エディター・ライターの中村志保さんを聞き手に、FICC代表取締役の森啓子さんが生きる上で大事にしている思想に触れる対談企画。経営やビジネスに生かされるリベラルアーツの考え方や、一つの価値観にとらわれないストーリーテリングの重要性など、生き方のヒントになる話がちりばめられています。今回は後編をお届けします。(前編はこちら)
共同体としての経営
中村:リベラルアーツのような、身近に思考をめぐらす環境を生み出すには、どんな工夫をしていくことが必要なのでしょう。
森:海外のリベラルアーツの大学に留学しなければ、私が体験したリベラルアーツの環境の中にある豊かなものを感じたり出会ったりすることができないのかというと、そうではないと思うんです。私が経営の中でやっているのは、そういうことが理由にあります。
FICCでは、「会社でやったことを家でやってみたんですよ」とか、学校と一緒に取り組みを始める動きがあったり、リベラルアーツをもっと広めたいと教育系のプロダクツを作ろうとしているメンバーがいたり。このように一人ひとりのメンバーが広げていけて、その形も多様であることも大切だなと思います。
恵まれた教育環境であることは理想だとは思いますが、まずは自分の家族とか自分が大切にしているコミュニティからやっていくということが大事かなと。
森啓子(もり・けいこ)米マウント・ホリヨーク大学 BA(文学士)、米マサチューセッツ芸術大学大学院 MFA(美術学修士)課程修了。米国デザイン・広告会社で勤務後、2005年にFICCに入社。2019年に代表取締役に就任。ブランドマーケティングを専門とするFICC。経営のコアに「リベラルアーツ」を掲げ、人の想いや学びを通じて社会への価値を創造し続けるイノベーティブ組織から、ブランドと人の想いが大切にされ続ける社会を目指す。
中村:大きく広げすぎずに、まずは身近なところからですね。ただ、ひとたび見知らぬ人の集団や雑踏に置かれるとすごく他人同士のような感じになってしまって、「人って冷たいな……」と感じるような経験もあります。
森:少し飛躍しますが、もしかすると“矢印”が同じ方向に向きすぎていて、いい意味の雑談的な矢印が足りないのかなと思うことがあります。
形式があることが全て悪いわけではないけれど、そのことで視点や選択肢が限られてしまい、行き詰まってしまう感じはありますよね。
中村:単に形式にとらわれてしまうと、自分で問いが立てづらくなるのではないでしょうか。そうすると、予期していない出来事に出くわすとどう対処していいのかわからなくなるように感じます。
森:先ほど(前編で)お話しした哲学対話をやった理由もそうなんですが、人は不安になると攻撃することがあると思うので、その人がもし緊張していたら「その不安ってなんだろう」と問いかけて、その不安に出会えたら、そこからは討論ではなく「対話」がはじまると思うんですよね。
何か結論づけようとすると恐怖に感じるものだと思うし、決めつけた瞬間に可能性が終わってしまうと思う。ただ、定義されることへの安心感はグラデーションのように人それぞれなので、一緒に共存する上での「最大余白、最小ルール」というのはなんだろう?と、最近は考えています。経営も共同体なので、同じですね。
個々の物語を紡ぐストーリーテリング
中村:話しやすい空間にするために、森さんが具体的にしていることはありますか?
森:ストーリーを紡ぎ続けている感覚に近いです。ストーリーテリングができるのは人間だけだと考えているので。ストーリーは物語なので書かれているものだったりしますけど、テリングというのは人が人に話して聞いてもらうということですよね。
自分も含め、社内のメンバーの一人ひとりが語るストーリーテリングに出会い続け、自分が経営者としてどう紡ぎ直すか、ベクトルを感じながらどちらへ舵を切っていくのかと考えています。
右:中村志保(なかむら・しほ)1982年ニューヨーク生まれ。慶應義塾大学文学部美学美術史学専攻卒業。ロンドン大学ゴールドスミス校にてファインアートを学び、同校メディア学部イメージ&コミュニケーション専攻修士課程修了後、保険会社に勤務しながら作品制作。その後、『TRANSIT』編集部、『美術手帖』編集部、『ARTnews JAPAN』エディトリアルディレクターを経て、現在はフリーのエディター・ライター。
森:私は、経営は創造だと考えているのですが、これまでのビジネスは、限られた資源の中でどう勝つための戦略を描いていくかが主流でした。でも、マーケティングや経営を考えた時に何のために行うのかの動機や想いの源泉となる資源は私たち「人」そのものだと思っています。そして、それは誰しもがストーリーテリングから資源を創造することができる。
一人ひとりの想いを起点としたストーリーテリングを大切な資源として、創造し続けていく経営を行う中でのリーダーシップとは何かを考えています。ハイコンテクスト、ローコンテクストという考えがありますが、日本は歴史的背景もあり日本語という言語自体もハイコンテクストなので、明確に言葉にしなくてもお互いわかることが多いですよね。でも、英語はすごくローコンテクストな言語だから解釈に余白があってはならないという部分がある。
FICCが信じるこの経営を行っていく時に、共同体にとってのコンテクストを感じ取るようにしています。「今、これはちょっとハイコンテクストすぎるな」といったように、かなりオーガニックな経営の仕方だとは思いますが。
中村:そのような思想に基づいたFICC社内の変化を感じていますか?
森:私は創業2年目にデザイナーとして入社して、その後プロデューサーを経て、代表として経営に関わるようになりました。当時に比べると社内の文化が少しずつ変わってきているのを感じます。
だんだんとマーケティングを主力とする会社に変化を遂げて、知識やフレームワーク、データに強くなって。課題を解決して価値を提供していくために大切なことではあるのですが、これだけだと教科書の在り方を追究していく傾向になりがちなので、4年前に代表に就任してから、余白を大切にした経経営の姿に変わり、知識も大切にしながら、一人ひとりの想いから価値を創造する今のFICCの姿になっていきました。
中村:そこで生かされたのが、森さんがこれまでリベラルアーツの環境で培ってきた思想なのですね。
森:私自身が経営者である前に、人として何を大切に生きていきたいのかに向き合いましたね。
今、自分が存在していること
森:ここでお聞きしたいのですが、中村さんはどうしてアートと言葉に関わる仕事をすることになったのですか?
中村:少し遠回りな話になりますが、小さい頃から結構悩むタイプというか、「死が怖い、無が怖い」という思いがすごく強かったのかなと思うんです。今もそれは変わっていないのですが。
森:それは、世界の無? 自分の無?
中村:自分の無、ですね。だから、自我や自己顕示欲が強いのではないかなと思います。とにかく、その恐怖心を抑えるためには、先人たちが悩んだ中で書いた本を読むことが心を落ち着かせる一番の方法だったんです。特に近代文学が好きで、中高生の頃は読み漁っていました。本を読むとこれだけ著名な作家がこんなにも悩んでいたんだと知ると、ああ大丈夫だなと思えて。
一方で、私の父親がカメラマンをしていたので、家には写真集や写真作品があって、母も美術が好きな人なので画集も多かったんです。そのためか、ビジュアルと言葉というものがすごく自分の中ではつながっていたような気がします。文章だけが並んでいる本のページも、余白やひらがなと漢字のバランスによって絵のように見えたり。また、単語を入れ替えたり、読点を打つ位置が違えば、文章がまったく異なるものになってしまうことにもすごく興味を持っていました。
大学で美術史を専攻したこともあって、自分の中でごったになっていた写真と絵と文すベてがつながるようなアーティストの存在にも出会って、どんどん面白くなっていった感じです。
森:面白いですね。先ほど自我の話がありましたけど、そのようなプロセスの中で変わっていきました?
中村:今も「無」への恐怖はあまり薄れていないですが、無駄なプライドみたいなものは、旅をしたり仕事をしたりする中でだいぶ無くなったと思います。自分のプライドなんて根拠のないものだったなと気づく経験も多く、すごく生きやすくなったなと。
森:哲学対話でもみんな結構「死」への恐怖の話をしていました。対話の中で、私はあまりその感覚がないということにも気づいた体験でした。リベラルアーツに向き合う中で、自分の家族や祖先の話もあるのですが、古代ギリシャ・ローマから受け継がれているその大きな人類の時間軸の中に自分という存在がいる感覚が強くなっているからかもしれません。
中村:宇宙の歴史を考えたら地球ができて人間が生まれたのなんて本当に最近のようなもので、自分の存在はさらに小さなものだと頭ではわかるんですけど……。
森:過去の人からバトンを渡されたような感覚もあるんです。自分の人生の中で選択してきたことや起こしてきた行動の中に、実はリベラルアーツの歴史の中で生きてきた人たちの軌跡があったことを大人になってから知ったり。その中に、自分の家族や祖先の存在があったり。そんな時間軸の中に、自分の存在を感じるようになりました。
中村:今のお話を聞いて、死への恐怖が強いのは、もしかしたら自分の祖先の系譜をほぼ知らないためかもしれないと思いました。知っているのは、おばあちゃんおじいちゃんくらいまでというか。頭では親の親の親……とずっと血が続いていることがわかってはいても、肌身をもって感じた経験が薄いのかなと。プツンと糸が切れてしまっていて、自分だけで生きている感覚がどこかにあるのではと思います。祖先のことを調べてみるのは大事なのかもしれないですね。
森:それはあるかもしれません。どういう想いで命が紡がれてきたのか知る機会になり得ることがあるかも。
中村:もしかしたら全然ゆかりのない土地に住んでいた先祖がいるかもしれないし、何か視野が広がるような気がします。
問いを共有するクロスシンク・ワークショップ
中村:さてお話も終盤になりますが、森さんが経営者として大事にされていることをもう少し深くお聞きしたいと思います。
森:ビジネスや経営の世界というのは、短期的な圧力との闘いです。短期でいかに利益を上げるのか、と。それを無下にしてはいけないですが、長期的な思考の中の短期なのかと考えることができた時に、本当の意味での長期的なことができるので、常にどの視点で見ているのか自問自答していますね。
例えば、人がどう感じるか、世界をどう見るかといったテーマは一年で捉えるものではありません。メンバーの一人ひとりがこれが素敵だなと思っているタネみたいなものを、短期だけで判断すると育てることができない。どうやったら存続させられ続けるか考えた時に、互いを信じ合うことが大切で、だからこそストーリーテリングが大事にされる共同体を守り続けていきたい。そのためには自分自身の感覚が鈍らないようにする必要があると思います。
もう一つ、同時に勇気も必要だなと思います。目の前に投げてしまうのではなく“遠投”する勇気。ビジネスにおいても、経済価値を生み出すだけではなく、自分や誰かの思いもそこに存在させながら成功している姿ってなんだろう?と、真剣に考え抜いて遠投するイメージです。何かする時に、遠投した分の距離が価値に繋がると考えています。
中村:先ほど社内で哲学対話が行われているとお聞きしましたが、他にも具体的な取り組みがあるのでしょうか。
森:この何年か、「クロスシンク・ワークショップ」というのを毎月続けています。テクノロジー、ウェルビーイング、コンテクストなど、さまざまなテーマで対話をするのですが、その際に「自分の興味や純粋な想いから思考の旅に出よう」と伝えています。純粋に自分の心の赴くままに旅に出ることが、自分を知る行為でもあると考えているためです。
毎月の全社会の2週間前に、テーマと自由な思考の旅への投げかけを全社に行います。そして当日、完全にランダムにチーム分けしたメンバーで対話します。その中で、もしかしたらこれとこれを掛け合わせたら、何か見過ごしてはならない、新たな視点が見えてくるのでは?といったように問いづくりをしていきます。自分が専門性を持つ分野から思考の旅に出てもいいし、例えば親として日常の中で感じていることから思考の旅に出てもいい。
想像もしていなかった問いが生まれてくるのは、同じテーマであっても、持ち寄られ対話されるものが、異なる一人ひとりの想いやストーリーテリングであるからです。誰ひとり否定されるのではなく、そこに集まる人たちだからこそ生まれた問いや、その体験自体が豊かであることに出会うこと。クロスシンクから生まれた種が、実際のビジネスの価値につながっていくことやプロジェクトとして形になっていくこともあります。
中村:リベラルアーツに基づく森さんの思想が体現されたいろいろな取り組みがあって、FICCは先進的な会社ですよね。実は今日の対談をしているこの場所は、FICCで広報を担当されている深澤枝里子さんがセカンドジョブとして働いているバーだとか。
副業って一応はOKになっていても本業のほうには少し後めたいというか、あまり言わないようにしているような先入観を持っていたので、面白いなと。社内では副業をもっている人は多いのですか?
森:そうですね。例えばFICCでデザイナーをやっている人が、イラストレーターとして本の装丁画を描いていたり、アーティストとして活動していたり。地方創生の文脈で地域のブランドのブランディングを支援している人もいます。実は、副業したいと伝えてもらう際に「申請」という言葉を使うのもやめて、合意形成というスタイルに変えたんです。何をやりたいのか、それを仕事にどう繋げたいのか、また反対に、会社でやっていることをどのように繋げたいのかを想いと共にプレゼンしてもらって、一緒に役員と話しながら「こんな共創ができたら可能性がもっと広がる」とお互いに意見を出し合う感じです。
中村:例えばバーで副業するとなると本業の業務に結びつくイメージがあまり湧かないのですが、相乗効果みたいなことは起きていますか? 今日は深澤さんもいらっしゃっているので、一言いただけたら嬉しいです。
深澤:部署が違って普段はあまり接点がないメンバーたち社員も来てくれて。いつもとは違う雰囲気の場で、「こういうこと相談していいかな」とアイスブレイクが生まれているんですよね。仕事の場では知らなかったその人の側面を知ることができて、こちらも今度お願いしてみようかなと思えたり。最初は外部の人に対するコミュニケーションスキルを磨きたいという想いが強かったので、始めたのですが。
深澤枝里子(ふかさわ・えりこ)FICC広報
中村:仕事を離れた場では普段とは違う話に発展することもあるし、その人の異なる一面が見えたりしますよね。納得です。
森:一人ひとりのストーリーテリングが大切な資源として創造し続けていく経営を目指す時に、人として向き合う広報の在り方も、これまでの枠に囚われない考えが必要なのだと、深澤さんが教えてくれました。
中村:現代社会の変化とともに変わる働き方にも柔軟に、先進的に取り組まれているのですね。そして、そこには、古来のリベラルアーツという思想が大きく生かされていることがよくわかりました。また、今日お話しさせていただいた中で、私自身も新しいものの見方を発見できたように思います。今日はありがとうございました。
森:こちらこそ今日はざっくばらんにお話ができて楽しかったです。どうもありがとうございました。
東京・白金台にある「BUNNY LAKE BAR白金」にて取材を行いました
撮影:後藤真一郎