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ファイナンシャルアカデミー創業ストーリー






時は2001年9月の終わり。
せわしなく聞こえていたセミの鳴き声が落ち着き、夏が終わろうとしていた頃。「総合マネースクール」という、ファイナンシャルアカデミーの設立構想が産声を上げました。

ファイナンシャルアカデミーの創立者である泉 正人は、当時26歳。会社員から独立して、ITの会社を経営していました。独立といっても、オフィスは6畳にも満たず、社員は自分ひとり。今でいうフリーランスのような、ささやかな起業です。

独立したばかりの泉は、休む間もなく無我夢中で仕事をしていました。電話やメールでの顧客対応に始まり、商品の発送、経理、そして営業までを一人で行っていたのですから、その忙しさは相当なもの。毎日が一瞬のように過ぎていきました。

そして独立して半年、やっと安定して売上が立つようになったその時、泉の頭の中にある一つの疑問がよぎりました。

それは、「社会人として生きていくうえで必要なお金の知識を、なぜ学校では教えてくれないのだろう」ということ。

その時、泉は、ある「お金の壁」にぶち当たっていました。やっと会社に売上が立つようになったにも関わらず、貯蓄がまったくできず、生活がまわらないのです。

もともと、あればあるだけお金を使ってしまう性格だった泉。当時は、欲しいと思ったら、15万円のサーフボードも、身の丈に合わない大きな車も、平気でローンを組んで買ってしまっていました。会社が軌道に乗る以前には、年収が150万円ほどしかない時期もあったのに、生活費が不足しても家計簿をつけたこともないし、自分が毎月いくら使ったかも把握できていない。

会社を経営しているといっても、決算書の読み方も知らなければ、キャッシュフローという言葉も、その意味も知らない。そんな状況です。教育に熱心だった両親からは「よい仕事について、できるだけ貯金しなさい」と教わってきましたが、肝心のその方法がわからない。

「自分はあまりにもお金の知識が欠けている」。泉は、お金の知識がないままでは、ビジネスにおいても、生活においても、これ以上大きな成長は見込めないということに気づきました。

そして、どうすればお金の知識が身につけられるかを考えた結果、ひとつのアイディアがひらめいたのです。

「いっそのこと、お金の勉強ができる学校を自分で作ってみたらどうだろう」。

講座を運営しながら自分もそこで学べば、教育という新たなビジネスをしながら、自分の生活の向上にもつなげられる。お金の知識がなくて困っているのは、自分だけではないはずだ。きっと他にも同じように困っている人はたくさんいて、その人たちの役に立つことができるはずーー。こうして泉は、自己投資も兼ねて、金融経済教育を行う総合マネースクールを立ち上げることにしたのです。2002年、27歳のときでした。


設立間もない頃のオフィス


初めて開催したセミナーの様子


ここからの3年間は、ファイナンシャルアカデミーにとって、とても大きな意味を持ちます。なぜなら、私たちにとって決して今後も揺らぐことのない”3つの根幹”ができあがった3年間だから。

泉がファイナンシャルアカデミーを立ち上げた当時、お金の勉強ができるところといえば、ほとんどが証券会社や保険会社などが主催している無料セミナーでした。片っ端からこうしたセミナーに参加してみましたが、そこで語られるのは、講師が自社の商品を購入してもらうためか、その役割を託されたファイナンシャルプランナーなどが講演料をもらうための、言わばただの「営業トーク」。そして当然ながら、主催者にとって不利な情報は語られません。

「これでは、客観的でニュートラルな知識、自分にとって正しい選択を学ぶことはできない。金融商品や不動産を売らずに、受講生にとって本に有益な情報のみを届けよう」。私たちが何よりも強いこだわりを持っている「絶対的な中立性」は、ここで誕生しました。

知識もノウハウも、実際に結果を出している人から学ぶのが一番確実で早いはず。どこかで聞いたような話をする評論家からでもなく、資格を売りにした専門家からでもなく、もちろん営業マンからでもなく、”自分自身で成功している人”から、生きたノウハウやお金の使い方などを学べるようにしたい。そんな想いで、実際に投資をして稼いだ投資家、実際に起業して成功した起業家を探し出しては、ひとりずつアプローチをしていきました。

今でこそ著名な講師から「ファイナンシャルアカデミーの教壇に立たせて欲しい」というオファーをもらうことも多くなりましたが、当初は無名ですから、断られるのが当たり前。それに、実際に大きな成功を収めた人というのは、なかなか表に出たがらないのです。

それでも最初の3年間で300人を超える方々に会いに行き、泉が自ら講座を運営しながら必死でメモをとって勉強し、勉強したことを自分で実践し、検証し、小さな失敗を繰り返しながら普遍的な法則、再現性のある方法を見つけ出しました。こうした積み重ねによって、知識を身につけるだけでなく、即効性のあるノウハウとして目の前の生活やビジネスに役立ったり、株式市場や為替市場などのリアルなマーケットで投資家として結果を出せたりといった「実践的」なスタイルが確立されていったのです。


初の大阪でのセミナー。次なる展開に向けた大きな一歩だった


毎日めまぐるしくセミナーを開催。オフィスは資料の山に埋もれていた


そして、毎日のように講座を開催し、数え切れないほどの講師の話を聞くうちに気づいたことがあります。それは「断片的なセミナーだけでは考え方や知識がしっかりと定着しない」ということ。

野球が上達したかったら、いきなりホームランを狙うのではなく、まずは素振りやキャッチボールを練習するように、何事にも基礎があって、応用がある。健康になりたかったら、好きなものだけ食べるのではなく、健康維持のために必要な栄養を知る必要があるように、全体像が把握できてこそ効率よく実践できる。お金の勉強も同じなのではないかーー。

こうして生まれたのが、他にはない、必要なお金の知識が「体系的」に学べる「スクール」というスタイルです。不動産投資スクールからスタートし、現在では「株式投資」「外貨投資・FX」「不動産投資」「投資信託」「お金の教養」「定年後設計」の6つのスクールに約6,000人の現役受講生が通うまでになりました。

「絶対的な中立性」「実践的」「体系的」。私たちがとても大切にしている”3つの根幹”はこのようにして誕生し、そして今でも講座の運営から教科書制作、サポート体制に至るすべてにおいて絶対に守るべきものとして受け継がれています。

かつて、お金の正しい使い方を知らず、貯蓄や投資はおろか、あればあるだけ使ってしまっていた泉。しかし、そんな泉が「知りたい」「勉強したい」という気持ちを原動力にお金の教養を身につけた結果、しっかりと貯蓄ができるようになったのはもちろんのこと、660万円を元手に始めた不動産投資で気づけば20億円近い不動産を取得し、2億円以上の家賃収入を得ることができるようになりました。


飯田橋に本社があった頃の自社教室。受講生が増え、すぐに教室が不足するように


そして、お金について学ぶこと、人生について考えることの大切さを伝える著書は30冊以上になりました。東京だけでなく、大阪校、ニューヨーク校もできました。スクールのパッケージも、より親しみを持ってお金の勉強をしてもらえるようにとスタイリッシュに生まれ変わりました。


泉の著書の数々。海外でも翻訳版が出版され、累計発行部数は170万部を超えている


誰にでもわかりやすく、理解しやすいよう丁寧に編集された教科書


周りを見渡せば、「金融経済教育を日本に広めたい」という想いを同じくする仲間に囲まれるようになりました。2018年には、丸の内本校をオープンするとともに本社も移転しました。2020年の今、ファイナンシャルアカデミーグループの社員は100人以上。みんな泉の想いに共感して集まった、”同志”ともいえる仲間たちです。


丸の内にある本社オフィス。



2020年1月からプロサッカーの川島永嗣選手も公式アンバサダーに


お金の勉強、というと「なんだか難しそう」と感じる人もいるかもしれません。投資、というと「リスクがありそうで怖い」と感じる人もいるかもしれません。でも、誰一人、お金と無縁で生きられる人はいません。食事をするにも、雨風をしのぐにも、電車に乗るにも、お金が必要です。

それなのに、多くの日本人は、義務教育で学ぶ機会のないまま社会に放り出されています。

だから、今からでも、正しい「お金との付き合い方」を学ぶ必要があるのです。私たちはこうした、大人が身につけるべきお金の知識を「お金の教養」と呼んでいます。

2020年、私たちはミッションを「すべての人に、金融経済教育を。」から「すべての人に、お金の教養® を。」へと変更しました。その背景にあるのは、「お金の教養」という私たちのコアな考え方を、よりこだわって、より丁寧に世の中へ伝えていきたいという想いです。

2001年9月にふとしたひらめきから誕生した、総合マネースクール「ファイナンシャルアカデミー」。このフロンティア精神、そして一人でも多くの人に金融経済教育を届けたいという想いはこれからも変わることなく、続いていきます。

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