2019年3月にキュービックに入社し執行役員兼CDOとして、デザインはもちろんのこと、経営から組織作りまで幅広い役割を担っている篠原健さん。映像ディレクターから3社のCDOを経験してきた篠原さんが考える「デザイナーのあり方」、また、自身が持つデザイン組織の今後についてインタビューしました。
幼少期の「創造」する遊びがキャリアの選択に影響
── まずは篠原さんの幼少期の頃からお伺いしたいのですが、どんな幼少期を過ごされていたのでしょうか。
小・中学生の頃は文化祭や、催しの出し物で脚本、演出を好んで担当していました。また、父親はガジェット好きで、ビデオカメラやファミコン、VHSテレビなど、発売されればすぐに買ってきました。僕はそれを勝手に使い動画や映画を自主制作していました。幼少期からの僕の遊びは「創造」だったので、それが今までの自分のキャリア選択に影響しているのかもしれません。
── それからどのように映画の世界へ踏み込まれたのでしょうか。
当時持っていたカメラが、今みたいに綺麗に撮れるカメラではなかったこともあり、自分に制作の才能がないと感じた上、「映画を見てものを言う人」に対する漠然とした憧れがありました。それがきっかけで、一度ものづくりをやめ評論家になろうと思いました。
それからはアルバイトのお金を全てレンタルビデオにつぎ込み、大学時代は1日3本を目標とし、年間1000本以上の映画を見ていました。そうしているうちに映画の世界に惹き込まれていきました。
その頃はインターネットが発達していなかったため、映画の最後に出てくる映画会社の名前のメモを取り、片っ端から「何でもいいから働かせてほしい」と電話をしました。その中で一社だけ「手伝いからでよければくる?」と言ってくれた会社があり、そこで働き始めたのをきっかけに映画の世界に飛び込みました。
映画業界にいた頃で印象に残っているエピソードは、三谷幸喜さんと一緒にお仕事をしたことです。三谷さんの人柄が素敵で現場も面白く、とても楽しかったのを覚えています。三谷さんと出会ったことで「本当に才能があって力のある人は、何をしても成功するのではないか」と思うようになりました。そこで、自分はここに固執するのではなく、いろんな世界を見て、力を発揮できるような人になる方が良いのではないかと思い映画業界を離れました。
── 次は音楽系映像制作会社へ入社されていますが、どのような経緯があったのでしょうか。また、当時はどのような経験をされたか教えてください。
映画業界を離れたときにもう少し小さいところでディレクションをしたいと思っていたのですが、当時の音楽業界は調子もよくPVが流行っていて、ディレクションをやらせてもらえる環境が魅力的だったので入社しました。
そこではアートディレクターとディレクターを兼任していたので、アフターエフェクトなど含めアニメーションやグラフィックなどにも携わっていました。ただ、業務を続けているうちに自分の作りたいものと周りの人が求めるものの違いに悩み会社を離れ、本当の自分を見つけるために賞取り目的の自主制作をはじめました。
やるからには賞を狙い、賞が取れなかったらものづくりの世界をやめる覚悟でいました。結果として、賞を取ることができたので、ものづくりの世界は離れなかったですが、同じ事を続けていてはダメだと感じ、エンターテインメントの世界から商業の道に進みました。
エンターテインメントの世界から商業の世界へ
── 次に博報堂アイ・スタジオへ転職されていますが、どのような経験をされたのでしょうか。
2004年に映像ディレクターとして入社し、企画や演出に加え、現場で撮影なども行なっていました。クライアントに訪問に行くことも多かったため、クライアントの意見を直接聞くことができ、とても勉強になりました。最終的には、アートディレクターと映像ディレクターの2つの肩書きをいただき、徐々にクリエイティブチーム全体を見る役割に変わっていきました。
その頃、現在でいうカスタマーエクスペリエンスのように全体のユーザーとの接点をどう作り上げるかを考えるのに、代理店のように分業するのではなく、一人の人が全体を考える時代に変わってきていました。それに強く共感し、次は一人で全部設計できるような環境にいきたいと思ったのが次のキャリアに進もうと思ったきっかけです。
── 株式会社McCann Erickson Japanではクリエイティブディレクター(コミュニケーションディレクター)という肩書きだったと思いますが、当時思い描いてたコミュニケーションディレクターとはどのようなものでしたか。
デジタル、CMなど媒体を超えて、何が一番クライアントにとってユーザーにリーチできるのかをゼロから考え、設計し、ものを作るところまでがコミュニケーションディレクターの役割ではないかと考えていました。また、一人の頭でまず線路を引き、その線路に必要な車両を用意するように一人でプランニングし、適材適所で人の協力を得るのがゴールへの近道ではないかと考えていました。
── 数社の転職を経て、事業会社に行こうと思った背景はなんだったのでしょうか。
東日本大震災を経験し、直接人を助けるサービスや課題解決など何かやりたいときにそれが実現できるような事業会社にいきたいと思いました。そのときの企業選びの軸は「自分たちで意思決定をして推進ができる組織であるか」で、ドリコムはそこがマッチしたので2012年に入社しました。
── 株式会社ドリコムではどのようなことを担当されましたか。
デザイン部の部長からクリエイティブ領域の執行役員をやらせていただきました。デザイナーから役員へのキャリアとして、当時一般的ではありませんでしたが、社長や経営陣の方々によるデザインへの理解があったからこそ、クリエイティブ領域の執行役員の実現ができたのだと思います。
役員になる前の部長の仕事としてはマネージャー統括的存在で、ビジョンを描くというより組織を作ることばかり考えていました。就任後は事業部ごとの縦割りのデザイン組織から、横軸の組織をどう作るかに変わっていき、最初20人だったデザイン組織が気付いたら60人まで拡大しました。
組織づくりをするようになってから、会社をプロダクトと置き換え、プロダクトの中で組織デザインをするという考えを持つことで現場にいた頃と同じ考えで取り組むことができました。さらに、組織の素材は人で、人は生きているのでパソコンでデザインを作るのとは違い、動いたり感情を持ったりします。それがより面白いと感じました。
その中で経営の方向性の違いと自分が今後追求していきたい領域に違いが生まれてきたことをきっかけに次のステップへ進もうと思いました。
CDOヘの挑戦
── 株式会社SpeeeへCDOとして入社経緯を教えてください。
ドリコムの反省として感じていたのは、結局組織デザインしかできなかったということです。その時期からCDOという言葉を知り、意味を調べたり、自分の思考性と合うのかなど考え始めました。そこで会社のブランディングや組織を作る、事業をグロースさせることなどCDOの役割とSpeeeが求めていることが一致しました。それらを成し遂げてみたらどうなるんだろうとワクワクしたことと、社長や役員の方々が「デザイン思考」や「デザインマネジメント」について理解や関心を持ってくれていたことにも魅力を感じ、入社を決めました。
実際に入社してからCDOとしての自覚をもち、デザイン組織が立ち上がるまでは一年半くらいかかりました。当時は何もかもが初めてで全てが手探りだったため、課題解決やビジョンを描くことなども模索しながらやっていたので少し時間がかかってしまいました。
── その後、株式会社NextBeatでもCDOを経験されて、今に至る篠原さんですが、篠原さんが考える「CDOの定義」は何でしょうか。
一番の仕事はビジョンを描くことです。その会社、その事業に合わせてビジョンを描くことができるかが一番必要な資質だと思います。ビジョンを描いた先に組織、事業、会社全体のブランディングの3つの領域でどうするかを決めていきます。
3社でCDOを務めて共通して気が付いたことは「デザイナーが働きやすい環境が少ない」ということです。そもそも環境づくりに力を入れている会社が少ないため、3社ではデザイナーの環境づくりに力を入れてきました。なぜなら「環境作り=組織作り」だと考えているからです。また、組織が作れないといいものが作れないと考えていたため、まず環境づくりに力を入れていました。
── 「デザイン経営」宣言ではいかに経営層のデザインリテラシーを高めてもらうか、デザインを企業の競争優位性としていかに活用するかが取り上げられていますが、そこに関してはどう取り組まれていますか。
取り組んでいる内容をシンプルにいうと設計と課題解決になります。それに加えて重要になるのが、ブラックボックス化してしまっているデザイナーの動きを可視化してあげることです。デザイナーの仕事は結局プロダクトの見栄えに落とし込まれた時に判断されることが多いですが、その前のプロセスが求められる時代になってきています。しかし、そこは見えない部分なのでそれをどれだけ見える形にし、理解してもらうかというところに取り組んでいます。
デザイナーの動きを可視化し、理解してもらうことは組織にとってとてもいい影響があります。例えば、みんながデザインに興味を持って本を読んでくれたり、デザイナーに自ら声をかけてくれたり、デザイン部署に異動したいと思ってくれる人が増えました。みんなが見えなかった部分が可視化されたことで、共感を得ることができ、仕事のしやすさが歴然と変わりました。
キュービックで目指す、本質的なインハウスデザイナーの集団
── キュービックに入社するときの期待感と今のデザイン組織の状況について教えてください。
代表である世一はマーケッターであり、なおかつデザインに関してとても理解がありました。それに加え、キュービックはマーケティングだけでなくデザインの会社だと感じ、一番自分がやってきたことを本質的に理解し、後押ししてくれるのではないかという期待感を持ちました。そして、キュービックが世界に影響を与える企業になった時にデザインがきちんと寄与した会社になるのではないかという可能性を感じたのがきっかけで、2019年3月に入社しました。
キュービックという企業はマーケティングとデザインの会社です。事業領域として大きいのは、メディア事業です。世間でいうメディアとは、PVメディアとCVメディアの2カテゴリに分けることができると思っています。PVメディアはいわゆる記事メディア、CVメディアはユーザーが購買行動を行う際に様々なプロダクトを比較するメディアとして定義しています。
例えば、悩みを抱えた方が弊社のCVメディアに訪問したら、その方がご自身で決める事ができるようなコンテンツを用意し、ご自身で判断する後押しができるようなユーザーの課題解決に直結する形で情報を提供するメディアをCVメディアと呼んでいます。
CVメディア事業は強みであるものの、新しい領域へのチャレンジのため、自身で事業責任者を務める嫌われない広告を目的とした参加型脱力系アニメ「モモウメ」などの新規事業にも力を入れています。
また、今後のデザイン組織について2年から3年先まで絵を描けてるのですが、それに対して進捗はまだ2割といったところですね。状況でいうと、3年後の種の芽がやっと出た感じで、この芽をこれからどう育んでいくかを考えるところに入っています。また、現在統括しているデザイン組織には人が集まってきていて、メンバーみんなが組織を作ろうとしてくれているフェーズに入ってます。
▲デザイナー発案の新規事業:参加型脱力系アニメ「モモウメ」
── 篠原さんが考える「本質的なデザイナーのあり方」とは何ですか?
今まで、キュービックにおけるデザイナーは「言われた物を作る」社内受託型に近い形となっていて、この形は本質的なインハウスデザイナーの形ではないと考えています。
受託型のデザイナーはデザインスキルが最も重要とされていますが、インハウスデザイナーではコミット、意思決定、その下にスキルが来ると考えます。将来的には、社内受託型の組織からインハウスデザイナーの集団に変貌を遂げたいと考えています。現在デザイン組織には約35名のデザイナー(ディレクター、フロントエンド含む)が所属していますが、これから50~60人の組織に拡大していく予定です。
さらに僕はデザイナーのあり方として、マーケッターとデザイナーの垣根が無くなるべきだと考えています。キュービックでは、デザイナーからマーケッターになる人もいれば、マーケッターからデザイナーになる人もいます。つまり、組織に60人存在していたとしても、マーケッターとデザイナーの割合はその都度変わるかもしれないです。
そのため、僕が一緒に働きたい人材としては、マーケティングとデザインの垣根を越えていける人材です。スキルではなく、どれだけユーザーにコミットできるか。サービスを世の中に出し、ユーザーとどう関わるか。そのユーザーとどうコミュニケーションを測れるかというところにコミットしてくれるデザイナーと働きたいです。
── 最後に、篠原さんのキャリアに対する考えを教えてください。
様々な方とお話をする中で、キャリアに悩まれている方とたくさん出会いましたが、僕はキャリア転換において悩んだことはありませんでした。それは、自分は「ビジョン型」であるからだと思いました。
途中途中で目標を見つけ、その目標を達成するにはどうしたら良いかを考えます。そうすれば、自ずとやらないといけないことが決まるので、あとはそれに挑戦するだけです。挑戦したときに、方向性が変わったとしても、そこまでの道のりは無駄にならないし、また何かの転機で違う発見が見つかったりします。
それなので、皆さんもこうなりたいという目標を見つけ、それを実現するためのアクションを考え、挑戦し続ければ意外と答えを見つけられるのではないでしょうか。ビジョンを描きながら挑戦することが重要であり、それはキャリア転換において大切なポイントだと考えます。
※本記事は2020年1月時点のものです。キュービックのCIおよびコーポレートロゴは2020年9月に変更されています。
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