音技術・録音メディアが出てきて、それらが広く普及することで、今まで音楽を作らなかった人たちでも、音楽作品を世に出すことができ、また聴く側もそれを手に取ることができるようになった。こういう仕組みなり、技術なりが、それに携わる人を増やして、結果的に世の中に面白いものが増えていくプロセスがすごく魅力的に映ったのです。
社会人ではメーカー系のSIerにSEとして入社しました。理由は色々あったのですが、大学時代の経験から、ものを作れることへの憧れがあって、プログラミングには何だかワクワクしたのです。なぜプログラミング?という話ですが、新卒入社当時はWeb2.0といった言葉が出るか出ないかあたりで、Webであったり、プログラミングであったりにすごく熱量を感じたんです。
いざ仕事を始めてみると、SIの受託開発という業態は自分の考えていたものとはだいぶ違う部分もあったのですが、プログラミングはとても楽しいものでした。プログラミングには、仕事であると同時に技芸的な文化があって、たとえば同じ役割をするプログラムでも、それをいかに上手く書くか、という面白さがあります。私はすっかりそれに魅了されて、いい設計やコードの書き方について、同期といっしょにずーっと話していた思い出があります。
なぜ、KitchHikeに携わっているのか?
妻が見つけた「すごいサービス」がきっかけ
2013年5月、帰宅すると妻が「すごいサービスを見つけた!」とたいそう興奮していました。そのサービスの名は「KitchHike」……。これが私とKitchHikeの (間接的な) 出会いです。
会社を辞めてユーラシア大陸横断旅行をした経験のある妻は、その旅の先々で、現地の人に家庭料理を振る舞ってもらい、私のやっていたことはKitchHikeだったんだ!とビビっときてしまったようでした。妻は早速、KitchHikeの生みの親である共同代表の山本さんにメールを送り、それから、お手伝いをするようになります。
私はというと、それを後ろから羨ましそうに指を咥えて見ていました。思えば幼少の頃から入れての一言がなかなか言えない子どもでした。
Rubyという共通点が直接的な出会いに
そんな私とKitchHikeをつなぐきっかけになったのはRubyというプログラミング言語でした。当時の勤務先では、メインの開発は別のプログラミング言語を使っていたのですが、個人的に使用していたプログラムは、自分が好きなRubyで書いていたのです。そして、偶然にも、KitchHikeが開発に使用している言語がRubyでした。これはひょっとして貢献できるのでは?と思い、妻に山本さんとCTOである藤崎さんを紹介してもらい、西日暮里のトルコ料理店でいよいよ初対面の時がやってきたのです。初対面にも関わらず、話は心地よく弾み、そして、気がついたら私のPCに藤崎さんによってKitchHikeの開発環境が構築されていました (笑)。これが、2014年10月、私とKitchHikeの (直接的な) 出会いです。それから、帰宅後の時間や土日を使って、ずっとKitchHikeの開発のお手伝いをしていました。当時は仕事でコードを書くことが減ってしまっていたので、コードを書けるのがとにかく楽しかったです!自分の最初のコードがKitchHikeの本番環境に取り込まれたときは、新卒で初めてリリースをしたときくらいドキドキしました。
「子どもが生まれるからKitchHikeへ転職」という決断
そんなわけで業務後と土日にコードを書き続けて1年ほど経った2015年12月、会社帰りに当時KitchHikeが入居していたシェアオフィスに、いつもの打ち合わせのつもりで行ったところ、藤崎さんから正式に社員としてジョインしないかとのお誘いを頂きました。全く予想していなかったお話だったのでびっくりしました。折しも翌年に子どもが産まれるという、自分も家族も大きな変化が予想される時期でのこのお話……。
で、どうしたかというと、KitchHikeの社員になる決断をしました!正直あまり悩みませんでした。絶対に面白いだろうと思ったからです。
私は二択を迫られたときはよく分からない方を選びます。私にとって「よく分からない」はポジティブな言葉です。よく分かるもの、言葉で上手く説明ができるものは、掘り尽くされた鉱脈のように思えるのです。それよりも、まだ何かありそうなもの、言葉を尽くしてみても、まだ何か表しきれていないように思えるものにこそ、私は惹かれます。私にとって、KitchHikeは、山本さんは、藤崎さんは、そんな存在でした。となれば答えは一択です。
当時の仕事は同僚にも恵まれ楽しい職場でした、けれど私はよくわからない方に飛び込むのを我慢できなくなってしまったのです。大のKitchHikeファンの妻も背中を押してくれました。こうして、2016年4月からKitchHikeに正式に第一号社員としてジョインすることになりました。
KitchHikeで何をやっているのか
ユーザーから直接もらう声を、即実装。
KitchHikeではWebアプリケーションの開発全般を担当しています。どういう機能を作るかの打ち合わせから、機能の設計、プログラム、リリースまで全部をやります。自分が最初から関わっていた機能がリリースされて、ユーザーのみなさんに使ってもらえた時はとってもうれしいですね。
KitchHikeは現場との距離が近いのがいいなと思っています。KitchHikeのメンバー自身がサービスのヘビーユーザーなので、現場から要望をもらって、もしくは自分が使っててちょっとイケてないなと思った箇所は即実装するみたいなスピード感があります。私も実際に自分でKitchHikeの現場にいって、COOKさんやHIKERさんからもらったフィードバックをもとに機能を作ったりしたことが何回もあります。
一般的にエンジニアは、経験年数が多くなってくると実際にコードを書くことが減って、設計やマネジメントなどの業務が多くなってくると言われています。「エンジニア35歳定年説」なんて言葉もあるくらいです。実際、私も20代後半からそういうことが多くなってきて、あまりコードを書く時間が取れずに思い悩んでいた時期もありました。けれど、今は思う存分コードを書けていてすごく楽しいです。
オフィスで一番たのしいことは?
みんなそう言うと思うのですが、やっぱり「まかない」です。
みんなで食卓を囲み、みんなで片付けする。その一連のプロセスがとても好きです。ただでさえおいしい料理がもっともっとおいしくなります。
毎日オフィスで食べるおいしい料理、食事中のみんなの会話、皿洗いしながらの何気ないおしゃべり……。共同代表の山本さんの著書「キッチハイク!」に出てくる「腹の底からつながる」という言葉が私はすごく気に入っているのですが、それを体現できる、KitchHikeのエッセンスが詰まった時間のように思うのです。
好きな料理、食べ物。
餃子です。お店で食べる餃子よりも手作り餃子派です。かといって、味にこだわりがあるわけではなく、失敗して焦げちゃったり、ぐちゃっとなっちゃった餃子でも全く構いません。もちろんおいしければ嬉しいんですが、自分にとって餃子は餃子であるだけでいいんです。
大皿にたくさんの餃子が並んでいる絵面が好きで、それを思う存分たらふく食べることができればもう何も言うことはありません。
家が男兄弟なのもあり、餃子が食卓に並ぶときは毎回100個近く、ホットプレートで大量生産していました。その原体験が今の餃子の好みにつながっているような気がします。
今、はまっていることは?
はまっているというと何か違うのですが、子育てです。ちょうどKitchHikeに正式に入社する1ヶ月前に息子が産まれました。転職するにあたって、子育てのことも頭にありましたが、KitchHikeではフレキシブルに働けるし、子育てもしやすいんじゃないかな?と思ったのです。
子育てをするための合理的な判断
後日談ですが、私がKitchHikeへ転職の返事をするときの話です。私は子どもが産まれる話を枕にして話始めたので、CTOの藤崎さんは「家族が増えるという時に転職なんてしないか……」と内心思いかけていたそうなのですが、私は「だから今の会社をやめて、KitchHikeに転職します。よろしくお願いします。」と応えたので、すごく驚いたそうです (笑)。でも私にとってはとても合理的な判断でした。
KitchHikeでは、子育てに関して色々な制度があり、とても助かっています。子どもの世話が必要なときは、リモートワークに切り替えたり早めに帰宅させていただくことも度々あります。
印象的なエピソードが一つあります。KitchHikeでは現在就業時間が9時始業、18時終業なのですが、元々は10時始業、19時終業だったんです。けれど、子育てを考えると19時では少し遅かったので、私だけ1時間早めに来て、早めに帰ることはできないか、という相談をしたんですね。そしたら、ある日、全体の就業時間が9時〜18時へ変更になったのです。勿論、私の話だけが理由ではないとは思うのですが、こういった要望を言えますし、また、ちゃんと対応してくれるというのはKitchHikeで働く大きな価値でもあると思っています。
育児は初めてのことばかりで戸惑うことも多いのですが、それ以上に貰うものが多い日々です。「床を叩いたら音が鳴った!」とか、私達にとって何でもないことが息子にとっては彼の世界の見え方をアップデートする発見だったりするようです。時々、そのアップデートの瞬間に立ち会えることがあって、そのときの息子のはっとした表情には何だか感動します。
これから、やっていきたいことは?
私のやりたかったことは実はもう半分できてしまっているんです。KitchHikeというサービスは、今までCOOKさんの家庭や、ごく親しい人々の輪の中でしか味わうことのできなかった料理を、まだ見ぬ人たちと共にし、そこから生まれる交流、そしてコミュニティを形成していくものです。そして、それは私が大学時代にぼんやりやりたいと思った「文化を広げること」であり、「民主化」プロセスに関わっていくことに他なりません。そして、今、それに携われていることをとても誇りに思っています。
でも、それはまだ半分です。
私たちがこれまでごく普通にやってきた、友人とレストランで食事をしたり、親しい人たちだけで食卓を囲むような"食"の楽しみ方に、KitchHikeの仕組みは新たな選択肢をもたらしました。でも、それから先を私はもっと楽しみにしているんです。それは、KitchHikeユーザーのみなさん一人ひとりが新たな食文化を生み出していくことです。
大学の頃知った私の好きな話に「サンプラーの逸話」があります。サンプラーは元々生演奏の楽器音を気軽にエミュレートするためのものでした。けれど、ヒップホップではレコードの音を録音すれば曲が作れる!と、元々の使い道からすれば思ってもみなかった形で欠かせないものとなった、という話です。これから先、KitchHikeで築かれたユーザーさんのコミュニティが大きくなり、自走し、サンプラーの逸話のように、KitchHikeの仕組みがあったからこそ花開く、未だ予想がつかない新しい食文化の誕生が起きるかもしれません。私はそれが見てみたいし、そのことに貢献できるのであればすごく嬉しいです。
前置きが長くなってしまいましたが、そのためにはKitchHikeをもっともっと色んな人に使ってもらうことが必要です。だから、「KitchHikeでこういうことをやりたいんだ!」というのは実はあんまりなくって、「民主化」の後に来る面白い風景を見るために、KitchHikeを粛々と良いサービスにしていきたいなと思っています。