株式会社情報戦略テクノロジー(IST)の九州支店立ち上げという重責を担い、北九州市へと赴いたF.Sさん。新卒1年目から難易度の高いプロジェクトに抜擢され、常に「新しい挑戦」の場を与えられてきた彼は、ISTというベンチャー気質溢れる環境で早期成長を遂げてきました。しかし、九州の地でのスタートは、これまでにない苦悩の連続でした。家族の献身と周囲の期待を背負い直した彼は、ある日、自らの退路を完全に断ちます。その瞬間に訪れた「覚醒」が、地場最大手企業との共創を次々と手繰り寄せました。若きリーダーが体現する「挑戦と成長」の軌跡は、まさにこの国の潜在能力を解き放つ原動力でもあります。
目次
「教育者」の夢を胸に、ITという大海原へ
ISTとの出会い——「君の夢をうちで叶えればいい」
新卒1年目の抜擢。メガベンチャーでの武者修行
「新しいこと」への連続挑戦。失敗を糧にする文化
人事部での「仕組み作り」と、責任の本質への気づき
九州支店立ち上げ。言い訳を探していた半年間
【覚醒】退路を断った瞬間に見えたもの
九州から、この国の潜在能力を解き放つ
(写真:F.Sさん)
「教育者」の夢を胸に、ITという大海原へ
F.Sさんのキャリアを語る上で欠かせないのは、学生時代に抱いた「教育への情熱」です。早稲田大学教育学部に在籍していた彼は、教師として教壇に立つことを当たり前の未来として描いていました。
「中学生の頃から将来は学校の先生になろうと決めていました。誰しもが必ず通る学校という場が、その人にとって充実した環境になれば、その後の人生を豊かに生きる糧になる。自分が何をしたいのかを考え、多くの経験に触れる場こそが、学校の本質であるべきだと考えていたんです」。
しかし、教育実習などを経てF.Sさんは一つの予感に突き当たります。そのまま教師になれば「学校のことしか知らない人間」になってしまう。自分の言葉に重みを持たせるためには、まずは社会に出て、広い世界を知る必要があると確信したのです。
「一番広く世界を知れる領域はどこかと考えた時に、着目したのがITでした。ITで何ができるかを知るために、まずはエンジニアからキャリアをスタートさせようと決めたんです」。
ISTとの出会い——「君の夢をうちで叶えればいい」
就職活動において、F.Sさんはあえて規模の小さな独立系SIerを志向しました。組織化された大企業ではなく、自分が担うべき幅が広く、経験の総量が増える環境を求めたからです。そこで出会ったのが、ISTの代表である高井淳さんでした。
「面接の第一声が『君の将来の夢は何だ?』でした。私が学校を作りたいという話をすると、高井さんは迷わず『じゃあ、うちでやればいいじゃん』と言ってくれたんです。他の会社は枠組みの話に終始していましたが、高井さんは私のわがままな思いをストレートに受け止めてくれました。この会社こそが、自分の想いを放てる最高の場所だと直感しました」
2016年、F.SさんはISTの新卒エンジニア1期生として入社します。創業者が経営するベンチャー企業ならではの「熱量」と、若手にチャンスを惜しみなく与える「懐の深さ」。この環境が、F.Sさんのリーダーシップの原石を磨いていくことになります。
新卒1年目の抜擢。メガベンチャーでの武者修行
入社直後から、F.Sさんは「他の人と同じことをしていても意味がない」と考え、自らチャンスを掴みに行きました。
「エンジニアとして未経験からのスタートでしたが、社内で誰も取り組んでいない領域に挑戦したいと直訴しました。その結果、1年目から日本で渋谷にあるメガベンチャー企業の全サービス認証基盤システムという、極めて重要なプロジェクトに参画することになったんです」。
ITの最前線で、その会社のすべてのサービスを横断する基盤システムの構築など、難易度の高いミッションに挑んだ1年間。
「誰もが知る巨大サービスの裏側で、セキュリティの要となる基盤を触る。プレッシャーは凄まじかったですが、『若くても重要局面を任せる』というISTの文化が、私の視座を一気に引き上げてくれました。この早期の抜擢こそが、私のリーダーシップの基礎体力を作ったのだと思います」。
「新しいこと」への連続挑戦。失敗を糧にする文化
入社2年目、高井代表はF.Sさんの夢を汲み取り、保育園向けの新規事業立ち上げを任せます。
「1ヶ月間、毎日保育園に通い詰め、現場のすべてを観察しました。結果として事業化は叶いませんでしたが、ISTはこの失敗を責めるのではなく、次の挑戦への糧として評価してくれました。この『挑戦した結果の失敗を許容する文化』こそが、私を成長させてくれたんです。ISTには、若手の潜在能力を信じて解き放とうとする、圧倒的な懐の深さがあります」。
その後、グループ会社WhiteBoxの立ち上げに参画。ベトナムのオフショア開発のリーダーや国内開発チームの牽引など、F.Sさんは常に「未経験の新しいこと」に投入され続けました。そのたびに「どうすれば解決できるか」を自問自答し、リーダーとしての責任感を養っていきました。
人事部での「仕組み作り」と、責任の本質への気づき
入社4年目、F.Sさんは人事部へと異動します。ここでも「新卒採用の立て直し」という新たなミッションが待っていました。
「当時、年間5〜6名だった採用規模を、戦略の見直しによって17名まで拡大させました。単に人を集めるだけでなく、新卒の教育体系や評価制度の構築にも携わりました。組織を動かす仕組みを作る経験は、後の支店運営における大きな資産となりました」。
さらに、業界の多重下請け構造を打破して、日本のシステム開発をあるべき姿にするという「破壊と創造」をテーマにしたコーポレートブランディングのプロジェクトでも中核として奔走します。
「外部の専門家も巻き込みながら、必要な時は深夜までとことん議論を重ねる中で痛感したのは、『言い出しっぺが最後まで責任を持つ』ことの重要性です。
九州支店立ち上げ。言い訳を探していた半年間
2024年11月、F.Sさんに下されたのは、文字通りゼロからの「九州支店立ち上げ」でした。プライベートでは家を購入し、来週引っ越すというタイミングでしたが、F.Sさんは迷わず挑戦を選びました。
「30代をどう生きるかと考えた時、この機会は自分と家族の未来を経済的にも精神的にも豊かにできるチャンスだと思いました。妻も1歳半の息子を連れて、私の挑戦についてきてくれました。しかし、北九州でのスタートは、想像を絶する孤独と焦燥の連続でした」。
最初の半年間、営業成績は鳴かず飛ばず。
「テレアポをしても、訪問をしても、結果が出ない。でも、心のどこかで『新しい土地だし、未経験の営業だし、できなくても仕方ない』という言い訳を用意していました。本社に戻ればそれなりの役割はある、という逃げ道を作っていたんです。今振り返れば、あれはリーダーとして最も恥ずべき『甘え』の状態でした」。
【覚醒】退路を断った瞬間に見えたもの
そんなF.Sさんを変えたのは、家族の存在と、自分を信じて送り出してくれた仲間への思いでした。
「ある夜、寝ている息子の顔を見て、ハッとしたんです。自分の言葉を信じてついてきてくれた家族を、私は裏切ろうとしているのではないか。仲間の期待を背負ってここに来たのに、なぜ自分は逃げ道を探しているのか。そう思った瞬間、自分の中のすべての逃げ道を断ち切りました。もう、ここを成功させる以外に、自分の人生に未来はない。そう腹を括ったんです」。
これがF.Sさんの「覚醒」の瞬間でした。翌日から、F.Sさんの行動は劇的に変わります。
「コンフォートゾーン(安全圏)にいるのをやめました。毎日テレアポをして、事務所に座る時間を捨て、なりふり構わず動きました。地元のあらゆる会合に顔を出し、誰に何を言われてもいい、とにかく一歩前へ。その執念が、風向きを変えたんです」
すると、驚くべき結果が届き始めます。地場の最大手企業で誰もが知るような業界No.1企業との取引を皮切りに、九州で最も大きな金融機関など、日本を代表する企業との共創関係が次々と生まれたのです。
「AIがどれだけ進化しても、最後に扉を開くのは人の熱意、つまり『ヒューマニティー』です。お客様の現場にある『言葉にならない悩み』を汲み取り、心と心が化学反応を起こす。逃げ道を捨てて相手の懐に飛び込んだ時、初めて私は、真のリーダーシップとは『誰よりも責任を負い、誰よりも信じ抜くこと』だと気づかされました」。
「本当の責任とは、失敗して頭を下げることではない。自分がやると決めたことを、成功するまで成し遂げること。」その哲学が、この時の体験を通じて、F.Sさんの心の中に深く刻まることになります。
九州から、この国の潜在能力を解き放つ
九州支店開設から1年。F.Sさんは、自らの経験を通じて確信していることがあります。
「地方には計り知れない潜在能力があります。地方と東京の格差をなくし、地方にいても最先端の技術でキャリアを築ける環境を作ることが、私の新たな使命です。そのためには、私自身がそうであったように、やる気のある若手にどんどんチャンスを与え、早期に成長できる場を提供し続けたいと考えています」。
F.Sさんの軌跡は、ISTという会社が「若手の可能性を信じ、解き放つ」場所であることを証明しています。
「地場の企業が『0次DX』によって成長し、世界を魅了していく。その挑戦のそばで、私たちは常に歩んでいきます。新卒1期生として入り、数々の挑戦と失敗を繰り返して、ようやく本当の責任の意味を知ることができました。退路を断って挑戦し、成長し続けること。それが私の、そしてISTの生き方です」。
エンジニアから人事、そして支店経営者へ。激動の10年を駆け抜け、九州の地で「覚醒」したF.Sさん。彼の熱きヒューマニティーは、これからも九州、そして日本全体の潜在能力を解き放ち続けていくでしょう。