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モリアゲ社長ストーリーVol1:普通だったのは、高校生まで。

みなさん、こんにちは。

エンドライン株式会社(屋号:モリアゲアドバイザー)の代表取締役の山本啓一と申します。
今回かより勝手に連載『モリアゲ社長ストーリー』をお送りします。



私たちモリアゲアドバイザーは、「世界一モリアゲる。オモシロく。」をVisionとする会社です。



2004年に産声を上げた当社の歴史を改めて振り返り、初心を忘れないようにと思い、筆をとりました。

そして、少しでも皆さんがただただ『モリアガり、オモシロく』過ごせるようにと願い。

私は、
大学中退→福岡吉本で芸人→フリーター→サラリーマン→社長
という異色の経歴を持っています。


ちょっとだけそのオモシロ半生にお付き合いくださいね。


中途半端な学生時代

私は1973年1月8日大阪府茨木市で生まれました。3歳で千葉県柏市に引っ越したので、大阪での記憶はありません。「大阪生まれ」と言うと、「だから芸人やっていたんだ~」と言われますが、実際は全く関係ないのです(笑)。



幼稚園時代は女の子とばかり遊んでいた記憶があります。女の子好きな遊び人ではありませんよ(笑)私は今でこそ芸人をやったり、社長をやったりしていますが、幼稚園の頃は内気で思ったことを言えない気が弱い子でした。


そんな幼稚園での想い出の1つに、かけっこがあります。内気な私でしたが、足は速いほうでした。私が2位で走っていたら、前を走っていた1位の子の靴が脱げてしまったのです。私は逆方向に走り、その子の靴を拾って渡しました。靴を拾っている間にどんどんと他の子に抜かされ、結果は最下位だったという「お人よしの逸話」があります。かなり競争力のない子どもでした。しかし、それは年齢を重ねていくうちに解消していきます。



小学生時代、両親は共働きで、毎日夕方6時半までは1人でした。そのおかげで、いろんな友達と遊ぶことができました。何か1つのことに打ち込んだこともあまりなく、本当に普通の小学生だったと思います。
ただ、4年生の時にいじめられていて、学校に行くのがいやだなという時期が1年ほどありました。今考えると陰湿ないじめでなく、帰りにランドセル引っ張られる程度ことでしたが、当時はひどく傷ついていたのです。


その経験があってからか、今でもいじめのニュースがあると必要以上に反応してしまう自分がいます。



中学生になり、バスケットボール部に入りましたが、全く努力もせず補欠中の補欠で、さしたる成果も出せませんでした。
 

3年生まで続けていましたが、試合に出ることはほとんどなく過ごしました。中学3年生になると、バスケよりも「おニャン子クラブ」(今でいうAKB48や乃木坂48に近いアイドルグループ)にうつつを抜かし、バスケもサボっていました。


その後、偏差値50ちょっとの平均的な高校に入学して、ハンドボール部に入りました。何かに打ち込むこともなく、適当に部活もこなして、普通の生活を過ごした3年間。入部したハンドボール部は、2年で辞めてしまいました。


 なぜなら、私自身ハンドボールに興味がなく、また全く上達しなかったからです。結局、後輩にも抜かれ、居場所がなくなってしまったので辞めました。



 言い訳になりますが、この時期足首の怪我をしてしまい、数ヵ月間は練習できなかったのも退部の理由になりました。


勉強のほうもイマイチで、高校2年生の時には、学年で最下位に近いほど学力が低下しました。高校自体が。あまり偏差値の高くない高校だったのですが……(笑)。



さすがにヤバいと思い、2年生3学期になり一念発起! 朝5時に起きて勉強するようになったのです。すると、3年生になった時、進学クラスでほとんどのテストで1位を獲得するほどまでになりました。



実は「努力すれば勝てる」という成功体験は、今も精神的に下支えになっています。

苦しくなるとこの時期頑張ったことを今でも思い出し、自分を震え立たせます。



3年生にもなると大学受験がやってきます。私たちの世代はベビーブームで子どもも多く、競争が激しかったです。

私の行っている高校から福岡大学に入学するのは至難の業でした。
 

そのため、多くの同級生は推薦入試で福岡大学に入るという選択肢をとっていました。私も多分に漏れず推薦入試を受けました。


推薦入試は面談があったので、担当教師と面談をしているとよく怒られていました。


「何が理由で怒られていたのか?」は覚えていないですが、無性に腹が立ち「あ、僕は推薦入試で合わないのでどうでも良いです」と言い、さらに先生を激怒させた記憶が……。


 私は稀にそういう発言をする時があったので、結構心の底では頑固で気が強いのかなと思っています。



さて推薦入試の結果は、「思えば叶う」ということわざのごとく落第でした。


推薦入試で不合格の人が一般入試に受かることは、まず難しいという状況です。とは言え、選択肢もないので2月頃に行われる一般入試へ最終チャレンジになりました。



 先ほども話した通り私の学校から一般入試で合格するのはかなり厳しく、200名近く受けて毎年4名通れば良いほうでした。しかも進学コースからしか通らないという状況です。私は、再度追い込みで勉強して、一般入試を受けたところ、福岡大学の2の学部にも合格していました。


200数十名受けて通ったのは、たったの4名。他の3名は理系進学クラスで、雑草系学生は私のみ。


2年生は最下位だった私が、3年生の最後には勝利!
とても喜んだ記憶があります。


器用ではないので人より時間はかかるけれど
本気で頑張れば最後の最後は悪いようにならない



今振り返れば、この時期に人生における1つの軸が出てきたように思います。


vol2はこちら


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