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【前半】経営者、上場を経験……ビジネス一筋で得たスキルと立ちはだかる壁

新卒時代に型破りな営業で数億円の売上を捻出、ベンチャーへ転身し人事・広報部署の立ち上げ、いくつかの業態や事業フェーズで経営者を務め上場を経験した翠さん(42)が2022年6月からカメラブ株式会社にCSOとして入社しました。ビジネスの最前線を駆け抜けて学び得たことや、40代で振り返った人生観について翠さんに伺いました。

名刺1枚から数億円の売り上げに

関西の大学を卒業後、大手人材会社で6年間営業をしていました。私が勤めていた企業にはビジネス界隈でも有名な営業のフレームワークがあったのですが、アプローチ数にひもづいて受注率が上がるといった確率論には違和感を持っていました。当時はフットワーク重視の営業方針にそのまま従うことができず、自分にしかできない営業スタイルを模索し、クライアントの課題や要望をかなえるために何ができるのかを考えてあがいていました。

そんななかで、従業員が数万人在籍する企業との取引拡大をミッションにしたチームが立ち上がり、私も抜てきいただきました。最初は新規の架電やオフィスへの立ち入りも阻まれる状況でしたが、少しずつ窓口を開拓して自分にできる貢献を積み重ねました。信用をしてもらい、数珠繋ぎに決裁者を紹介してもらうことを根気強く繰り返していきました。一年が過ぎた頃には、決裁者の方だけでも500人以上とあいさつを交わし、巨大企業の組織図や内部情報、人材の課題などが自然と耳に入ってくるようになりました。1枚の名刺交換から始めたやりとりが、最終的には数億円規模の取引額に広がり、営業のベストプラクティスとして表彰していただきました。

その後も地縁のない土地で営業拠点の立ち上げを任され、黒字化に向けて奔走するなど、新卒から20代半ばまで大手企業で濃い経験を積ませていただきました。

会社の知名度に支えられていたかもしれない、思い知った自分の実力

28歳になり、大手人材会社から社員数10人程の人事コンサルティング企業に転職しました。前職の人材紹介業は、どんなに素晴らしい人材・企業でもマッチングがうまくいかない限り短期離職や紹介先で活躍ができないケースを目にする機会があります。そこで、人材・企業が成長するために必要な組織作りや制度設計を学びたいと考えたんです。

当初、人事経験のある年長者が集っている少数精鋭の組織において大手企業で営業を数年経験してきただけの私は実力不足を実感せざるを得ませんでした。

大手企業の看板がなくなり、経験のない業態・職務になった瞬間、自分には成果を上げるための自力や専門性・知識がないのではないかと感じました。以前なら、アポイントメント一つとっても大手企業の名前を出すと信頼があるため話を聞いてもらえましたし、営業やマネジメントには一定の型があり、ある程度の成果や品質が担保される環境にありました。これまでの自信が打ち砕かれた感覚がありました。

実感していた力不足を埋めるために、先輩や大量の書籍からのインプットとクライアントに提案するというアウトプットをひたすら高速で繰り返して、クライアントへの貢献が次第にできている実感が湧いてきました。

真の課題を解決するために必要な視点

人事コンサルティング業務は経営者とお話しする機会が多く、自然と視座を引き上げられます。次第に抽象度の高い経営上のお悩みや組織課題を相談いただく機会が増えて、課題解決に対して施策を提案するようになりました。

相談いただく問題点に対して局所的や反射的な解決策を考えているうちは、モグラたたきのように次々と別の課題が生まれてきます。大切なのは、相談内容をうのみにするのではなく、起こっている問題の背景にはどういった原因があるのかを考え、真因は何かを突き止めて解決への道筋を立てていくことです。

たとえば「厳しい上司がいて退職率が高いので、管理職研修をしたい」と相談があったとします。しかし上司が厳しくなる背景に、高いノルマと目標必達の企業文化があったとしたなら、手を入れていくべき内容も大きく変わります。このように例示すると誰でも分かりそうな話に聞こえますが、実際には課題発見や解決策がずれてしまっているケースはどんな職場でも往々にしてあるように思います。

買収先企業の経営者に就任、培った信頼と経験

人事コンサルティングの経験を重ねていくうちに自分自身が当事者となって企業や組織を強くするための意思決定をしていきたいと思い、企業の人事として転職をしました。東京にあるインターネットメディア事業を展開している20人規模のベンチャー企業に飛び込み、人事広報部署の立ち上げをおこないました。

人事広報がうまく回り始めた頃には、初めてつくった子会社の創業社長に抜てきされ、人事・広報・会社の立ち上げという三足のわらじに加え、初めての育児もあって目の回るような忙しさでした。入社4年目になる頃には無事上場を果たし、その後は会社の成長戦略として時間を買うようなM&Aを活発に行うようになっていきました。30代の折り返しを迎えていた私は、CHROとして人事責任者を務めつつ買収先に代表や役員として派遣され、経営の立て直しを任されていきました。

立て直しを図る際に最も苦戦したのは、組織や人の問題でした。いきなり経営者が変わり、新たな経営者が事業のピポッドやリストラクチャリングをおこなっていくので当然既存社員の方からは警戒や反発がでます。

夜になると従業員たちが居酒屋で陰口をたたいているなんて話も耳にしましたし、最初は本音で話をしてもくれません。まさにマイナスからのスタートですが、早期に再成長へと導く役割を背負って派遣されているため立ち止まらずに結果を出していく責任があります。

買収された側は、いままでやってきた活動を否定されたり、変化がもとめられたりとストレスになります。残念ながらたもとを分かつ方も出てきますが、会社のより良い未来を伝えながら事業をどうやったら伸ばせるかを考え、パートナーとしてできる限り現場目線で歩もうと意識しました。速攻性のある施策というよりも、地道に自力を上げつつ、組織の一体感や信頼感を高めながら結果を出していったかたちです。

だんだんと協力してくれる方が増えていき、再成長に向けた戦略の推進力も上がったことで会社の立てなおしに繋げることができました。苦労が多かったので人間力も鍛えられましたし、会社経営における人や組織の持つ力を改めて実感できたと思います。あの時一緒に頑張ってくれたメンバーには心から感謝しています。

はじめて立ち止まり、訪れたのは宮古島

その後、会社は東証一部に市場変更し、飛び込んだ当初は20名程度だった従業員数もグループで500名を超えるまでに成長しました。会社がひと段落した頃、30歳で入社した私も30代の終わりを迎えていました。この節目で、40代もより大きなチャレンジをしたいと考え社会と生活へのインパクトが大きい物流の課題を解決するベンチャー企業に身を転じました。

人事や広報機能を強化するところから入り、徐々に事業側や中期経営計画の策定など経営側にも加わっていき、1年半後には取締役として開発以外の事業領域やコーポレート部門を幅広く管掌していくことになりました。

約3年勤務した間に、試行錯誤しながらも事業や組織の規模を数倍へと急拡大させることができ、まさに順風満帆!と言いたいところですが、コロナによる仕事に対する価値観の変化もあって「会社も従業員もハッピーになれる働き方とはどういうものだろうか」「この会社、この仲間で働くことができてよかったと思える場づくりはどうすればいいのか」といったことを考える機会が多くなっていました。

次の進路を考えようとした際に、恩師や周囲の友人たちから良い機会なので少し立ち止まってゆっくり考えてみることを勧められました。これまで20年にわたって新卒から昼夜問わず働き、会社経営に関わった30代からは寝ても覚めても事業や組織について思考を巡らせる日常でとにかく走り続けてきましたが、充電期間として友人から勧められた宮古島に1人で飛び込もうと決めました。そこで私の仕事観・人生観は少しずつ変わっていきました。

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