K・ライズホールディングス(ケイライズ)で 叶える、異国からの挑戦。— ミャンマー出身の私が日本で見つけた“自分らしく働ける場所” —
こんにちは。K・ライズ(ケイライズ)で広報を担当しているウインです。
日本でキャリアをスタートさせて1年。現在は、SNS発信や社内外イベントの企画など、ゼロから挑戦できる環境の中で、会社の“リアルな魅力”を伝える仕事をしています。
今回の記事では、
私がなぜK・ライズ(ケイライズ)を選び、どんな想いで広報に向き合っているのか。
そしてそこに至るまで、どんな道を歩いてきたのか。
をお伝えします。
目次
■ K・ライズ(ケイライズ)との出会い:“挑戦できる場所”を見つけた
■ 異国で働く私が、なぜK・ライズ(ケイライズ)を選んだのか
■ 10代から始まった、“自分の道を生きたい”という強い願い
■ 大学を辞め、日本へ飛び立った人生最大の決断
■ 日本の留学生活は、決して“キラキラ”ではなかった
■情熱か安定か。就活で向き合った本音
■ まとめ
■ K・ライズ(ケイライズ)との出会い:“挑戦できる場所”を見つけた
就活で私が大切にしていた軸は2つ。
① 挑戦し続けられること
② 人間関係の良さ
私は、人とのつながりを何より大切にしてきました。
思いやりがあって、支え合える仲間と働ける環境でこそ、
自分の力を最大限発揮できると信じていたからです。
K・ライズ(ケイライズ)は、そのどちらも満たしていました。
・丁寧で誠実な説明会”採用担当の温かい言葉に、心がふっとほどけた瞬間”
・社長の言葉「やってやれないことはない。チャレンジャーであれ」
・面談のときの“安心して話せる空気”
そしてインターンでは、
先輩たちの人柄や会社のあたたかい雰囲気に触れました。
初日、緊張していた私に、先輩が「一緒にランチ行こう」と声をかけてくださり、周辺のことを丁寧に教えてくれたこと。 その何気ない一言が、心をとても軽くしてくれました。
また、社長が仕事内容を説明してくださった際には、
「漢字ばかりで読みづらいよね」と言って、資料をミャンマー語にまで翻訳してくださったことも。
「外国人だから」ではなく“一人の仲間”として理解しようとしてくれる姿勢が、とても嬉しかったです。
さらに、インターン中にミャンマーで大地震が起きた際、
上司から届いた
「ご家族がご無事か心配です。必要であればすぐ帰国してください。入社のことは帰国後で大丈夫です」
というメッセージに、胸が熱くなりました。
私自身だけでなく**“家族まで気遣ってくれる”**その想いが、言葉にならないほど心に響きました。
国籍や年齢ではなく、
“ウインという人”を見てくれる文化 に触れました。
その時、私ははっきり確信しました。
「ここなら、自分らしく挑戦できる。」
「ここで入社してよかった。」と。
■ 異国で働く私が、なぜK・ライズ(ケイライズ)を選んだのか
「一度きりの人生。挑戦を恐れず、自分の人生を生きる。」
この言葉を胸に、私はミャンマーから日本へ渡りました。
けれど、その道は“覚悟”や“努力”だけでは越えられない壁ばかりでした。
国の情勢、家庭の事情、周囲の価値観——
自分の意志だけでは動かせない現実もたくさんあります。
だからこそ私は、日本で「自分の挑戦を受け止めてくれる場所」を探していました。
その答えが、K・ライズ(ケイライズ)でした。
■ 10代から始まった、“自分の道を生きたい”という強い願い
私の原点は、私のパッションの一つである ”写真”でした。
大学1年の頃、私は写真に夢中になり、
「将来はプロの写真家になりたい」と心から思っていました。
しかし、まだ教育レベルが低く、自由な選択が認められづらい地域で育ったため、
写真家という夢は、両親や周囲から何度も否定されました。
「写真は仕事にならない。勉強しなさい。」
そう言われ続けても、私は自分で決めた夢を手放せませんでした。
写真を撮る時間は、私にとって“自分の人生を取り戻す瞬間”だったからです。
■ 大学を辞め、日本へ飛び立った人生最大の決断
大学3年のとき、コロナによる休校、そしてミャンマー情勢の急激な悪化。
誰も未来を語れない状況で、私はふと思いました。
「状況は良くなるまでこのまま待つだけでは、夢は止まってしまう。」そう思い続けた私は、できない理由ではなく“今どう生きるか”を選びました。
そして私は決断しました。
大学を退学し、日本で学び直すことを選ぶ。
不安定な国に50代の親を残し、一人で日本へ渡るのは簡単な選択ではありませんでした。
出発の日、赤い目の母と、黙って肩を叩いた父。
「あなたが選ぶ道を信じているよ」 という両親の一言が 、
私の人生が大きく動いた瞬間でした。
■ 日本の留学生活は、決して“キラキラ”ではなかった
2022年、私は日本に到着しました。
1年の日本語学校、そして2年の専門学校へ進学。
本当は映像大学に行きたかったけれど、
親を安心させるため、私はビジネス分野を選びました。
しかし現実は——
周囲が想像する「キラキラ留学生」ではありません。
・区役所の書類がほとんど読めない
・アルバイト先で差別を受ける
・ミスして泣きながら帰る
・授業についていけない
・友達もできず孤独感しかない
・生活費のために働きながら、勉強も資格も両立
・それでも写真だけは絶対に手放さない
“助けてくれる人が隣にいない”
そんな環境で、自分に言い聞かせました。
「今日の苦労は、未来につながる一歩になる。」
その言葉だけを信じて前に進みました。
■情熱か安定か。就活で向き合った本音
就職活動のとき、私はひとつの大きな問いに向き合いました。
お金のために働くのか?
それとも情熱で働くのか?
外国人の就職は、簡単ではありません。
条件優先のほうが安全だと多くの人から言われました。
でも私はどうしても、
“自分らしさを消す働き方はしたくない”
そう思っていました。
言葉の壁、文化の違い、国籍――
それらを言い訳にしたくなかった。
だから私は
「個性と情熱を活かして働ける場所」
を探し続けました。
その答えが、K・ライズ(ケイライズ)でした。
入社前の私は、
外国人にとって日本の社会は“冷たくて厳しい”というイメージがあり、
「この会社と本当に合うのかな…」
と不安でいっぱいでした。
でも入社してみると、その不安は少しずつ薄れていった。
挑戦するたびに、上司や仲間が
「ウインさんを守るから、やりたいことに挑戦して。失敗しても大丈夫!」
と支えてくれて、実際にSNS運営で悩んだときも一緒に力になってくれました。
その温かさに触れた瞬間、
「もうひとりじゃない」
と感じ、心が軽くなりました。
日本人にとっては当たり前かもしれませんが、
小さな気遣いや支えが、私にとっては大きな力になりました。
■ まとめ
異国で育ち、夢を否定され、迷いながらも自分の道を信じてきた私。
不安の中で飛び込んだ海外生活も、決して“キラキラ”ではありませんでした。
でも、K・ライズ(ケイライズ)では、ありのままの私を受け止めてくれる仲間と温かい環境に出会え、
不安は安心に変わり、挑戦の中で新しい経験を重ね、日々が働きがいに。。。。
— 次回は、広報としてゼロから歩み出した “はじまり” へ。