いつか何か“すごい”ことを生み出したい!
そんな思いを持ちながらも、気づけばぼくは、地方で地道に、でも確実に“既にあるもの”に手を加えたり変化を起こす仕事をしてきました。
■ イノベーションよりリノベーション
「イノベーション」って響きは、やっぱりカッコいいですよね。
ゼロからイチを生み出す。
まっさらな発想で世界を変える。
でも地方の過疎地に身をおいてると、“ゼロの状態から生み出す”ってあまりピンとこないのが正直なところ。
むしろ、「これ、やったほうがいいよね」と言われ続けているのに、
結局やれてないもの、いつのまにか忘れられた資源、「もったいない」が積み重なって、誰も手をつけられなくなったものをどうにかすることが日々起きる現実のしごと。
だからぼくにとっては、
「イノベーション」というよりは、
「リノベーション」のほうがしっくりきます。
前職からずっと建築や不動産に関わってきたので、リノベーションというと建築用語と捉えてきたけど、都農町に来てから建物に限らずだなと思うようになりました。
今あるものに手を加えて、新しい命を吹き込む。
それは建築だけじゃなく、地域のしくみも、教育も同じだと思ってます。
例えば、都農町でぼくらがやってきたのは、
- 空き家を居場所に。
建物の構造はそのまま。でも、用途と動線、使い方をデザインすることで、オフィスでもあり中学生の居場所だったり、ホステルでもあり合宿所だったり、多種多様な人が使いながら、少しずつ用途をつくりだしたり、動線を変えていって、一言では言い切れない複合的な居場所になっていく。そんなのも一つの価値かなとは思ってます。 - 学校の「総合学習」という既存の授業時間枠に
「まちづくり」や「起業家教育」というテーマを据えて、ぼくたちがやってきたことや日々リアルに進むプロジェクトをカリキュラムにすることで、年間24時間の新しい学習プログラム「つの未来学」になって、中学生や先生たちと5年間あーでもないこーでもないといいながら、地域につながる授業になってきてます。
このプロセスは、リフォームとは違います。
ただキレイに直す、直して終わりではなく、「意味」を変える、直してからの「行動」が変わる。
「リノベーション=意味の更新」ともいえるのかなと思ってます。
■ 改善より改革
もうひとつ、ぼくが意識しているのは「改革」。
「改善」っていうと、既存の仕組みを前提に、品質や生産性を向上させる、ちょっとした効率化かなという印象があります。
もちろん、それも大事。
だけど、地方の過疎地では改善じゃちょっと弱い気がします。
たとえば、教育の場。
カリキュラムやルールがガッチリ決まっている中で、ちょっとした取り組みを加えても、なかなか本質は変わらない。
意識を変える。行動を変える。組織のあり方を変える。
いずれにしても「未来の土台づくり」として、変化をデザインしていくのが、ぼくなりには改革だと思ってます。
革命までいくと、ちょっと国ごと、町ごと変えるみたいな勢いでちょっと強すぎるし少なくてもぼくの能力は超えてるので、まずは改革から貢献していきたいスタンスです。
■ なぜ教育なのか
改革で、いま一番がんばりたいのが教育です。
なぜかというと、これは都農町に移住する前から、ぼくにとって変わらない問題意識で、オジさんオバさん(つまり僕ら世代)は変わらないから。
変わるとしても、時間もエネルギーがものすごくかかるもの。
だけど、こどもたちは別。
未来そのものだから、新しい刺激や体験で可能性は無限だし、変わるとしてもスピード感がある。
彼らが力をつけて、周囲の人たちから応援されて、自分たちで自分たちのまちを動かせるプレイヤーになれば、古い力に頼ったり、こびへつらわなくても、町を変えていくことができます。
■ 本当にやりたいことは何か
リノベーションや改革というスタンスで、日々地方で仕事をしながら、最近、「まちづくり」や「教育」はやりたいことだけど、一番やりたいことの本質ではないんじゃないか?と自問自答。
本当にやりたいことは、
旧態依然の慣習や思考停止の人たちの行動を変えること
だと思ってます。
その対象分野として、
自分ごとで動ける「まちづくり」が好きで、
手段としてこどもや若者と一緒にうごける「教育」
を選んでる。
そんな経緯で、都農町で「こども・若者参画まちづくり」に日々チャレンジしています。
なので言葉としては、「イノベーション」や「革命」ではなく、地に足つけて変化をデザインしていく「リノベーション」や「改革」がしっくりきてます。
おわりに
地方のまちづくりって、何かを“創造”するように見えて、
実は“変化をデザインする”ことなんじゃないかと思います。
誰もが見落としていた価値を再発見、再編集する。