SNS発信が「仕事の一部」になるまで
時間管理ではなく、意識の問題
ここ数日、仕事に追われてSNSに投稿する余裕がありませんでした。
しかし、これは単なる時間管理の問題ではないと反省しています。根本的には「SNS発信が、自分のルーティンワークに組み込まれていない」ことの表れだと考えています。
2025年になってようやく重い腰を上げ、SNSを通じて自分の考えや事業を外に向けて発信しようと決意しました。遅すぎるかもしれませんが、私にとってはこれが自然なタイミングだったのだと思います。
なぜなら、私はずっとSNSという場に対して「ある種の距離」を取ってきたからです。
SNSの息苦しさと距離感
SNSは確かに便利なツールです。誰でも自分の声を発信でき、人と繋がることができます。
しかし同時に、そこには少し息苦しさも感じていました。
誰かの意識の高い言葉。誰かの壮大な理念。誰かの完璧な成功体験。
これらを否定するつもりは全くありません。ただ、私がSNSで発信を続けられなかったのは、そういった空気に自分がフィットしないと感じていたからです。
「ビジネスのため」という明確な理由
私がSNSで発信を強化しようと思った理由は、率直に言えば「ビジネスのため」です。
誰かを救いたいとか、社会を変えたいとか、そういった壮大な想いは正直なところ持っていません。もし仮に、結果として社会が変わったり誰かの人生に影響を与えることがあるとすれば、それは"結果論"でしかないと考えています。
プロダクトやサービスが社会に受け入れられたとき、その延長線上に「変化」があるのだと思います。最初から壮大な目的を掲げているわけではなく、目の前の顧客にとって、どれだけ使えるものか、役立つものかを考えています。
「想い」先行への違和感
だからこそ、SNSに溢れる「想い」に、どこかで身構えてしまっていました。
正直なところ、そういった投稿を何百回も見てきましたが、その多くが成果の定義が曖昧な無形商材を扱っている方のものであることが多いように感じました。
想いは語れる。けれど、そのサービスで何がどう改善され、どう変化するのかが曖昧なまま、言葉だけが先行している。そういう世界に対して苦手意識を持っていました。
だから、SNSとの距離感は「意図的なもの」だったのかもしれません。
自分のスタイルで発信する
しかし、今は状況が違います。
私が届けたいサービスや考え方は、地に足がついていると感じていますし、それをきちんと届けるためには「SNSを仕事の一部にする」必要があると考えています。
発信する内容も、言葉も、見せ方も、自分のスタイルでやればいいのです。他人の真似をする必要はありません。必要な人に、必要な言葉が届けばそれで十分です。
「やって当然」の仕事にする
だから今日から、また投稿を再開します。
続くかどうかはまだわかりませんが、「やらなければならない」ではなく「やって当然」の仕事にしていくつもりです。